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歌川国芳展 ―奇才絵師の魔力 鑑賞ガイド(風景画・動物画・戯画など)

この記事は歌川国芳展に出品される絵や関連動画とかまとめてます。
こちらの展覧会は、キャプションが少ないですが、この記事を見ればキャプション無くてもだいたい分かって、不自由なく見られるはず…!
現地で絵の内容を確認するのにも使えると思いますー!

出品点数が多すぎるので、3記事に分けていて、こちらは3記事目になります。


風景画

○212「山海名産尽 伊勢鰒」

伊勢の海女「海に潜ってアワビ取ってきたでー!」

  • 伊勢は海女で有名で、海女文化資料館という施設もある

  • 絵に描かれてるのは夫婦岩(めおといわ)

●213「山海名産尽 相模ノ堅魚」

「牛に乗って江の島まで行くでー。あ、カツオ漁やってるー!」

  • 七里ヶ浜でカツオ漁している

  • 女性は牛に乗って江の島へと旅している

  • 遠く見えるのは富士山

○●214「忠臣蔵十一段目夜討之図」

国芳「西洋画の手法で忠臣蔵の討ち入り描いたろ!」

東西海陸紀行を参考に描いた絵

●215「近江の国の勇婦於兼」

お兼「なんか馬が暴れとる! 下駄はいたままやけど、鎮めたるで!」

歌川国芳による木版画「近江の国の勇婦於兼(おうみのくにのゆうふおかね)」の題材となった遊女。この作品は、東国からやってきた武士が乗ってきた馬が暴れ出した際に、下駄を履いたまま馬の端綱を踏みつけて馬を止めたという説話「金(かね)」が題材です。

Search Labs | AI による概要

江戸の名所

違いを楽しめるように歌川広重の風景画も比較に入れておきますー

○216「東都名所 佃嶋」

「佃島の永代橋の下を小舟で通るよ!」

(比較用・広重の永代橋佃島)

たぶん、この橋の下を小舟で通ってるんだと思う

  • 江戸時代の埋立地 佃は佃島と呼ばれ、もともとは隅田川河口にあった干潟を埋め立ててできた場所

  • 埋め立てをして住み着いたのは、現在の大阪にあたる摂津国佃村の漁師

  • 佃煮発症の地として知られる

  • 月島は佃島とは違い、明治になり埋め立てられたエリア

現代の永代橋はこんなかんじ

○217「東都名所 かすみが関」

(比較用・広重)

15:04 から、東都名所 かすみが関 と 新吉原 について軽くトークしておられますー

○218「東都名所 てつぽふづ」

「隅田川の鉄砲洲で釣りするよー!

  • 隅田川の中、手前の岩場に釣り人の姿を、その先に日傘の小舟を描いた作品

  • 鉄砲洲の名前の由来は砂洲が細長く鉄砲の形をしていたこととも、大砲の試射を行ったからとも言われている

  • 湊稲荷(現鉄砲洲稲荷神社)には富士山を模した富士塚が築かれて、当時はそこから富士山が見えた

(比較用・広重)

●219「東都名所 両国柳ばし」

女性「夜道は暗くて怖いわ… 野犬もいるし…」

  • 柳橋は神田川が隅田川に合流する辺り一帯で、多くの料亭が軒を連ねていた

  • 芸者が荷物を担いだ供の男と一緒に宴席へと出かけている

  • 夜空に星が輝いているが、街灯がなかった江戸時代では見通しの悪い夜道を歩かざるを得ない

  • 柳の下で野良犬の群がいるのを見つけた女性は、怯えた表情で男の方に寄り添っている

  • 夜空の雲や柳の影、暗闇に包まれた対岸をぼかしの技法で表現するところに、西洋画への意識が感じられる

(比較用・広重)

●220「東都名所 両国の涼」

「やっぱ夏の夜は両国で船に乗って飲み食いして、花火を楽しむに限るねー」

  • 右側の泳いでる人は、持っている木刀から大山詣に行こうとしている人なのがわかる

  • 左側の船の人たちは船上で飲食を楽しんでいる

  • 真ん中の船の人は商人でスイカを積んでいる

(比較用・広重)

●221「東都名所 新吉原」

(比較用・広重)

○222「東都御厩川岸之図」

「貸傘には店の紋が入ってて、宣伝になってんだ! 傘は高いからねぇ。江戸っ子の中では、貸傘さして歩くのが粋とされてたんだぜぇ!」

9分30秒くらいから、こちらの絵の紹介をしていますー
貸傘にはお店の名前が入っていて宣伝になってるらしい

以下、ちょっと不思議な話

  • 貸傘をあらわしているが、右側の傘の番号が1861番

  • 1861個も傘を貸すとは思えない

  • 歌川国芳が亡くなったのは1861年で、当時すでに西暦という考え方は入っていたと思われる

  • 自分の死期を予言していた絵、といえるかも?

