仕事を続けるか考えるために、キャリアの振り返り
今は会社員としてフルタイム勤務しているのですが、今の仕事を辞めるべきかどうか悩んでいます。
理由は、「毎日、すごく我慢しながら働いているから」です。
現在の会社は4社めで、入社して1年2ヶ月が経過しました。
前職から転職した理由は、
1.父親が倒れ(現在介護サービス付き住宅入居中)たこと、結婚し障がいのある夫を支えていかなければならなくなったことで、何かあったときのためにリモート勤務ができる環境が必要だったこと。※前職は毎日出社
2.将来、夫の状況により海外で働く必要が出るかもしれないため、いつでも移住できるよう外資系の会社にいたい。
主にこの2点でした。
昨年転職したことで、望んだ環境を手にいれることができたと考えていました。ただ、環境優先で選んだ会社は、仕事内容が全く合っていないと日々感じるようになりました。
父や夫に以前ほどサポートが必要でなくなったり、今すぐ移住の可能性がなくなったりで状況が変わったということもあり、今は転職を考えています。
今ふと自分のキャリアを振り返ると、「進むべき方向を間違えたかな」と思うことがあり…。一体なぜそう感じてしまうのか、簡単に振り返って見ようと思います。
やりたいことの解像度が低い就活
私が就活をした時期は、リーマンショック直後でした。私は文系で、ざっくり「グローバルに働きたい」とだけ考え、深く自己分析や業界研究などもせず就活していたところ、案の定、希望していた業界商社や旅行業界はことごとく落ちました。
そんな中、「文系もOKみたいだし、新しいものが好きだし!」と安易に選んで(しかも受かって)しまったのがIT業界でした。
とりあえず手に職をつけて社会人になるという意味では、この選択は間違っていなかったと思っています。国外にも子会社を持つ大手ITベンダの冠がついた会社だったので、潰しのきくITスキルを数年で身に着け、移動するか、転職して英語をつかって海外で働くことも考えていました。
ただ、具体的にその会社に何年いて、どんなITスキルを身につけるのか、どんなプロジェクトに従事したいのか?といった計画やビジョンは全くありませんでした。(業界研究もほぼしていなかったですし‥
今思えば、志望した業界ではなかったにせよ、何年で何を身につけて、いくら貯めて、どのタイミングで海外(どの国)に行くか、ぐらいざっくりした計画は立てておくべきでした。
私の地図なしキャリア航海は、こんな感じで始まりました。
「何でも興味を持てる、好きになれる」自己分析の呪い
とりあえず飛び込んだIT業界でしたが、学生時代に論文執筆でWordしか使ったことのなかった超絶文系の私にとって、IT基盤やプログラミングどころか、ExcelやPowerPointすらも、身に着ける(操作するだけでも)大変な労力を必要としました。
同期の中でも落ちこぼれの烙印を押され、入社後の数年間、それはそれは辛い時期を過ごしました。ただ、この数年間で手厚い研修を提供してもらい、死にものぐるいで耐えた結果、基本的なITリテラシーや知識が身についたことは、今となっては本当によかったと思っています。未経験の会社に入ったとき(明確にやりたいこともないときは特に!)は、手厚い研修をしてくれる大きめの会社に行くことをおすすめします。
その後、様々なプロジェクトをめぐり、とにかくがむしゃらにやりました。あるときは会社で立ち上げたばかりの新しいサービスを展開するプロジェクトに参画したのですが、そのサービスはほとんど売れることなく、社内のお荷物製品と評価されました。このとき、「世の中から、人から、もっと求められるものを作って売っていきたい」という気持ちが強くなりました。結局そのサービスは打ち切られ、次に社内パッケージ開発のプロジェクトに異動しました。が、そこで開発されていたのも、明らかに売れそうにない製品でした。タスクだけ積み上がり、好きでもないプログラミング開発をして、「私いったい何やっているんだろ う」と日々疑問に思いながら遅くまで働き、ある日ついに仕事に行けなくなってしまいました。
地元で療養し、結局会社は8年目で退職しました。
半年ほど実家で療養しましたが、「早く復帰しなければ!」と焦った結果、同じような会社にUターン転職してしまい、また同じように苦手なシステム開発を担当、個人情報を集めるようなシステムを深夜まで作っていたのですが、ついにまた体を壊してしまいました。
仕事を始めて落ちこぼれたとき、上司に「君はこの仕事むいてないよ」と言われました。その言葉を聞いたときは「入社してまだ数年なのに、何でそんなことわかるの!!」と怒りを感じたのですが、今振り返ると上司の言葉は正しかったなと思います。
私は、趣味も多く、好奇心が旺盛で、何にでも興味が持てる性格だと思っていました。パソコンや新しい機器も好きで、タイピングも子どもの早いうちから身に着け、興味を持ったことには深くはまってしまうので、仕事も同じだと思っていました。
そういう思い込みが、自分の中に生まれて大きくなっていた違和感を覆って、見えなくしてしまっていたのかもしれません。
自分の心と体の声を聞き、ガマンの蓋を外す
会社に行けなくなり「うつですね」と医師からはっきり宣言されたときは、ショックで頭が真っ白になりました。まさか私が・・(よく聞く話ですが、私も本当にそうショックを受けました。)
「仕事を始めたら3年は続けろ」とよく聞きますが、今の私が当時の私に会ったら、「今すぐやめて別の道を探せ」と言いますね。
当時の私の日記には、普通に「死にたい」などと書いていますし、外からも相当追い詰められていました。記録している上司の言葉の中にも、今では明らかにパワハラと認定されるようなものがあります。
だから、違和感を見えなくしていた私だけのせいではないはずです。
ただ、どちらにせよ、それらの要因に対して、ひたすら「ガマン」のフタをして働いていました。
ガマンした結果は、達成感どころか、何も無いどころか、壊れた心と体しか残りませんでした。
いま働いている環境は、フルリモートもできるし、周りの人も優秀、自由で理想的です。お給料も申し分ありません。幸いなことにほとんど残業もすることなく働けています。本当に恵まれた環境です。
でも、やっぱりあのときと同じく、「ガマン」しながら働いていると感じています。ガマンして日々を何となくやりこなせば出来てしまうけれど(積み上げたスキルのおかげで1年以上もその調子でなぜか続けられてしまっているけれど)、その先には同じ結果が待っている気がして。
「何で辞めるの?もったいない!」と言われるかもしれないけど、自分のガマンや違和感は自分にしかわからないので、覚悟を決めたいと思います。
安定がなくなるのは怖いけど、自分と家族の穏やかな暮らしを求めて、ひたすら前に進んでいきます。