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秋になると思い出す、娘との会話
もう随分前、高校生だった娘が、新聞の折り込みチラシから、あるサークルの案内を見つけて、
「お母さん、私、日本舞踊やってみたい。これ、申し込んでいい?」
「え、見せて。はー、そうね、とりあえず、お母さんと2人、申し込んでおいて。」
と、私は、出してもほとんど当たらない懸賞に応募するような気持ちで、答えていました。
ところが、数日後、
「おかあさん、当たったよー。」
と、言って娘が、当時Faxで返信されてきた紙を見せてくれました。
毎月3回決まった曜日に夜集まって練習。
場所は家から自転車で20分くらいの公民館。
持ち物は練習用浴衣。
そうして、私たち母と娘の日舞のお稽古が始まったのでした。
行ってみると、私よりは一回りくらい上の先輩達がたくさんいて、色々教えてくださいました。
浴衣の着付けや
お稽古に必要な傘や扇子のお店。
特に浴衣の着付けは、全くの素人でしたので、裾の合わせ方、えりの整え方、帯の結び方など、教えてくださったり、ダウンロードした丁寧なプリントまでくださいました。
私たちの同期生は6人、私は40代後半で、他の4人は20代、そして高校生の娘。
私を除いて若い人ばかりでしたが、70代だった師匠の先生は、毎回年齢を感じさせないキビキビとした動きで、踊ってくださいました。
発表会に向けて練習するのは、「京の四季」という舞妓さんの踊る曲。
京の四季は、春はさくら、夏は川、冬は雪見酒といった季節の風物を踊りで表現する、日本の美しさが詰まっているような演目です。
私は「舞妓さん」の言葉に自分の年齢を思い、一瞬ギクリ、としましたが、後には引けません。
私たちは先生の踊るのを見ながら、必死についていきました。
「よく、ついてくるじゃない。」
と、褒めてくださりながらも、
「すり足で歩くのよ」
「手の位置、もっと上」
と数ヶ月後の発表会を控えて、徐々に熱気を帯びるようになってきました。
そして、発表会当日、髪こそ美容院の夜会巻でしたが、会場でプロの方から白塗りのお化粧をしてもらい、古着屋さんで買った、赤い振袖を着付けしてもらい、私は舞台の端にたったのでした。
そして、舞台に立った私は先生に教えていただいた通りに何とか覚え、踊ろうとしたのですが、慣れない振り袖にきつい帯。身体が思うように動いてくれませんでした。
後からDVDで見ましたが、娘はそれなりに踊っているようには見えるのですが、私は、、、。自分で見ても苦笑いしてしまいました。
ただ、亡くなった母が見に来てくれて、私たちの晴れ姿を見て、喜んでくれたことは、確かです。
その後、私は仕事がやはり忙しく、毎回のように遅刻してしまうので、残念でしたが退会しました。
でも、お陰で、先生方の見事な踊りや素敵な着物をたくさん見ることができ、四季を感じられる日本の文化の素晴らしさに気づくことができました。
今でも発表会をした会場の近くを通るたびに、娘と通った日舞のお稽古を懐かしく思い出します。
◎今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。