(比較用・広重)

○223「東都首尾の松之図」

「名所の首尾の松だけど、松はちょっとだけで、カニとかメインに描いてみた」

  • 首尾の松は、隅田川のほとりにあった松

  • 吉原に行く途中の人が「吉原で首尾良く行きますように」と願ったなど、名前の由来は諸説ある

  • なお、松が殆ど見えなくてカニなどをメインに描いている

  • 意表をついてるんだろうけど、初めてコレ見るとわけわかんないよ!

  • 広重の松を見るとよくわかるよ!

(比較用・広重)

○224「東都橋場之図」

(比較用・広重)

●225「東都宮戸川之図」

「宮戸川でウナギとるぜぇ!」

  • 宮戸川は隅田川の別称で、浅草周辺のこと

  • 遠く見えるのが筑波山

  • 葦が青々と茂る川に入って鰻掻きで鰻を獲る様子が描かれている

  • 細い墨線を重ねた葦の描写や光を意識した色版の彩色は西洋版画の影響

(比較用・広重)

●226「東都三ッ股の図」

「スカイツリーが描かれてると言われる絵だけど、当然そんなわけないよ!
 たぶん井戸掘り櫓だよ!」

絵の右側のツンツンしてるとこは佃島(漁船の帆柱をあらわしてる)
左は火の見櫓で9mくらい、右は18mくらい
掘り抜き井戸を掘るための櫓と考えられる

●227「本朝名橋之内 江都日本橋略図」

「日本橋人多すぎィイ! あ、遠景に江戸城見えるね!」

●231「東都富士見三十六景 山王神事雪解の富士」

「日枝神社の山王祭の山車と夏の富士山を描くよ!」

  • 山王祭は江戸の三大祭りの1つ

  • 滋賀にある日吉大社が総本山の山王神道という神道がある

  • 天台宗と神道がくっついた教えで神本仏迹説

  • というわけで、日吉大社でも山王祭がある

全く必要ないけど、一応、山王神道もわかっておくと、この辺の神社の関係性が理解しやすくなる

こちらは月岡芳年バージョン

●232「東都富士見三十六景 新大はし橋下の眺望」

「ゴッホが模写した広重の絵の橋を下から眺めると、こんな感じだよ! 富士山も見えるよ!」

●233「東都富士見三十六景 昌平坂の遠景」

「昌平坂を盛りまくって急斜面にしたろ!」

もうこれ、坂じゃなくて登山だよ!

  • 画面右:昌平坂

  • 画面左:お茶の水の渓谷の神田川

  • 神田川の奥には水道橋が小さく描かれいる

  • こちらから坂を上る人、向こう側から坂を上ってくる人、坂の途中で一息したり、竹竿を振り回している人、崖下を覗き込んで道草している人たちを描く

現在の昌平坂

相模国の名所

○234「東海道五拾三次人物誌 平塚」

現在の神奈川県平塚市

(比較用・広重)

○235「相州江之嶋之図」

現代のはこんなかんじ

○228「大山良弁瀧之図」

「江戸っ子の人気観光スポットの良弁の滝は女人禁制だから男しかいないよ!」

  • 江戸時代、大山は江戸から近い観光地として人気で、多くの人が大山詣りに訪れた

  • 参拝者が身を清めた「大山六滝」のひとつが良弁滝

  • 良弁は東大寺を開山した人で、神奈川の大山寺の開基といわれる

  • 良弁が水行をしたとされる良弁滝は特に人気で、葛飾北斎などが浮世絵に描いた

  • 女人禁制なので男性しかいない

(比較用・広重)

