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よだかの片思い


こんばんは。

最近、涼しくなってきて、過ごしやすい季節になりましたね。


コロナで、そんなに人に会えないという寂しさを、もっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私は、本当に会いたい人としか、連絡をとらなくなり、寂しさよりも心地よさを感じてしまっています。広く浅い人間関係から、狭く深い人間関係に変わりました。

リアルだと、狭く深い人間関係にしようと思っていても、どうしても相手のことを気にしてしまったりして、できなかったのですが、コロナを機に、そこから脱せたかなと。


そして、たくさんの『自由』という時間をもつようになったと思います。

『自由』とは、自分で物事を決められるということ

であり、ポジティブな面をもったものとして捉えがちですが、

一方で、自分で数ある選択肢の中から、選び取り行動しなければいけないという主体性を求められるものでもあります。

これって、意外と楽そうに見えるけど、とっても大変なことだと思います。

コロナ下で、多くの人は、最初の何週間ぐらいは好きなことができていいけど、もうそれにも飽きて、早く普通の日常に戻りたいと思った方もいるのではないでしょうか。

この状況は、たくさんの選択肢がある状態から、みんな選択肢が狭まる状態に戻りたいと言っている。

まさに、『自由』から『不自由』な世界に戻りたいと言っている。

私たちは、本来は、自由な状態なんて望んでいないんです。

『不自由』な状態の中で、食べるもの自由・寝る時間の自由・交通手段の自由など、少しの自由が保障されていれば、私たちはそれでいいんです。

だから、私はそのことに気づいたとき、どうしようと途方にくれました。何かを始めようともっても、何かを探すのが、一歩踏み出すのが、難しいんですよね。


そんな時、ふと、地域の図書館が再開したと聞いて、行ってみることにしました。

そして、1冊の本に出会いました。

よだかの片思い

島本理央さんの作品です。


何冊か、この著者さんの作品は、読んだことがあったのですが、この本はとても読みやすく、共感でき、誰しもが一度は感じたことがある感情を、うまく描き出している、そんな本でした。


『今までの私には、余裕があったんだよ。他人に優しくしたり、親切にする余裕が。』


アイコ(主人公)は、生まれつき顔にアザをもっているため、自分に自信がなく、他人からの好奇な視線にさらされながら、生きてきました。


そんな彼女に、事故でやけどを負ったミュウ先輩(主人公の先輩)が、アイコに発した言葉です。


この言葉を読んだ瞬間、わたし、この感情よく分かる。と思いました。

私は、外見のことで、性格のことで、あまり苦労したことがないため、居場所や友達関係で悩むことが、少なかった方だと思います。


しかし、初めて、大学という場所に行ったときに、在るだけですべて肯定されるという、環境ではなく、自分が何かしら努力しなければ居続けることができないという環境を知ったとき、

私が、今まで他人を思いやることができたり、親切にできたのは、自分の外見などで悩むことが少なかったから、他人を思いやれる余裕があったのだなと、感じました。


現に、大学始めは、なかなか、自分のことで精一杯で、相手のことを思いやれていなかったと思います。


今、そこに気づいたとき、一番大事なのは、それを踏まえたうえで、どう相手と接していくかだと思いました。


いくら、相手の苦しみ・悩みに寄り添ってあげても、ぴったりと理解できるなんてことは、ないと思います。

だからこそ、どう相手に接していくか、接するかが、とても重要なことなのではないかと感じます。


とても、長くなってしまいましたが、今日はこのへんで、終わりにしたいと思います。

それでは、また~。

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