書きつづけたいのならば、自分を偽ることはできない
正午過ぎ、息子のお昼寝時間と夜、家事が終わってから寝るまで。わたしの愛してやまない自由時間だ。こうしてnoteに載せる文章を書いたり、本を読んだり、絵を描いたり、ときには写真データの整理や家計簿入力なんかの事務作業を渋々したり。
やりたいことが渋滞しすぎて、時間が足りない日がある。息子が起きてきたことが、もう寝室に行かなければならないことが、悔しくなるような日。一方で、時間ばかりが気になって、いまひとつ何も楽しめない日もある。どの本を手にとっても面白いと思えず、書きたい文章は思いつかず、だからといって事務作業をするのは負けた気がするからやりたくない。
昨日はまさにそんな日だった。息子のお昼寝はたっぷり2時間あったけれど、前日に書いておいた文章をnoteに公開してから、時間を持て余した。どうやって、書きたいことをみつけていたんだっけ。どうやって、面白い本を探していたんだっけ。せっかくの自由時間を満喫したいのに、集中できないまま時間だけが過ぎていく。このまま息子のお世話タイムに戻ったら、欲求不満でイライラしそう…。でも、やりたいことがわからない。
一晩経って、ふと気づいた。最近、面白いと思っていたこと。心と頭が夢中になっていたこと。他ならぬそれを隠そうとしていたから、やりたいことがわからなくなったのだ、と。
ホ・オポノポノが気になっている。古代ハワイから伝わる問題解決法で、心や頭の中のアンバランスを正し、もともとの完璧なバランスを取り戻すことを目指すもの。かつてのわたしなら、ちょっと馬鹿にして信じなかったかもしれないし、今のわたしも「証拠はないんだよなぁ」と思っている。科学的な言葉遣いで説明できない、目に見えない世界のお話だ。それゆえに隠したくなった。なかったことにしたくなった。自分が惹かれたという事実を。
一番きらきらしているものを取り上げられて、わたしの心は何をみても弾まなくなった。話を聞いてもらえなくて拗ねてしまった子どものように、次に書きたいこともやりたいこともみつけられなくなった。
どうやら、自分の気持ちをなかったことにしたら、そこで流れがせき止められてしまうらしい。それに惹かれたという事実を思い出し、言葉にすることを試みた瞬間から、急に詰まりはとれて、また新しい言葉がやってくるようになった。
文章を書きつづけたいのならば、自分を偽ることはできないらしい。すべてを公開しないにせよ、自分が自分のすべての面を受け入れることを覚悟しなければ、言葉は簡単に枯渇する。
流れとか本来の自分とか、そういう考え方になるあたり、ホ・オポノポノに影響を受けていることを認めざるをえない今日のわたしである。
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