感情に誠実でありたくて
湧き上がった感情には、誠実でありたいと思っている。蓋をしてなかったことにしてきた感情たちが、何年も経ってからうんとこじれて、びっくりするほど深いところから発掘される経験を何度もしてきたから、それだけはもうごめんだと思っている。
とはいえ、生活をしていれば日々、多かれ少なかれ心が揺れる。感情に対して誠実でいたいけれど、そこにばかりエネルギーを割けない現実がある。そのうえ厄介なことに、ひとたび向かい合えば感情が感情を呼び、どんどん抜け出せなくなる。蟻地獄みたく、もがけばもがくほど沈んでいく。
それでも感情をないがしろにしたくないわたしが、最近試した3つのスタンスについてお話ししたい。
① 思考で深掘りする
傷ついた出来事について、その傷の背景にあった固定観念を探り、それを生み出した過去の出来事と紐づけて、整理する方法。エッセイ本を書いているときに編み出した。
思考で解いていくから、納得感をもって感情から抜け出すことができる。謎解きのように、過去と現在のピースがうまく繋がったときには爽快感がある。
難点は、時間も労力もかなり要すること。感情をないがしろにしたくないのは、穏やかに暮らすためだったはずなのに、傷ついたことについてずっと考えていることになりがちだ。本末転倒感が否めない。
② 特定の枠組みで対処する
感情の処理に要する時間と労力を少しでも軽くしたくて、ホ・オポノポノを実践することにした。感情が動いたとき、4つの言葉(ありがとう ごめんなさい 許してください 愛しています)を唱える方法。
ホ・オポノポノについては今回は割愛するけれど、その世界観、4つの言葉を唱えることの裏にある思想に共感した。スピリチュアルなものであり、「あるかどうかはわからない」世界の話だが、「あると仮定」したときにわたしの思考とうまく合致したので取り入れることを決めた形だ。
実践して2週間ほど。感情が動き、思い出される記憶、連想される記憶すべてに対して、4つの言葉を唱えてクリーニングを図る。日常の小さなモヤモヤには対処しやすくなったと感じる場面もあったが、感情が大きく動いた場面ではうまく使いこなせなかった。
連想される記憶ひとつひとつに対して、ホ・オポノポノの思想でどういう意味があるのか、つい考えすぎてしまう。それによってさらに、別の記憶が呼び起こされ、感情の波が静まるどころか大きくなる。結局は①のときと同様に、傷ついたことについてずっと考えることになってしまった。
③ 感情を身体感覚として俯瞰する
②で膨れ上がった感情に手を焼き、それならいっそ何も考えない方がいいのではないか、と思いついた方法。苛立ちや不安が湧き上がっても、それを呼び起こした思考と距離を取る。身体の状態を俯瞰してみている意識を持ち、「胸のあたりがイガイガする」とか「鼓動が速くなっている」とか、そういう身体の状態だけを受け入れる。
これはまだ今日思いついたところで、実践歴が短いので評価に耐えない。だが今のところ、①②では解消できなかった感情の暴走を鎮めることには成功しているので、手ごたえを感じている。
頭で判断せずに事実だけを受け入れるのは、マインドフルネスに通じるものがある。思考で対処せず、身体感覚だけを受け入れることが、感情をないがしろにせず受け入れていることなのだと納得できるかどうかが、この方法の成否に関わりそうだ。
日々揺れる心に誠実に向き合いつつも、暮らしを味わう余力を持っていたい――その願いのために、わたしは試行錯誤を重ねる。感情の波はなくならないけれど、昨日より今日、乗りこなせる時間が長くなればいい。
エッセイ本発売中です。①の取り組みの産物!
(Kindle Unlimited読み放題対象です)