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場違いの踏み台、の捨て場と勘違い

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場違いの踏み台、の捨て場と勘違い

最近の記事

ここは、俺が馬鹿だった。ことの記録。当時はそのことに気付いていないからきらきらまぶしい。木陰で光って誰にも気付かれないまま消えていく。

    • あともう一回こういうことがあったら全部終わりにしよう、と決めた

      • (よりクソになっていく世界で)陽の落ちた水面が揺れ動く

         会社からコンビニに向かう道の途中に白壁のマンションがあり、その玄関前に赤い魚が泳いでいる。  それが鯉なのか、鯉にしては小さい気がするけれど、とにかく俺には分からないが、魚種なんてどうでもよくて、そのマンションの前を何百回も通って俺はようやく初めてその魚の存在に気が付いた。そんな分かりにくい場所にその赤い魚は泳いでいて、だから俺は初めてその魚を見つけたとき、「あ、こんなところに魚がいる」と思ったのではなく、「あ、こんなところに水が溜まっている」とそもそも驚いたのだった。

        • 無理してでも振り返ろうか 〈後〉

          ***  今年は24本しか映画を観なかった。体感として観る本数が減っていたのは分かっていたけれど、こうして数字でその事実を目の当たりにすると少し悲しくなる。でも意識的に映画鑑賞を減らした年ではあった。意味があるものを吸収するのに疲れ始めていた。意味を理解したとて、それは一人の喜びだから。アウトプットしたところで誰にも伝わらないから。  24本の中で良かったのは『街の上で』『14歳の栞』『コロンバス』『ドライブ・マイ・カー』『RRR』の5作品。 *  『街の上で』と『1

        ここは、俺が馬鹿だった。ことの記録。当時はそのことに気付いていないからきらきらまぶしい。木陰で光って誰にも気付かれないまま消えていく。

        • あともう一回こういうことがあったら全部終わりにしよう、と決めた

        • (よりクソになっていく世界で)陽の落ちた水面が揺れ動く

        • 無理してでも振り返ろうか 〈後〉

          無理してでも振り返ろうか 〈前〉

           姿勢を正すようになって2年になる。いまだその途中ではあるけれど、姿勢を改善していくなかで分かったのは「おれは誤り続けていたんだ」ということ。人間の立ち姿・座り姿には正しい姿勢があり、それを意識し続けないと身体は楽な体勢をとってしまい、次第に歪んでいってしまう。肉体は流れる。そして流れた方に形状記憶して、固まっていく。日常の怠惰が身体に蓄積して固まり、それが肩こりや腰痛、首の痛みに変わる。このことに気付くのに俺は十数年かかった。つまり間違った体勢を正しい姿勢だと信じてきた俺は

          無理してでも振り返ろうか 〈前〉

          世界がそっちの方に行くならもういいや、という気持ちで生きている

          世界がそっちの方に行くならもういいや、という気持ちで生きている

          抜け出た先のまた見果てぬ夢

           夢を見ていたのだとしても、いやあれは現実だったのだと、身体が抗うように、街を歩き、トンネルを抜けて、駅のベンチに座り込んだことをしかと覚えている。  そのように夢見心地をいつまでも引きずるような感覚に陥らせるものもあれば、見ている間は忘れがたい体験のように感じられたのに、目覚めて数刻が経つうちにするりと頭から抜けていく夢もある。いずれにせよ夢について考えるとき、望郷の念-それも異空間への-に駆られ、心は身体を離れて浮遊するのだから、どうやら夢は現実からの脱出装置として機能し

          抜け出た先のまた見果てぬ夢

          <俺>という中間地点

           暗いことばかり語っていても仕方がないのだけれど、6月に入ってから土日はずっと寝て過ごしている。すべきことがあるのに、いざ取り掛かろうとすると脳裏に暗い念が差す。 「頑張ったところでどうせダメだろう」  仕事を終えた平日の夜も頭がぼうっとして集中することができない。取り組まなければより暗い深みに人生がはまり込んでいくだけであるが。しかし眠り続けて無為に日々を過ごしてしまう。1年以上前から朝3時とか4時に寝る生活が当たり前になっていた。起きるのは7時30分。短い睡眠時間で働

          <俺>という中間地点

          消えたとて笑うもの

           自分をつまらない人間と思うから、誰かと一緒にいるときはその人が笑っていてくれないと不安である。笑いはその場を楽しんでいることの証左だからだ。それで飲み会前はあれを話そうこれを喋ろうと、ないエピソードを振り絞ってなんとなく気負ってしまう。  しかしそうした準備をしたからと言って、帰り道には己のつまらなさに辟易とするのが常だ。だから人に誘われないのだ、と。笑いを生むことの難しさを知っているから、面白い人間がこの世界で一番カッコいいと思う。逆に言えばユーモアのかけらもない人には全

