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歌う

私は声楽の”ピアノ伴奏”が主な仕事だ。
声楽の先生が「この前ヴァイオリニストにこんな事言われたんだけど」と話し始めた。

「『良い”声”ですねって褒められるの、歌手の人は嬉しいんですか?声を褒められるって、楽器だけ褒められてる感じしません?それって音楽はあんまりってことですよね?私が歌手なら嬉しくないですね〜』って言われて、なるほどなあって思ったんだよ。」


世の中の「楽器」と言われるものは、「人間」と「音楽」との間に存在するものだ。言い換えれば、「音」を出すためには「楽器」という物体を通さざるを得ない。その素材は何なのかというと、木や金属、プラスチック、何かしらの動物の皮や毛、牙、腸、、、などなど。楽器を褒めると言うことは「この楽器は良い素材でできていますね」ということだ。肝心の演奏者は何も褒められていない。

一方、歌は何一つ外部の物体を通さずに、自らの身体から出たものが空気を振動させて私たちの耳に届く。身体が楽器そのものなのだ。どんなにすごいプロの歌手も、上手く歌えるかは体調によって左右されるほど、身体がものを言う。

元々持っている声が良い人は歌手として不利、とまで言う先生もいた。「音楽」を聴く前に、みんなその立派な「声」を聞いてしまうから。「良い音楽」ではなく「良い声」という感想になってしまうから。
歌手自身も、良い声の人は歌っている時の満足感を感じやすい傾向があるため、良い声を出そうという意識だけで歌ってしまう人が多いらしい。
その生まれ持った楽器(身体)を使って、どんな音楽を奏でていくのか、そちらの方が何倍も大切だとその先生は言った。

「もっと歌って」
「歌うように弾いて」
「そこ弾いてるだけになってるから歌って」

今まで何百回と受けてきたレッスンで、私はこの指摘を何万回されてきただろう。

音程がない楽器や、人間の声では明らかに出せない音域の楽器は分からないのだが、少なくともピアノは「目指せ!歌うように!」モードになる時がよくある。他の楽器(特に管楽器と弦楽器)もきっと同じなのではないだろうか。

最近アカペラにハマっている。歌の持つ力は本当にすごい。
一度にいくつもの音を響かせられるピアノなら、簡単にハーモニーが作れる(これが簡単と見せかけて、美しさを求めると果てしない努力とセンスと耳の良さと感覚と、、、長くなるのでカット)ところを、アカペラは一人一音ずつ地道に重ねていく。コスパは圧倒的に悪い。
でも、それが良い。
だからこそ生まれる広がり、繊細さ、揺らぎ、いろんな世界観がある。ピアノでは絶対に勝てないものがある。

私は上手には歌えないけれど、歌が音楽の原点であり頂点だと思う。

それは、人間は神様によって造られたから。その人間が自らの身体をもって紡ぎ出す音楽は、とてもとても美しい。そしてその美しい音楽は、神様によって与えられたものだということを日々忘れないようにしたい。忘れっぽくて弱い私は、すぐに神様の愛も忘れてしまう。
神様だけは、何もできなくても、何も持っていなくても、私をきっと愛し続けてくれる。
神様が私とずっと一緒に歩んでくれるように、私も歌手に寄り添った伴奏をしたい。

長々と書いてきて結局何が言いたいかというと、
私は歌が大好き、伴奏が大好き。

神様が大好き。

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