深夜に一人ほくそ笑む
生きることの喜びってなんでしょう。
6月、キアロスタミ監督作品を観ていた。『ジグザグ道三部作』『桜桃の味』『風が吹くまま』
惹かれるあらすじの書かれ方というのが自分の中にあり、そして惹かれた作品は概して好きになることが多い。あらすじからキアロスタミの作品はどれも好きになる予感があったのだけれど、結果として、メタを導入するその作風を好きにはなれなかった。
好きになれなくても印象に残る作品はある。今回の場合、『桜桃の味』がそれだった。
『桜桃の味』は自殺志願者の男が協力者を探すという筋。山に案内した後、男は淡々と説明を始める。夜が来たら自分はあそこに掘られた穴の中に横たわる。君は翌朝ここに来て、呼びかけてくれ。その時に自分の返事がなければ、穴に土をかけて埋めるように。
声をかけられた者は内容を聞いて当然男の誘いを断る。男も無理強いはしない。次の相手を探しにただ車を走らせる。
『桜桃の味』が胸に食い込んだ理由。それは二人目の候補として選ばれた神学生の台詞だった。
元いた場所に送り届けられた神学生は車から降りて静かに主人公を誘った。
オムレツのいい匂いがする。食べませんか? 気が変わるかも。
自死を決意した人にかけるにはなんて弱い言葉なのだろう。神学生も、自分の言葉が男にとって救いにはならないものであるとは分かっている表情。それでも男を助けたくて、なにかをしてあげたくて、救いにならない言葉がもしかすると救いになるかもしれないと信じて言ってみたのだろう。
男は「卵が食べれない」と顔色を変えずに言い、車を走らせる。取り残された神学生を見て、僕は思った。
このあと神学生はどんな気持ちでオムレツを食べるのか?
***
人生に熱意のようなものがない。
点滅する青信号を見て走ったりなんかしない。閉まりかけの電車に乗るために頑張ったりなんかしない。
この世が与えてくれる生きる喜びはオムレツ程度のものしかないという気がしている。
好きなバンドを観ても腕を上げたりなんかしない。一緒に歌ったりなんかしない。
この前、サマソニに行った。絶対に観るつもりでいたバンドが入場規制になるかもしれないとの情報を得て、予定より早めにマリン・ステージに向かうことにした。そこで演奏していたのはいま第二の全盛期を迎えているバンド。昔は軽蔑していたそのバンドを聴きながら、自分が少しだけ寛容な人間になっているのを知った。そして周りを見回して、みんな楽しそうだな、と考えた。一体感のあるライブ。前に立っていたカップルは手をつないだまま腕を上げて曲に揺れていた。愛についての歌の終わりにはキスをしていた。そのカップルは極端な例だけど、なんで自分は他のみんなと同じように歌ったり踊ったり、素直に明るくふるまえないんだろう?
日が落ちても人いきれは熱く、冷えない汗を肌に感じながら次第に光の強まっていくステージを眺める。お盆休みで昼夜逆転の生活をしていたせいか、サマソニの前日は眠れなかった。寝たのは朝の五時。その時間まで、前にお気に入りに登録していたライブ動画を見返して過ごしていた。歌う人混みの中で、昔は好きではなかったバンドのことを少しいいかもと感じながら、眠れずに起きていたそのときの記憶が蘇ってきた。そして、確信した。
深夜に誰も知らないバンドのライブ動画を観て一人ほくそ笑むより、みんなの大合唱に加わって笑っていたほうが絶対にいい。
ほんと、変なこだわりが浮かぶ心なんか広い会場に散らしてしまえばいいのに。それができない。できないでこれまで生きてきた。
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