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幼少期からの友だちはどう足掻いても今から構築できない

「団地のふたり」はさまざまなことを考えさせてくれるドラマだ。ということで、最近、このドラマから感化されたことをつらつらと書いている。

1.来夏はなっちゃんスタイルで
2.団地に引っ越しても心配ご無用
3.あんたそういうとこあるよね
4.セーラー服と手投げ弾(てなげだん)

今日で5本め。どんだけ感化されているんだと思う。

本日はなっちゃんとノエチの関係。別れがあれば出会いがあるとはいうが、別れて別々の道を歩んだもののなんだかんだと連絡をとったりあったりするのが腐れ縁、いや友達だ。

その友達の中でも幼少期からの友だちは会う頻度はかなり少ないのに、数年ぶりにあったりしてもすぐに昔に戻れてしまうのが楽しい。しかも、そんなちっさいときからの自分を知っているもんだから、過去の男関係から、自分の嫌なところ、ダメなところ、変なクセ、逆にめちゃくちゃいいところなどなんでもかんでも知っているせいで、かなり的確な指摘をしてくれる。

ことなかれ主義なものであまり人とけんかはしないのだが、この昔ながらの友人にはなんでもかんでも言いたい放題いえるのがまたいい。なっちゃんとノエチもお互いのダメなところを知っているからこそ、けんかしてもある程度ほとぼりが冷めればまたなんとなく元さやにおさまる。

大人になってからの友だちでも、なんでも言い合える友達もいる。しかし、幼少期からの友だちの阿吽の呼吸はどう足掻いても今から構築できるものではない。時間が解決するというが、かけてきた時間が違うのだ。

年齢を重ねるごとに、進学先、就職先が違い、生活スタイルも違ってくる。結婚や出産などを経るとますます時間があわなくなり、共感するものも違い、だんだん連絡も遠のいてくる。でも、ふとしたときに連絡をとり、会うとすぐに昔に戻れる。自分がまだ子供だったころに戻れるのだ。

ある程度、大きなイベントが終わりつつある今、変化のある生活は自分から作りにいかないとなかなか変化は生まれない。テレワークをしていると一日中、家の中でPCに向かい、変化の変もなくなりつつある。人生に彩りどころかモノクロの世界に突入する。

そんなとき昔の友だちにあい、昔のちょっとした事件、事故を話して、あほみたいに笑うと途端に人生っていいもんだな~なんて思うんだから不思議だ。

幼少期からの友人は大枚はていても買えない一生もんの宝ものだ。

ちょっとしたポイント!
足掻くはあがくとよむ。もがくと間違えそうになるが意味が全然違う。
足掻く:活路を見いだそうとして努力する。前に進む
もがく:もがき苦しむというように苦しい状況を逃れようとする
その昔、ばっちり間違えてばっちり指摘された言葉であ~る。


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ゆきんこ
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