父の「怒」「哀」の感情と、懐かしい写真と
忘れかけてた、このブログ。
だって、、いろいろ大変だったものだから。
なーんちゃって。
前回、姉妹で父の謎解きをしている日々を書きましたが、
さて、今回は。
姉が、壊れそうになりながらも、がんばっちょる物語。
そう、壊れそうになる程に、頭も体も使ってくれている。もちろん父のことで。
てなことでも、一席。こほん。
我ら父は、本当の歳(88歳)よりも10歳くらい若い。見た目も体力も。
元気はつらつオロナミンC。飲まないけど、ね。
声も大きくはっきりしていて、毎日チリンチリン〜っと自転車に乗り、
そして、365日が食欲の秋。いいぞいいぞ、ビバビバ!
だがしかし、それと反比例なこともあるわけで。
その一つが、感情。
数年前までは見たことのない、父の感情表現。
ポジティブな言い方をすれば、喜怒哀楽が豊かになり、君は欧米人か、、?ってほどに。
笑ったり驚いたりと、ひょうきんな表情を見れば、うふふ、あははと、つられて笑う娘たち。
そんな父を見るのは、楽しいし、嬉しい。
でも、それが違う方向へ行くと、大変なんだ。
喜怒哀楽の真ん中二つ、怒と哀。こいつらが、父を弄んじゃうんだよなぁ、、。
それも、どうしてここでー?!というところで。
そんな時、「喜」と「楽」はシレ〜っとしていて、助けもしてくれない。
なんだよぉ、、。
自分(父)でもどうしてこんな感情が出てしまうのかが、わからないらしい。
でも、ようく見ていると、父の元々の性格が、その「怒」と「哀」の中に見える時がある。
父がちゃんとそこにいて。そして認知がプラスアルファーするかのように、弄ぶ。
プラスアルファー。それはたぶん、感情を自制するバネが、かなり緩くなってきたということなのだろう。ビヨ〜〜ン。
私が大好きな写真がある。
父と姉の写真。
私が生まれる2年くらい前。上野動物園へ行った時の写真。
着ている洋服からすると、もう銀杏の葉っぱが全部散って、師走の足音が聞こえる頃。
写真は動物園でなく、その行きか帰りの上野駅の、切符売り場。
たぶん母が、父が切符を買うときに持たされたであろうカメラから、撮ったもの。
父は姉の目線に合わせてしゃがみ、姉は父をまっすぐに見つめている。
ただそれだけの写真なんだけど。
その白黒の写真は、改札口周辺で人が行き交う中、父と姉だけに流れている時間が見えるようで、私の大好きな一枚なのだ。
姉は、父と母にとっての、初めての子供。
むずがらずいつもゴクゴクとミルクを飲み、夜泣きもせず、寝かしつけるとスッと寝る、とても静かな、育てやすい赤ちゃんだったらしい。
まだ新婚だった両親は、そんな静かに寝ている姉を置いて、二人でそーっと映画とかに行っていたらしい。
「えぇー!赤子を置いて!?」
生前の母に聞いて、びっくりした覚えがある。
父も母も初めての子育て。出来立てほやほやの親。
未知なことがたくさん。喜びも、不安も、希望も、きっとたくさん。
さっきの写真のような、まだ私が生まれる前の家族写真を見る度に、私はなんだかわからないけれど、胸がいっぱいになって、なんとなく幸せを感じる。
私が生まれる前の、私の家族たち。ほやほや感を感じるからなのか、、?
