森鷗外著 『阿部一族』の感想文 現代に通じる同調圧力! 剣劇のカッコよさも見どころ!
1・前置き -ネタバレを含みます!
この記事は森鷗外の『阿部一族』の感想です。
足立区立舎人図書館と共同で行ったオンライン読書会第1回(2020年9月22日開催)で参加者の方から紹介された作品で、鷗外はほとんど読んだことが無いこともあって楽しみながら読みました。
ネタバレを含む感想で、今回は一種のガイド機能もあるかと思います。物語の顛末すべてを語りはしませんが、ネタバレゼロで本作を読みたい人は、読了後にまたこの記事に戻ってきていただけると嬉しいです。
2・展開とともに感触が変わっていく作品! 前半は流れがつかみにくいので注意が必要!
本作は1912年(100年以上前)に発表された作品で、1691年(江戸時代)に実際に起きた出来事を題材にした小説です。題材と書かれた時代のせいか、森鷗外の特徴なのかはわかりませんが、開いた瞬間、「うわっ! 漢字が多い~💦」とプレッシャーを感じました。
3・中盤のイヤ~な雰囲気はコロナ禍の現代にこそ読むべき?!
中盤に入るとようやく阿部家の人々が登場します。しかし活躍する場面は無く、次々と困った状態に陥るモヤモヤ感が中盤の見どころです。
権力者のプライドや大衆の無責任なウワサが阿部一族を打ちのめしていくのですが、いくつかの単語や固有名詞を入れ替えれば、そのまま「週刊文春」あたりに載っていそうな展開です。
このあたりの胸糞悪さは、日本社会って金儲けの方法論以外はあまり進歩してないんだな(T_T) という虚しさを存分に味わうことができます。
4・後半は剣劇バトルアクション!
阿部一族がどうにも回復の余地が無いほど追い詰められた後は、いわゆるチャンバラシーンが描かれます。ここは見る人によって印象は大きく変わる可能性があります。阿部一族が追い詰められていく流れから見ると、後半の戦闘も陰惨なシーンと見る人もいるかもしれません。
しかし私には、後半は剣劇アクション的な見せ場と感じられました。フラストレーションが溜まるだけだった阿部家の若者が、負けることは分かっていながらも戦闘の場を得て初めて武士として活き活きと描かれるからです。
現代の価値観で見れば無意味な戦闘でしかありません。しかし、決定の経緯が不明瞭な政治や、社会の圧力に翻弄され続けた阿部一族にしてみれば、討伐軍は目に見える敵であり、せめて剣で反抗できる相手ですから、死に向かう前に自分たちの存在を示す意味でも貴重な存在なわけです。
阿部一族討伐軍の人選が紹介される場面や、乱戦の描写は非常に簡潔リズミカルなので、読んでいて映像が克明に浮かびます。
特に私の印象に残ったのは、弥五兵衛と又七郎の槍の対決シーンです。かねてから槍の技を競い合っていた武人であり交友関係もあった二人が敵味方として邂逅するシーンは運命的ですらあります。
このシーンで私は、『銀河英雄伝説』のミッターマイヤーとロイエンタールの対決を連想しましたし、目に浮かんだのは安彦良和による『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のゲルググとガンダムの対決シーンです。(小説じゃなくてすいません💦)
剣劇シーンのかっこよさから「これは映像化されているのでは?」と読後に調べてみたら、やはり『阿部一族』は映画やドラマとして何度か映像になっていました。
ちなみに1995年に映像化された『阿部一族』では、又七郎を真田広之、弥五兵衛を佐藤浩市が演じており、対決シーンは一番の見せ場になっていました。(ドラマは原作小説とはやや違う展開でしたから見比べても面白いです)
5・まとめ
読み初めには漢字が多くてちょっと厳しいかも、と思った『阿部一族』でしたが、読み終わるまでにいろいろな展開があり、十分に楽しみました。
森鷗外という誰もが知っている文豪の作品でありながら、読書会で紹介されたことで初めて読みました。100年を超える作品なので読みにくさはありますが、内容としては現代に通じるところが多く、世の中の慣習の虚しさを描く社会的な作品として読むことができます。
また、滅びゆく一族を描く剣劇アクションという捉え方もできるので、幅広さを持つ作品です。
文豪の作品としていろいろな形で書籍化されていますから、恐らく待たずに図書館で読むことができると思います。この機会にぜひ手に取って見てください。