○229「相州大山道田村渡の景」

「大山に参詣する際、相模川のあたりの田村の渡しを通ります」

  • 大山の石尊大権現に参詣するには、江戸から東海道で藤沢まで行って、

  • 藤沢から大山に向かうのが王道

  • 藤沢から西に向かうと相模川を渡ることになり、田村の渡しはこの場所に当たる

○230「大山石尊大瀧之図」

「大山詣りの際には、まず禊ぎの滝で滝垢離を行い、身を清めましょう」

大山詣りの前に身を清めた禊の滝

●236「相模州大住郡雨降大山全図」

「大山の全体像です」

摺物と動物画

○237「下総野田柏樹園 立春」

○239撫で牛

「この牛の置物なでたら、その部分の病気がよくなるよー」

撫で牛(なでうし)とは、伏した牛の形をした置物で、自分の身体の悪い部分をなでた後に、その牛の同じ箇所をなでると病気が治ると信仰されているもの

 ●240不二五番之内 江の島
 ●241不二五番之内 奇岩
 ○242捕手をとりひしぐ七代目市川団十郎

○243床の間の琴

  • 床の間には富士の軸

  • 生けられているのは白梅

  • そして琴が立てかけられている

  • 衣桁には白梅の裾模様

●244「風俗女水滸伝 壹百八人ノ内 小二 汐汲五番続 其三」

汐汲という歌舞伎?長唄?より
浜辺で好きな人を思う海女が、好きな人の服着て踊ったり、早変わりしたり、なんかそんなかんじのはずだけど、話によって設定が色々違うような?
動画調べてみても、長唄のは男性の服は着てない…
ただ、絵の服とは似てるので、動画ので合ってると思う…

○245「汐干五番内 其一~其五」

 ●246「風俗女水滸伝」土器投げ
 ●247豊干と虎
 ●248偐紫田舎源氏
 ○249桟橋の芸者
 ●250花魁
 ○251花車 五節句賛

●252八代目市川団十郎の暫

「悪いやつをやっつける、正義のヒーローしばらくといえば、俺のことだぜぇ!」

  • しばらくは「ちょっと待った」という意味

  • 理不尽な悪いことされてる人を守るヒーロー

  • 描かれてるのは人気者だったのに若くして自殺して悲しまれた八代目團十郎

●253大筒を抱える四代目中村歌右衛門

○254歌川国芳・三代歌川豊国・梅素亭玄魚合筆「東西大関俳優」

左:国芳画 五代目市川海老蔵(七代目市川団十郎) 
天保期に江戸追放された人

右:三代目豊国(国貞)画 四代目中村歌右衛門
四角くてツリ目に描かれる人だけど、左の海老蔵も似ててわかりにくいw

 ●255歌川国芳・柴田是真合筆 瓢簞に画帖
 ○256歌川国芳・三代歌川豊国合筆 八代目市川団十郎追悼摺物

○257「鼠よけの猫」

「これ貼っておけば、家にねずみ出ないよー!」

●258双龍図

 ○259龍図
 ●260応龍

禽獣図絵

○261「禽獣図絵 龍虎」

●262「禽獣図絵 獅子」

魚づくし

「写実と伝統の間に、西洋画のエッセンス取り入れて新しいの描くよ!」

一連の魚の絵には論文がありましたー
歌川国芳の魚類絵画における「写生」と「写実」

長すぎるので結論のとこまでざっとまとめてみますー

  • 国芳の魚づくしは、水中でおきた一瞬の出来事をとらえる「生態描写」をしようとしてた

  • 当時は、写実的な描き方と伝統的な描き方があり、みんな折衷しようとしてた

  • 魚づくしは、彩色の陰影や波の表現に、写実的ではないが西洋画の影響的なものが見受けられる

  • これは当時の流れの中でも、新たな表現を確立しようという姿勢が見て取れる

○263魚づくし なまず・真鯉

●264魚づくし ふぐに赤えい・金魚に目高

○265魚づくし 岩に取りつく蛸・杭に寄る鮒

●266魚づくし 金魚に目高

下になにかの破片があって、そこに金魚とメダカが集まってる

○267魚づくし 蟹と亀

カニの描き方が首尾の松の絵と似てる

●268魚づくし えびざこ

 ●269鯉の滝のぼり
 ●270雲龍図

○271竹に虎

「竹に虎」は、竹がしなやかでありながら強いことから、強さと柔軟性を持つもののたとえ

戯画

○272「化物忠臣蔵」

忠臣蔵を化物・妖怪が演じているという設定の浮世絵作品

こちらのブログで全部解説してますが、仮名手本忠臣蔵の名前なので、高師直=吉良上野介 以外がわからないですー(。>_<。)

