老害ならぬ中害かも
母親が
「老害にならないために!」
と購入した内館牧子さんの「老害の人」。
自分はまだまだ老害の人ではないし、読んで共感できるかなと思いきや、自分も若干、当てはまることが多々あり、老害の年齢ではないが中害になっているかもと冷や汗たらり。
は!先がないとは思っていないが、年々、我慢するということが薄れてきて言いたいこと、主張したいことをバンバンいうようになった。
もはや、向かうところ敵なし。
なんだったら切っていただいて構いません的な言い方で、クライアントに食い入ることがある。
このあと面白いことが書いてあった
うまいこと書くな~内館さん!
先がないとなると、どんなに注意しても
「どうせそんなに長くないから」
というのは母。本当にこの本を読んだんだろうか。
自分は長生きしないと決めてかかっている。
「もう年だし、何十年とこうやってきたからいいの」
何がいいのか。注意してくれる人がいるだけありがたいと思ってもらいたい。
近所のいつも暇でウロウロしているおじいちゃんは
「長生きなんてするもんじゃないね」
が口癖。
こういわれて、なんと言われたいのか。
「そんなことないですよ。おじいちゃん、長生きしてくださいね」
と言ってもらいたいのだろうか。わたしもさほど若いとはいいがたい年齢になってきたので、社交辞令がうまくいえない。なので
「長生きってどうやってするんでしょうね」
と意味不明に返答している。結局、おじいちゃんは言っているだけで、別に何も求めていないのだ。
過去の栄光をしゃべりまくるおじいちゃん、孫の話が止まらないおばさんと、本の中に出てきた登場人物のような人たちもいるけれど、近所のおばあちゃんはわたしにとって人生の師匠。
特に農業のノウハウは貴重すぎる情報。
おばあちゃんの知恵袋はたまに、時代遅れ過ぎるものもあるが、有機農業をやる上では目からうろこ。
本を読んで思ったのが高齢者に役割を与える、頼るととたんに生き生きすること。これは高齢者に限ったことじゃなく、自分もやはり仕事がないと
「どうも社会から離されている気がする。自分は必要がない?」
なんて思ってしまうことがある。
役割がないなら目標を与える。これでいくばくかは元気になると思う。実際、母親に
「わたし、お母さんの漬物が食べたいな~。おいしいもん!」
というと
「いつまでも作れるわけじゃないのよ」
と言いつつ、せっせと作り始める。
ということで、親に目標、役割を与えるために、まだまだ甘えようと思う。
いつまでもあると思うな親と金。
とはよくいったものである。