わからないけれど。
どぇ、、。また話ずれていってしまった、、。このまま書いていると北に進んでしまうが、私は西に行きたかったのだ。 、、、、カーナビが欲しい。
20歳ぐらいになった頃からかな、5年に一回くらい思うこと。(大丈夫、西に向かって書いているから、、たぶん)
「幼き娘たちを持った父や母が、
無邪気だった幼少期の姉や私が、
お互いの今この時を見ることができたら、どう思うのだろう?」
って。
若かった両親が描いていた、子供たちへの期待や希望。
幼かった娘たちが夢見ていた、大人への世界や希望。
たぶん、両親の私たちに託した希望や思いは、あまり大成していない。
子供たちへの道標をスルリと無視され、良かれと思ったことはぜんぜん受け取ってもらえず、たくさんと落胆し悲しんだことであろう。(ごめんよ、、)
そして私たち姉妹も、幼い頃に夢見た大人の世界や膨らむ希望を、親にじゃまされないようにあの手この手を使い、迷子になったり、挫けたりして、気がついたら、あらま!大人の世界へようこそ。
時々現れる、父の感情の乱れや、荒い言葉使い。
それは認知の悪戯。
父自身も辛いのだし、尖った痛い言葉だって平気のへっちゃらなの!と、良い子ぶっている私たち姉妹。
だがしかし、、その父の悪戯が、お調子に乗って1日何回も繰り返されたりすると、意外と早くノックダウンされてしまうのだ。
そうなの、強ぶっている娘たちは、意外と虚弱体質。ヨロヨロ、、。
で、数日前に、そのようなことがまた姉の身に。 、、オーノー。
姉から電話があり、ちょっと言葉が詰った涙声の声で、もう大体わかる。
父だな、、。今日はどうやら、きつめの認知忍法を使いよったな、、。
聞くところによると、こんな感じ。
朝から何度も父からのラブコール with 認知忍法、例の、謎の不満と怒りの感情もくっつけて。
父には理由のある不満と怒りでも、姉にとっては寝耳に水。
電話から解放された姉が、仕事前のほっと一息タイムする間もなく、また父からのラブコール。これがその後も何回か続く。そして姉は、仕事の準備もままならず、、。
父はその後も仕事場へ電話の嵐。そして最後にとどめの針をチクリと刺す。ミツバチじゃなくスズメバチぐらいのチクリだな、、。
とうとう姉の目にも涙でござる。
落ち着きを取り戻した姉との電話を切って、なんとなく、私はまたあの写真を頭に浮かべる。
上野駅での、父が姉の目線に合わせてしゃがみ、姉が父をまっすぐに見つめている、あの写真。
あの時の父は、姉にどんな言葉をかけていたのだろう。
あの時の姉は、まっすぐ父を見て、何を思っていたのだろう。
ただ、それだけで、だからってその先の言葉はないんだけど、そんなことを、ぼんやりと思う。
遥か昔の、その時。
人生も終盤期に入った父は毎日、記憶保存のために海馬と奮闘がんばるも、そんな切符売り場での写真のことは、すっぽりすっかりまるっきり忘れている。
えーん、、。
、、ある意味、上のクラスに昇進したのか、私たち家族。
上のクラス イコール 難しいクラス。か?
お互いに、人生それなりに経験してきたけど、また新たに人生のお勉強を一緒にしている。ということなのだろう。、、だな?
この地球に生まれて、この家族に生まれて。
子育て初心者だった、父と母。どんな希望を私たちに託していたのだろう。
生きること初心者だった、姉と私。父と母の苦労をどのくらいわかったつもりでいたのだろう。
そうそう、メディアなどで認知の問題などがよく語られるようになった10年ほど前、父がよく言っていたことがある。
「えー。認知だって?やだねやだね〜〜。ボケちゃったら、あ〜もう、人生お終いだな!」
と。100%他人事のように。自分は絶っ対にならないというような口調で。
その時の父が、今の父を知ったら、どう思うのだろう。
多分、、ショックで即死だな!
今回は、ちょっとだけおセンチになりかけて、それもきっと、曇り空のしっけた空気のせいなの、、
と終わろうかと思ったけど、そうもいかんかったわ!
けっきょく西に行けたのかも、疑問だ、、。
兎にも角にも丸にも、私はそんな二人を傍観してこんなことを書いていることに、なんだか罪の意識。が湧くかと思えば、全然そうでもなかった。すまぬ。
とりあえず、
父は今日も元気に、町内散歩しているはずだし。
姉はだいぶ克服し、涙も乾いたはず。
おしまい。
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