          消えたとて笑うもの

          風消えて光散り

           トラブル対応を終えた帰り道、会社に向けて車を走らせた。途中、自分が知らないだけで名所なのか、桜並木が長く続く道路を通った。光に舞い上がった小さな花片がフロントガラスにぶつかり後ろに飛んでそれていくその光景に俺は美しさよりも懐かしさに目を細めた。5年前、風に巻き上がった桜の中を走り抜けていくことの美しさを知った。新入社員研修の頃で、あのときは助手席に座っていた。 「桜ももうピークは過ぎたねえ」  と言ったのはWさんだった。予想外に早く咲いた桜も、昨夜の雨の雫に払われて、路の

          風消えて光散り

          腑抜けの戯言

           社会に出るにあたって決めていたことが一つある。お前はダメで使えない人間だと言われたら辞めよう、と。どうせ自分など社会でやっていけないことは分かっていた。だから、誰かがその事実を突きつけてくれるまでは働こう、と。  決めていた、というより、そう言われることを願っていたのかもしれない。しかし誰からもそんなことを言われずに6年目を迎えようとしている。どうやら俺はダメではないらしい。  となると、じゃあ自分をダメな人間だと断定して暗い方へ流され自ら暗い方へと押し込んでいた学生時代と

          腑抜けの戯言

          低速度の走馬灯

           中学時代、学校に向かいながら考えていた。生きている意味はあるのか、と。眠気から覚めきらないぼやけた頭で。ふらつくような感覚で。今はもうそういうことは考えない。考えること自体、少なくなった。それでも歩きながら時々、俺はどのように生きればよかったのだろう、と考えることがある。俺という容姿、性格、能力。過去のあらゆる場面で、俺はどのように振る舞えばよかったのだろうか。この与えられた素材で、どのようにすれば "いい人生" を築き上げることができたのだろうか。  あの時ああしていれば

          低速度の走馬灯

          日曜、新宿御苑で(ある事を伏せて)

           珍しく出かけていた。  春は近いが未だ冬の新宿御苑。新宿門から入園すると、草木は枯れており、風景は寒々としていた。門をくぐってすぐ目の前に広がる自然の風景には、駅からビル群を抜けて歩いてきた身には突如として視界がひらける爽快さはあるものの、生命の元気はなく、視覚的な華やかさもなかった。茶色い芝生の上では老若男女の人々が遊んだり寝そべったりしていて、時おり各所で笑い声もあがってはいたが、全体として新宿御苑はひっそりとした空気感が漂っていた。  その後、母と子の森・日本庭園・風

          日曜、新宿御苑で(ある事を伏せて)

          謳歌

           己の怠惰が祟り、音楽のデータファイルがすべて破損した可能性があるので、2月に入ってから毎日パソコンにCDを取り込む作業をしている。あくまで「破損した可能性」なので今の状況を放っておくこともできるのだが、ある日聴きたくなった曲が途中でブツ切りで終わって気持ちを台無しにされるのも嫌なので、戒めの意味も含めて一気に作業をすることを決めたのだった。馬鹿だと思うが、実際に馬鹿なのだから仕方がない。ひとつ幸いだったのは自分がレンタル派ではなくCDを買い集めるようにしていたことで、だから

          コートを落とし続ける

           記憶力の減衰著しく、過去に大切であった知識や記憶もそれらを獲得した瞬間から日を経れば遠慮なく忘れられてしまい俺はどうやら何もかもを永遠に保持することはできないようなので、やはり自分にとって大事だと感じられた『「しかたがない」以外の解決策 〈前〉』でやむなく削った箇所を、振り返るための手がかりすら忘却してしまわないようにここに記しておく。  文章を削ったのは、内容に満足しなかったからではなく、無許可の切り抜きだったのか、文中で説明していた当の動画がYouTubeから削除されて

          コートを落とし続ける

          もう素朴ではない君

           計画通り、ニーチェを勉強している。ニヒリズムに陥った人類の救済に向けてニーチェがたどりついた永劫回帰という愛。キリスト教を学んでいるときにも思ったけど、昔の人ってやっぱり生きていてすごく切なかったんだろうな。心細いというか。  以前2ちゃんねるのまとめで見かけた情報なので正確なところは分からないけれど、昔の人が生涯で得る知識は新聞3枚程度の量だったという。一概に「昔の人」と言ってもそれが中世なのか江戸時代なのか、あるいは近く昭和なのか、それとも遠く旧石器時代なのか、という問

          もう素朴ではない君