難病と診断されて 最初に思ったこと!

難病になった自分が 不自由なく行動出来る期間が
ある程度限られてきたと分かった時、
自分の時間を もっと大切に使いたいという事を 最初に思いました。

周りから 難病を治すためには これが良いのでは?とか こうしたら?と 
良かれと思って言ってくれるアドバイスが負担になり始めました。
どう断るかを考える時間がもったいないから
無視することにしました。

自分の自由にさせて欲しい!
私の時間なのだから。

心配してくれるのはありがたいけど 
それは言って来る人の
自己満足なのではないか、とさえ思えてしまうのです!

私は 還暦を過ぎたくらいから
年齢を重ねてきたら
健康寿命っていうのが いかに大事かと考えていました。
元気で歳をとっていく人を 羨ましく思っていました。
今までは 元気な年配者を見かけると
あのようになりたい、あのように生きていたい、と思っていました。

しかし 自分ではどうしようもないこともあるのです。
健康寿命を意識していたとしても、
歩けなくなったり、認知症になったりするのですよね。

それは 好きでなったわけではないのです。
不摂生をしていたからではないのです。
普段の行いが悪かったからではないのです。
そういう事に気づいたのです。


私の場合もそうです。
日常は どこも体調は悪くなく 普通に仕事をしていました。
ゴルフレッスンとパーソナルトレーニングに週4で通い、
適度な運動もしていました。
一人で車を運転して ゴルフのラウンドにも行っていました。
友だちと夜に会って、飲みに出かけたり 
旅行やランチ会もしていました。
半年前の血液検査でも 何の異常もなかったのです。

たまたま、めまいがあったから
耳鼻咽喉科のめまい専門科というところで診察してもらったところ
年齢に関係ないめまいだからと言われて
神経内科で もっと詳しく診てもらった方が良いと言われたのです。

その後 いろいろな検査を 言われるままにすることになり
その結果 大変稀な難病と診断されたのです。
十万人に一人いるかいないかという
まだ全く研究されていない珍しい難病だ、と言われました。
だから もちろん治療法は何も確立されていません。
現在の西洋医学では 何もできることはない、とのことでした。

思ってもいない時に交通事故にあうのと同じように
人間は突然 病気だと宣告される時があるのです。

私は まずは誤診だと思いました。
だから納得できませんでした。
でも だんだん 指摘されたように
身体が不自由になり、動かなくなり始めたのです。
だから 自分でも 早く受け入れなくてはならないと
思えるようになりました。

そして 今のうちにやっておかなければいけないことは何かを
考え始めました。そして しだいに そういう人でも 生きがいを持って生きていけるためには何が必要かを 考えられるようになりました。
私の使命はなんだ?とさえ 考えるようになりました。

日本は少子高齢化であり
年寄りが増えていくわけだから 
年寄りが老害にならないためには 
自分自身でどうやって生きたらいいか、
どういう準備をしといたらいいかということを 
今 示すことが 私にできることかもしれない。

私がもっと歳をとってから、今回のような難病になっていたら、きっとそうは思わなかっただろう。
90歳になって、同じような立場になったとしても、そうは思わなかっただろう。60代の私だから 考えることもできるし、事業をやってきたからこそ 
考えることができるのだと思えて 
私の個人的な思いを残すことにしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?