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流されるまま旅をつづけたなら

もっと流されてもいいのかもしれない。

自分で決めた「行くべき道」にそぐわなければ従わない――そんな頑固さを手放したら、もっと心地よい場所へ流れつける気がする。

やることなすこと全てに「有意義かどうか」を問い、そうでなければ切り捨てる。受験勉強の果てに身に着けた習性が、不自然であることに気づいている。

目の前で起こるありとあらゆる出来事、自分のなかに湧き上がる感情には、すべて「意味」がある。ただ、わたしの頭で考えても、よくわからないだけで。だから、自分の理想に合わないことを焦って切り捨てるよりも、目の前の事象が投げかける課題に淡々と取り組んでみるほうが自然なのかもしれない。

「意義」とは、われわれの「頭」の損得勘定に関係しているものなのですが、他方の「意味」とは、「心=身体」による感覚や感情の喜びによって捉えられるものであり、そこには「味わう」というニュアンスが込められています。

泉谷閑示 著「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」(幻冬舎新書)より

そうして目の前に飛び込んできたことや、ふとやってみたくなったことに手を動かしているうちに、果たすべき役割を果たすことのできる場所へ流れつける気がする。

吉本ばななさんのこの言葉が、ずっとひっかかっている。

日々、大切に生きていて、いつのまにかたどりついたところが自分のいくところであって。「いつのまにかいるところ」以外のところは、ほんとうに自分の行くところじゃないんじゃないのかなと思うんです。

「ウニヒピリのおしゃべり  ほんとうの自分を生きるってどんなこと?」(講談社)より

行き先を頭で設定せずにただ流されるなんて、ほとんどした覚えがない。だから怖くないと言ったら嘘になる。なにせ方向音痴なのだ。スマホのグーグルマップを握りしめていないと、どこにもたどり着ける気がしない。頼りになるガイドに言われるがまま、スマートな成果を求める気持ちをまだ完全に手放せたわけじゃない。

でも、待ってみたい。人生か運命か宇宙かなにかわからないけれど、流してゆく力に身をゆだねたら、どんな場所にたどり着くのか。最短距離の合理的な旅をやめたら、どんな景色がみられるのか。

今のところはなにもみえなくて、油断したら不安に負けそうになる。だけど、「頭で考えた理想に自分を縛ること」、まずはこれとおさらばしたい。


(参考文献)



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深水 ゆきの
最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。