深水 ゆきの

ふかみ ゆきの|臆病で頑固だからこそ、心からの納得を大切にしてきました。あなたがあなたの物語に気づき、向き合うきっかけになれますように。

深水 ゆきの

ふかみ ゆきの|臆病で頑固だからこそ、心からの納得を大切にしてきました。あなたがあなたの物語に気づき、向き合うきっかけになれますように。

マガジン

  • いーよらいふ

    慎重で頑固。でもとびっきり無邪気に笑う。そんな息子(2020年11月生まれ)と過ごす日々のエッセイ。

最近の記事

薄紅色に染まる

「あーばーば、いっぱいよー」 4月上旬、真新しい体操服に身を包んだいーよは、満面の笑みで何かを指さした。 バナナ?いや、そんなわけはないか…。 出会ってまだ10日足らずのはずのこども園の先生に嬉しそうに抱きつき、バイバイと言って、彼はもう駐輪場へつづく扉へと向かっている。 わたしは慌てて、小さなリュックの弾む背中を追う。 * いーよ、3歳4ヶ月。 乗り物が大好きなthe 男子。 窓の外を眺めているかと思えば、「でんしゃ!」「ぶーぶー!」とことあるごとに言っている。 この

    • 小さな花を集めていく

      夏も本番に差し掛かった7月末、どうしても花を育ててみたくなった。しかし、真夏に種をまいて育つ花はそれほど多くないらしい。あれこれ調べた結果、ケイトウという植物に白羽の矢を立てた。耐暑性が高く、初心者でも育てやすいとのこと。種をネットで取り寄せ、早速プランターにまいた。 自分で花を育てるのは、生まれてはじめてだった。密集してしまった芽をおそるおそる間引いたり、葉っぱに白い斑点が出てきたときにはもうダメだ、と絶望したり。 あとは毎朝水やりをして、たまに肥料をあげるだけで、草丈

      • 感情に誠実でありたくて

        湧き上がった感情には、誠実でありたいと思っている。蓋をしてなかったことにしてきた感情たちが、何年も経ってからうんとこじれて、びっくりするほど深いところから発掘される経験を何度もしてきたから、それだけはもうごめんだと思っている。 とはいえ、生活をしていれば日々、多かれ少なかれ心が揺れる。感情に対して誠実でいたいけれど、そこにばかりエネルギーを割けない現実がある。そのうえ厄介なことに、ひとたび向かい合えば感情が感情を呼び、どんどん抜け出せなくなる。蟻地獄みたく、もがけばもがくほ

        • 春の匂いに思うこと

          エッセイは通過点であって、ゴールではないんだ。 本当にやりたいことは……まだ、言えない。一歩も踏み出せていないし、進んでいくうちにやっぱり違った、となるかもしれないから。 そういうわけで、1週間ほど何も書かなかった。 noteからもTwitterからも急に姿を消して、心配をかけた方には申し訳ないかぎり。 最近、「避けては通れない道」の存在をつよく意識するようになった。それは、エッセイを書くことではないと確信した瞬間、更新をつづける意欲が一気にしぼんでしまった。 一方でわ

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        • いーよらいふ
          1本

        記事

          思考は急に止まれない

          頭の中にも、慣性の法則は成り立つのだと思う。 猛スピードで動く車が急には止まれない、あの力。 1歳3ヶ月の息子を連れて久々に、市の施設にでかけた。いろんなおもちゃと絵本があって、赤ちゃんを遊ばせられるこじんまりしたお部屋。 ここ2ヶ月で人見知りが再燃している息子は、案の定たくさん泣いた。だが、1時間ほどしてみんなが片付けに入るころには、少し本領を発揮してボールを追いかけていた。 わたしたちの他にもう1組来ていた。息子と体格は変わらないが、たくさん走ったりおしゃべりしたり

          思考は急に止まれない

          動物としての自分、人間としての自分

          息子のおやつのバナナを買いに、スーパーへ行った。ベビーカーに乗せた息子のお散歩がてら、あまりたくさん買い込むつもりもない。お気楽な買い物だ。 入ってすぐ、キンカンに目が行った。たくさんの苺のパックに囲まれて、小さな黄色いコロコロした果実が、お行儀よく2袋だけ並んでいる。決して安いわけではないし、夫は食べないだろう。これまでなら買わなかったけれど、なぜだか手が伸びた。 その後、ひな祭りの特設売り場に並ぶ桜餅もつい手にしてしまい(これも夫は食べない)、夫の好きなワッフルを言い

          動物としての自分、人間としての自分

          流されるまま旅をつづけたなら

          もっと流されてもいいのかもしれない。 自分で決めた「行くべき道」にそぐわなければ従わない――そんな頑固さを手放したら、もっと心地よい場所へ流れつける気がする。 やることなすこと全てに「有意義かどうか」を問い、そうでなければ切り捨てる。受験勉強の果てに身に着けた習性が、不自然であることに気づいている。 目の前で起こるありとあらゆる出来事、自分のなかに湧き上がる感情には、すべて「意味」がある。ただ、わたしの頭で考えても、よくわからないだけで。だから、自分の理想に合わないこと

          流されるまま旅をつづけたなら

          そのままのあなたが最高だと言えるように

          1歳3ヶ月の息子は、まだひとり歩きをしない。とはいえ、ずりばいもハイハイもなかなかのスピードと力強さだし、ときどきつかまり立ちの手を離している。のっしりといい安定感。でも、そこから足を踏み出そうとはしない。 それに加えて息子は、人見知りが強い。10ヶ月、11ヶ月ごろに一旦弱まったものの、1歳1ヶ月ごろからまた強くなって今に至る。祖父母の来訪で2時間泣きとおしたり、親子教室で45分泣きとおしたり、取り付く島もない泣きっぷりである。みんな気を使って、おもちゃなどで気分を変えよう