十一段目:討ち入りと吉良の首をとるシーン

○273「百亀家久 かるわざ・四天王の見立」

●274「かゑるづくし」

擬人化された蛙が歌舞伎のさまざまな場面を演じている

○●275「きん魚づくし ぼんぼん」

●276「金魚づくし いかだのり」

●277一頭多体図

●278「欠留人物更紗 十四人のからだにて三十五人にミゆる」

14にん…?
あきらかにもっと顔があるような…?
ワケワカラン\(^o^)/

○279「道外化もの夕涼」

○280「道外狐へん化のけいこ」

狐たち「みんなで変化の練習するよー!」

  • 夜の小川のほとりで、狐たちが変化の稽古をしている

  • 煙管を持って浴衣を着ている狐がみんなに教える感じ

●281「道外獣の雨やどり」

 ○282「道外化もの百物がたり」
 ●283「流行うきよひやうたん へうたんからこま・へうたんなまづ・花見のすいづゝ」

流行猫の狂言づくし

2枚目だけ見つかりませんでした(。>_<。)
1枚目と3枚目はこちらで紹介していますー

●285「流行猫の狂言づくし」団七九郎兵衛ほか

◆左下
忠臣蔵で山賊定九郎が与一兵衛の財布を強奪した場面
…と言われても、ぜんぜんわかんないよ!w

 ●286「流行猫の狂言づくし」いがミのごん太ほか

●287「流行猫の狂言づくし」熊ケ谷次郎直実ほか

◆上三人
歌舞伎役者のとこで紹介した、難波の次郎作(実は石川五右衛門)、吾妻の与四郎(実は真柴久吉)、禿

◆真ん中
平家物語に登場する熊谷直実、左が女房の相模、右は義経

○288「猫の当字」ふぐ

「猫で文字作ったろ!」

「かつを」「なまづ」「たこ」「ふぐ」「うなぎ」の5種類があって、こちらのサイトで全部見れますー

○289猫の源氏 賢木

「源氏物語の登場人物も猫にしたろ! 着物の柄も猫っぽくしたぜぇ!」

●290くつろぐ夏の猫美人たち

○284「流行猫の曲手まり」

○291「猫の曲まり」

「曲芸のチラシの絵を全部猫に変えてみたよ!」

1841年に開催された菊川国丸の曲芸を猫にした絵で、チラシとポーズが同じ

1つ1つの詳細はこちらのサイトで紹介

 ○292「二面朧猫絵」
 ●293猫のお万が飴

○294「猫の左仮」

●295「おぼろ月猫の盛」

「普通に遊郭描いたらあかん言われたから、猫にしたろ! 怒られても、『これ猫ですけど、何かいかんのですか?』 といえばええし!」

吉原の遊郭を猫で描いた絵
着物の柄に猫っぽさを入れたりしている

○●296「流行猫の変化」

「猫にかつらや帽子をかぶせて遊ぼう! 切り取って遊んでね!」

以前「もしも猫展」で同じような絵で遊んできたので、そちらの写真ですー

絵鏡台合かゞ身

●297「絵鏡台合かゞ身」牛若丸・弁慶/かふもり・おにがハら

蝙蝠と鬼瓦?

牛若丸と弁慶でした!

○298「絵鏡台合かゞ身」三福神/へび・かへる・まいまいつぶり

へび、かえる、でんでんむし?

福の神でした!

●299「絵鏡台合かゝ身」猫/しし・みみづく・はんにやあめん

般若の面、みみずく、狛犬?

ねこでした、にゃーん🐱

○300「道外化粧のたわむれ 大森」

○301「道外化粧のたわむれ 花火」

●302「流行うきよひやうたん もんがくひやうたん・せいだかやうたん・こんがらひやうたん」

「ひょうたんで、文覚上人と、金迦羅、 制多伽の二童子を描いたよー!」

なんで瓢箪で描いたのか不明w

 ●303「狸ト狐の遊」

○304「諸鳥やすうりづくし」

○305「雀の百狂 鳥さし」

●306「しんぼふくらべ こゝろの竹沢」

 ●307「こまの竹沢藤治のきゝもの たるまはし」

●308嵌め絵 こま

 ○309かちかち山
 ○310駕籠かきの玩具

●311「流行達磨遊ひ」手が出る足が出る

「ひえええ、作ったダルマが外側ぶちやぶって手足生えてきた!?」

●312「流行達磨遊ひ」蕎麦・首引き

朝比奈三郎義秀

○313「朝比奈三郎義秀小人じま遊」

「なんか俺が主役の物語作られて、小人の国に来ちゃったでー」

●314「朝比奈義秀小人遊」

●315「朝比奈小人嶋遊」

「せっかく作ったでっかい朝比奈像を撤去することになったとか、大名連中の器が小さすぎるねん」(大名行列を見下ろしながら)

