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没頭を失った日、思い出した日

人生を楽しむコツは、結果よりも過程を満喫することだという。少し背伸びをした難易度の課題に没頭して取り組んでいるとき、時間があっという間に過ぎるのを経験した人も多いだろう。あらゆる心配も期待も忘れて、ただ目の前のことに集中している時間。いわゆる「フロー体験」である。

小さなころは毎日のように没頭できた。遊んでいれば時間が経つのはすぐで、いつも名残惜しく片付けをしていたものだ。一方、成長してからのわたしはいつも「結果」を気にするようになった。出来栄えがイマイチならば、役に立たないならば、それをする価値はない。無駄なことはするまい、と思考でばっさり斬るのが習慣になって、わたしは没頭を失った。


小さなころのような没頭を取り戻したいと望む日々のなか、ふと中学生のころを思い出した。当時のわたしは、パソコンを触るのが大好きだった。無料のサーバーを借りて、いろんなフリーソフトを駆使して、イラストサイトを運営していた。

HTML言語をゼロから書くことはできなかったけれど、少しずつ調べながら、憧れのウェブサイトと同じ構造のものを作ろうと奮闘した。イラストをスキャナで取り込んで、彩色した。訪問者数を数えるカウンターを設置したり、訪問者の属性を解析するタグを組み込んだりした。掲示板やweb拍手なんてツールも使っていた。今となっては懐かしい。

とにかく楽しかった。絵はそれほど上手くなかったし、ウェブサイトのデザインだって今から思えばまったく洗練されていない。だけど、パソコンの中では現実世界でつくるのが難しいものも、何だってつくることができるような気がした。毎日のように、夢中で取り組んでいた。

終わりは急に訪れた。中学2年生のころ、仲の良いクラスメイトと共同で運営していたサイトに、誹謗中傷を書き込まれるようになった。友人と比べてへたくそな、わたしの絵を攻撃するものだった。ひとしきり凹んだり、怒ったりした後、わたしはサイトを彼女に譲り、それっきりイラストを描くのもやめた。

きっとそのときだ。「結果」が伴わなければ、する価値はないと信じるようになったのは。無邪気に没頭していたそれまでの日々を、冷笑するようになったのは。


没頭していた日々の感覚を思い出したのは、今がその状態に近いからかもしれない。出来栄えが少々わるくても、誰の役に立たなくても、もう気にしない。わたしはわたしの感覚を言葉にする行為に、その過程に、のめり込みはじめている。



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最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。