          そのままのあなたが最高だと言えるように

          伏線は回収された

          飽きた。 その言葉が一番しっくりくる。 数か月前、これ以上おもしろい営みはないんじゃないかと思ったものに、急速に飽きがきている。 それは、過去の感情と思考を深掘りし、わたしという物語を言葉にすること。 なかったことにしたい過去がたくさんあった。みたくない感情もたくさんあった。見て見ぬふりをしたところに新しい因果が積み重なって、複雑に絡み合っていた。自分でもよくわからない状態だったから、誰かに何かを言われたら、過剰に反応して痛みばかりを感じていた。 そんな状況のなか、育休

          伏線は回収された

          書くというバロメーター

          忙しい日常の中で、忘れていないだろうか。 あなたの好きなもの。嫌いなもの。 今、感じていること。 子育て中のお母さんに、好きなアイスクリームのフレーバーを尋ねたら、返事がなかなか返ってこなかったという話を見かけた。子どもたちの好みを優先するうちに、自分の好きなものを忘れてしまったというお話。 子育てに限らず、仕事でも家事でも学校でも、ほかの人の求めに応じることが大切だとされがちだ。やるべきこと、求められていることを満たすべく奔走する間、自分の好き嫌いも感じていることも、邪

          書くというバロメーター

          書きつづけたいのならば、自分を偽ることはできない

          正午過ぎ、息子のお昼寝時間と夜、家事が終わってから寝るまで。わたしの愛してやまない自由時間だ。こうしてnoteに載せる文章を書いたり、本を読んだり、絵を描いたり、ときには写真データの整理や家計簿入力なんかの事務作業を渋々したり。 やりたいことが渋滞しすぎて、時間が足りない日がある。息子が起きてきたことが、もう寝室に行かなければならないことが、悔しくなるような日。一方で、時間ばかりが気になって、いまひとつ何も楽しめない日もある。どの本を手にとっても面白いと思えず、書きたい文章

          書きつづけたいのならば、自分を偽ることはできない

          誰だって臆病かつ大胆

          赤ちゃんと暮らしていると、人間とはどういう生き物か、ふいに教えられる瞬間がある。 1歳3ヶ月の息子は、慎重で怖がりだ。人見知りも激しく、お店で支払いをするだけでギャン泣きするのは日常茶飯事。掃除機やドライヤーの音に泣き、家の中でもなじみのない部屋には入ることを拒否し、親と知らない人が話すと大泣きする。 だけど彼は、決して臆病なだけではない。お風呂の浴槽に手を伸ばしてぱしゃぱしゃしたり(危ないのでやめてほしい)、ソファの上にのぼってオムツやタオルの入ったかごをひっくり返した

          誰だって臆病かつ大胆

          毎日更新という枷

          ときどき、手段が目的にすり替わる。いつからか、なんてわからない。気づいたら、最初からそうだったような雰囲気でそこにある。 たとえば、noteの毎日更新。ひとつひとつの思考と感情を言葉にすることが、自分にとって心地よい暮らしにつながると信じるから、書きつづけたい。そういう理由だったはずなのに、いつのまにか毎日更新すること自体が大きな顔をして居座っている。 書くためにアンテナを立て、書くことで自分の心と向き合うから、自然と行動力が上がる。やりたいことがぽこんと出てきて、今すぐ

          毎日更新という枷

          書きながら未来を待つ

          書くことをつづけていかねば、と思った。それははじめてのエッセイ本を書きあげた1月初旬のこと。書き言葉を通じることでしか、これほどの深さで自分とつながることはできないのだと悟った。そしてその先で、わたしは心の底からワクワクして行動を起こすことができるのだと知った。 それでちょうどひと月前から、noteの毎日更新をはじめた。つかまえるべき心のふるえにアンテナを張り、それに言葉を与える作業。わたしにとってこれ以上ないほど意味深く、書けば書くほどにやりたいことがどんどん増えていく。

          書きながら未来を待つ

          すべてを満たせなくても

          息子と2人で日中を過ごすことが増えた。1歳2ヶ月まで一緒に育休をとってくれた夫が、職場復帰したから。おのずと1人で回す家事の量が増え、息子を1人で遊ばせておく時間が増えた。 わたしのいるところを敏感に察知しては、やってくる息子。キッチンではあちこちの扉が開くたびに中をのぞきたがり、閉められると怒る。洗面所では、洗面台の水を触りたがるが届かない。廊下につづく扉がひとたび開けば、閉じられるのを嫌がる。 家事をしようとすればするほど、息子は来てほしくない場所に進出する。行動を止

          すべてを満たせなくても

          子どもの自分、大人の自分

          1人の大人の中には、大人の自分と子どもの自分が同居している。使い古されたたとえ話かもしれないけれど、赤ちゃんと共に時間を過ごす今、実感を持って感じている。ごくごく抽象的な話だけど、最近わたしが考えていることを書いてみたい。 拘束されたくない。でも、ひとりぼっちにされたくない。オムツをはきたくない。靴下もズボンもはきたくない。ご飯を食べながらボール遊びもしたい。コップのお茶に指を入れてちゃぷちゃぷしたい。口の中を拭かないでほしい。窓ガラスをなめたい。ジョイントマットの端をはが

          子どもの自分、大人の自分