  • 1847年に浅草寺に巨大な朝比奈人形の見世物ができた

  • この絵はそれをモチーフにしていて、大名行列を見下ろしている

  • 朝比奈人形は六郷兵庫頭があまりの大きさに江戸城登城の支障になると老中に申し出たことで撤去された

  • 朝比奈は、小人島巡りのエピソードから、小人との取り合わせで描かれることがある

  • 小人が大名行列になっていることから、この件を揶揄しているという説がある

○316「魚の心」

猫の百面相

●317「猫の百面相」荒獅子男之助ほか

国芳「役者絵描いたらダメっていうから、猫で描くよー!」

中央:七代目市川團十郎
右上:四代目中村歌右衛門

四代目中村歌右衛門の死絵
比較するとわかりやすいですー

○318「猫の百面相」忠臣蔵

「猫にして役者描くのええな! 今度は忠臣蔵で描いたろ!」

中央:大星由良之助(大石内蔵助) 五代目沢村宗十郎

●319「似たか金魚」

「歌舞伎役者の顔した人面魚描いたろ! せや、柄は家紋にしたろ!」

  • 亀は四代目中村歌右衛門

  • 金魚の柄は役者の家紋

○320「猫のおどり」

○321「流行猫のおも入」

●322「流行猫の戯 梅が枝無間の真似」

  • 源平合戦の時に梶原景季というイケメンがいて、矢筒に梅の花をさしていた

  • そこから話が広がったのか「梅が枝(うめがえ)」という遊女の愛人がいて、景季の出陣費用300両のために無限地獄に落ちてもいい、といったらしい

  • 梶原景季は武者絵の項目のとこにいた宇治川合戦で佐々木高綱と先陣争いした武将

  • 鎌倉殿の13人でも活躍した梶原景時の息子


●323「流行猫の戯 道行 猫柳淫月影」

猫が演じる歌舞伎のパロディシリーズ。着物の柄や小道具までもが猫の好物になっている。国芳ならではの凝りように、現代の猫好きも感心させられるだろう。さて全ての仕掛けを読みとれるか。七五調の台調は山東京伝の作。【ID Number1993B03834】参考文献:『遊・芸の美』

