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老害ならぬ中害かも

母親が
「老害にならないために!」
と購入した内館牧子さんの「老害の人」。

自分はまだまだ老害の人ではないし、読んで共感できるかなと思いきや、自分も若干、当てはまることが多々あり、老害の年齢ではないが中害になっているかもと冷や汗たらり。

体力も経済力も思考力もないが、先もない。先がないことは強い。何だってやってやれと思うだろう

老害の人P177 

は!先がないとは思っていないが、年々、我慢するということが薄れてきて言いたいこと、主張したいことをバンバンいうようになった。
もはや、向かうところ敵なし。
なんだったら切っていただいて構いません的な言い方で、クライアントに食い入ることがある。

このあと面白いことが書いてあった

老人と若者は似ている。先がないから突っ走るか、先を考えずに突っ走るか

老害の人P177 

うまいこと書くな~内館さん!

先がないとなると、どんなに注意しても

「どうせそんなに長くないから」
というのは母。本当にこの本を読んだんだろうか。
自分は長生きしないと決めてかかっている。
「もう年だし、何十年とこうやってきたからいいの」

何がいいのか。注意してくれる人がいるだけありがたいと思ってもらいたい。

近所のいつも暇でウロウロしているおじいちゃんは
「長生きなんてするもんじゃないね」
が口癖。

こういわれて、なんと言われたいのか。

「そんなことないですよ。おじいちゃん、長生きしてくださいね」

と言ってもらいたいのだろうか。わたしもさほど若いとはいいがたい年齢になってきたので、社交辞令がうまくいえない。なので

「長生きってどうやってするんでしょうね」

と意味不明に返答している。結局、おじいちゃんは言っているだけで、別に何も求めていないのだ。

過去の栄光をしゃべりまくるおじいちゃん、孫の話が止まらないおばさんと、本の中に出てきた登場人物のような人たちもいるけれど、近所のおばあちゃんはわたしにとって人生の師匠。
特に農業のノウハウは貴重すぎる情報。

おばあちゃんの知恵袋はたまに、時代遅れ過ぎるものもあるが、有機農業をやる上では目からうろこ。

本を読んで思ったのが高齢者に役割を与える、頼るととたんに生き生きすること。これは高齢者に限ったことじゃなく、自分もやはり仕事がないと
「どうも社会から離されている気がする。自分は必要がない?」
なんて思ってしまうことがある。

役割がないなら目標を与える。これでいくばくかは元気になると思う。実際、母親に

「わたし、お母さんの漬物が食べたいな~。おいしいもん!」

というと

「いつまでも作れるわけじゃないのよ」

と言いつつ、せっせと作り始める。

ということで、親に目標、役割を与えるために、まだまだ甘えようと思う。

いつまでもあると思うな親と金。

とはよくいったものである。


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ゆきんこ
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