「流行猫の戯 道行猫柳さかりの月影」

○324「白面笑壁のむだ書」

国芳「天保の改革で役者絵描いたらあかんいうから、壁に描いた落書き風の絵にしたるわ」

●325「当ル奉納願お賀久面」

寄せ絵

○●326「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」

「みんなで集まって朝比奈さん作ったよ!」

  • 有名なコレも実は朝比奈義秀と考えられている

  • 三つ引きの家紋でわかる

大ぜいの人が
よってたかって
とおと いい人をこしらえた
とかく人のことは
人にしてもらわねば
いい人にはならぬ

○327「人かたまつて人になる」

人おおき
人の中にも
人ぞなき
人になれ人
人になせ人

●328「としよりのよふな若い人だ」

いろいろな人がよって
わたしのかほをたてゝおくれで
誠にうれしいよ
人さまのおかげで
よふよふ人らしい
かほになりました≫

●329「人をばかにした人だ」

人の心は
さま/″\なものだ
いろ/\ くろふして
よふ/\ 人一にんまえになった

其面影程能写絵

○330「其面影程能写絵 おかづり」/「ゑびにあかがひ」

○331「其面影程能写絵 猟人にたぬき」/「金魚にひごいッ子」

●332「其面影程能写絵 弁けい」/「たいこもち」

三井寺の鐘を背負っている弁慶

●333「古猫妙術説」

「古猫師匠、ねずみの上手い取り方を教えて下さい!」

ネズミ捕りに失敗した人間と猫が、古猫に教えを乞うてる場面

○334「里すゞめねぐらの仮宿」

「吉原の復興をそのまま描いたら幕府が怒るから、雀にしといたよ!」

●335「龍宮遊さかなげいづくし」

浦島太郎「竜宮城で魚たちの芸見るのたーのしー!」

○336「其まゝ地口 猫飼好五十三疋」

「東海道五十三次の宿場名をダジャレにして猫で描いてくよ! だいぶ厳しい? 野暮なこと言わさんな」

55個全部説明してくれてます、すごいw
そして、無理がありすぎて草w

●337「たとゑ尽の内」

「猫に小判とか猫舌といった慣用句を絵にしてみたよ!」

猫の慣用句を絵で表現している
こちらのサイトで詳しく解説

風俗・情報・資料

 338疱瘡絵 鍾馗

○339「子供あそびのうち 川がり」

○340「新板子供遊びの内 雪あそび」

●341高輪大木戸の大山講と富士講

○342「大漁鯨のにぎわひ」

「嘉永4年に鯨が漂着したよ! 船賃とって鯨見物もしてるよ!」

  • 嘉永4年(1851)に荏原郡大井村御林町の浜辺に漂着した鯨の話題性を重視して急ぎ発行されたものではないかといわれる

  • 船賃とって鯨見物してる

●343「七浦大漁繁昌之図」

「鯨を1匹捕まえれば、7つの漁村が潤うから、鯨漁がんばるぞー!」

  • 鯨漁とそれを見る人々の様子

  • 10隻の船が1頭の鯨を取り囲んでいる

  • 題名の七浦は「鯨一匹捕れば七浦潤う」(鯨一匹で7つの漁村が潤う)の言葉に由来すると思われる

○344「火用心」

「火の元には注意してね! 火の用心のための歌も作ったよ!」

火の用心に関するたくさんの心得と、夜中に火が消えているかを確認している女性の姿が描かれています。

  • 火の元は上にたつ人見まはりて内から火事を出さぬ用心

  • 火のもとは夏とてゆだんせぬがよしもえたつ蚊遣わけて用心

  • 火のもとはふしんの場所のかんなくず焚ちらしたるあとの用心

  • 火の元はきせるちゃうちん火うち箱しそくにつけ木炬燵用心

  • 火のもとは捨るわら灰火けし壺火にゑんのある所の用心

  • 火の為にはしご縄ひも桶つるべ蔵もつ人はいちの用心

  • 火のためにわらし手ぬぐひたすき帯薬に遣ひ常に用心

  • 火のくらに入るは見廻りあしきゆゑ鼠穴などべして用心

  • 火の為に着かへのきものさだめおけすはやといへる時の用心

  • 火のために手おけ水がめ庭の池いつもたやさず水の用心

  • 火のために夜もながすな居風呂の湯も朝こぼせこれも用心

  • 火のときは老人子供病人をけがせぬやうににがす用心

  • 火のときは火のある火ばち火入などあはてて蔵へ入れぬ用心

  • 火のときは宝過去帳諸帳面證文るゐを焼かぬ用心

  • 火のときは極大せつなものならば蔵へ入ずにいたす用心

  • 火のときは盗人多くあるものぞ顔みて荷もつわたす用心

  • 火のときは金銀などにめをかけて大事の命すてぬ用心

○345「風流角力数面」

「ファンデーションの宣伝のためにお相撲さん使うよー!」

  • 当時大流行していた粉白粉「仙女香」の宣伝用に描かれた

  • なんでそうなるのか今だとさっぱりワカランw

  • 人気者をモデルにすれば割となんでもいいのな…

●346「生月鯨太左エ門」

「こちらは、身長227センチ、体重169キロの日本一の巨漢力士、生月 鯨太左エ門だよ! 奥さんは身長たったの100センチ!」

  • 基本的には土俵入りだけで相撲は5番しかとってない(3勝2敗)

  • 名字の生月(いくつき)は出陳地の長崎の生月島から

  • 鯨太左衛門(げいたざえもん)は捕鯨がさかんな地域だったのと、大きいことから

  • 茶店で評判の娘に振られた腹いせに、見世物小屋の身長100センチの女性と結婚した

鬼若力之助

「でかい子供連れてきて土俵入りする興行するで!」

  • 江戸時代の相撲界では、地方から巨人や怪童を集めてきて、一人土俵入りをさせる興行があった

  • 鬼若力之助は1850年11月に初土俵

  • 数え八歳、身長121cm、体重68kgだった

  • こうした子ども力士は、その後正規の力士とならずに引退するのが普通

  • 鬼若は明治5年3月に入幕し、明治7年には「勝ノ浦与一右エ門」と改名し、明治16年5月まで場所をつとめた

  • 最高位は東前頭筆頭

○347「鬼若力之助」

●348「鬼若力之助」

○349「上総国武射郡戸田村産 勝の浦門人 鬼若力之助」

「数え8歳でこれはでかすぎ!」

○350「林屋正蔵工夫の怪談 百物語化物屋敷の図」

  • 「百物語」は、夜中に怖い話を順に語り、100本用意した蠟燭の明かりを一話ごとに消していく怪談噺の会

  • 100話語り終えると、本物の化物が現れるとされた

  • 林家正蔵は、怪談話の名人で、その話で工夫された化け物の住む屋敷を描いている

●351竹沢藤次曲独楽 九尾の狐三国渡

曲芸で有名だった竹沢藤次を描いてて、九尾の狐はたぶんそんなに関係ない
一応、九尾の狐の解説動画を掲載しておきますが、無理に見る必要はないですー

○352竹沢藤次曲独楽 お岩稲荷

「曲独楽廻しの名人の竹沢藤次がお岩稲荷で曲芸やってたから、描いたろ! せっかくお岩稲荷やから、お岩さんの亡霊も描いたろ!」

直接は関係ないけど、曲独楽の動画ですー
すっごーい!ヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。

 ●353「竹沢藤治 三曲うかれの大独楽大仕かけ」

○354「風流人形」

風流人形で調べて出てくるのは日立風流物だけだった…
あってるのかわからない…

○355浅茅ヶ原一ツ家の図

鬼婆「ここに泊まる旅人は殺して強奪するで!」
娘「お母様、もうこんなことはおやめください!」
観音菩薩「悪いことやめさせるために待機しとこ」

  • 浅茅ヶ原と呼ばれる場所に小道があり、旅人はそこを通る必要があった

  • 1軒だけ家があり、夜になると旅人はそこに止めてもらった

  • 実は家には老婆がおり、旅人を歓迎したように見せかけて、寝たところを殺して金品を強奪していた

  • 娘はそれを止めようとしても老婆は聞かず、呼び込みをさせる

  • 999人殺していたある日、稚児が泊まりに来た

  • 老婆はいつもどおり1000人目の旅人を殺したと思ったら、なぜかそれは娘だった

  • 娘は老婆の行いを身を挺して止めるべく稚児と入れ替わっていた

  • 実は稚児は老婆の行いをやめさせようとする観音菩薩の化身だった

  • 老婆は改心しました、めでたしめでたし

娘が死んどるやん、あかんやん!(。>_<。)
観音様も、娘助けてやれよ、と思う…

●356「浅草奥山生人形」

「浅草の方で、まるで生きてるかのような人形が展示されてるよ!」

生人形というめっちゃリアルな人形の興行があったらしい

●357「石橋 早竹虎吉」

「軽業師・早竹虎吉の曲芸ヤバイ! 特に石橋ヤバすぎ! 彼なら世界進出いけるよ!」

4分版くらいから早竹虎吉の解説

  • 軽業師で、日本各地で大道芸をこなし、江戸での人気も高く浮世絵がたくさん擦られた

  • 30人の一座をひきいてアメリカにわたり、サンフランシスコなどでも人気に

  • しかし半年後、体調を崩しアメリカで亡くなってしまう

 ●358「当世人形つくしの内 不動明王 祐天」

●359「てるてる坊主おひよりおどり」

お日和ご祈祷お日和ご祈祷 照り升照り升照らせ升
お天気快晴お天気快晴 お子様方のお手細工
明日はお日和 晴れ升晴れ升
お天気お天気 お日和よりより
滅相なお天気 豪儀なお日和
照り升ますます

○360為朝と疱瘡神

「八丈島で疱瘡神を退治した源為朝の絵を使って、疱瘡に対抗します!」

  • 「疱瘡絵」といわれる疱瘡除けの絵

  • 疱瘡にかかった子供へのお見舞いとして贈られ、回復した後は焼き捨てたり川に流したりした

  • 保元の乱で八丈島に流された為朝が、疱瘡神を退治したため八丈島に疱瘡が流行しなかったという伝説があり、為朝が疱瘡絵に描かれるようになった

同じような絵が存在します

●361「鍾馗散 邪鬼に即功」

「玄宗皇帝の病を退散した俺を貼っとけば、魔除けになるぜぇ!」

  • 鍾馗(しょうき)は、唐の初代皇帝の恩に報いるべく、マラリアでうなされる唐の玄宗の夢に出てきて、病を治してくれた

  • それ以来、魔除けとして門に鍾馗の絵をはるようになったらしい

  • なお、唐の玄宗は名君だったのに、その後に楊貴妃にのめりこんで、国がめちゃくちゃになってしまった

  • 鍾馗はいらんことしてしまったと言わざるを得ないw

●362歌川国貞・溪斎英泉・歌川国芳画 宝船

  • 国芳の兄弟子で当時一番の売れっ子で、若き日の国芳は一方的にライバル視

  • 国貞自身は、国芳のことを「ヨシ」と呼んでかわいがってたらしい

  • 美人画の名手だった

  • 二代目豊国がいる中で、勝手に豊国を名乗ってしまって、面倒だから後の研究者が三代目豊国とすることにしたそうな

 ○363歌川国芳・歌川国貞・歌川広重画 月夜の盗賊・獅子舞・「箱根湖上之不二」

国芳死絵

○364落合芳幾画 国芳死絵

落合芳幾「国芳師匠が亡くなったので肖像画描きます! 弟子にとって師匠の死絵を描くのは素晴らしい誉れです!」

  • 落合芳幾は月岡芳年の兄弟子でライバル関係だった

  • 東京日日新聞(毎日新聞)の発起人

  • 新聞錦絵という新たなジャンルを切り開く

  • 歌舞伎雑誌も創刊して大成功

  • しかしブームが終わると転落し、晩年は事業も画業もうまくいかず、不遇の時代に

  • 浮世絵師ら新聞錦絵や事業家になったのもあって、現在は月岡芳年ほど人気や知名度が高くない

●365歌川芳富画 国芳死絵

歌川芳富は明治維新後、横浜に移住し、異国文化を主題とした「横浜絵」を多く描いた

○●366ニューホフ著 『東西海陸紀行』

国芳「良い蘭学書手に入れたから、絵の参考にしよ! 忠臣蔵の討ち入りとかに使えそう!」

  • ヨハン・ニューホフ(1618-1672)のスケッチ入りの日記をまとめた旅行記

  • 本人の没後に出版

  • 1640年のブラジル赴任以降、バタヴィア、北京、インドと世界各地をめぐった

  • 江戸時代の日本にも来て、当時の蘭学者らにとって最も重要な世界地理情報源のひとつだった

  • 「忠臣蔵十一段目夜討之図」や「二十四孝童子鑑」など、国芳の洋風版画の原図としても利用された

<研究ノート>国芳の洋風版画と蘭書『東西海陸紀行 』の図像

 ○●367「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」板木
 ○●368「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」新摺品
 ○●369八代目市川団十郎の神谷仁右衛門、四代目市川小団次の於岩のぼうこん 板木
 ○●370八代目市川団十郎の神谷仁右衛門、四代目市川小団次の於岩のぼうこん 新摺品

○●371八代目市川団十郎の神谷伊右衛門、四代目市川小団次の於岩のぼうこん

お岩さん「この恨み、はらさでおくべきか~」
伊右衛門「ヒイイイイ」

○●372「浄瑠理尽 神霊矢口渡」下絵

父親「おのれ、新田義峰、ひっとらえてやる!」
娘「やめておくんなまし!」
父親「えーい、止めるならお前も斬る!」

正確には違うと思うけど、たぶんこんな雰囲気

  • お舟はお尋ね者の新田義峰に惚れる、しかも妻がいる

  • お舟はそんなことおかまいなく猛アタック

  • なんだかんだで、父親が義峰夫妻を捉えようとして、お舟は命をかけて止める

  • お舟は死ぬ、ついでに父親も流れ矢にあたって死ぬ

ちゃんとしたあらすじ知りたい場合は、以下のブログで解説しておられますー

 ○●373「雲龍久吉」版下絵

  • 第10代横綱で土俵入りの「雲竜型」という名前で有名

  • 不知火型の土俵入りを考案したと人物とされる

  • 雲竜型と不知火型の名前が入れかわってしまったらしい

 ○●374花見の御女中 版下絵
 ○●375「庭前美撰花」版下絵
 ○●376書簡

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