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無いは在るのはじまり

先日、完全に貯金が無くなった。

その途端、友人からお店の手伝いを頼まれ、おばあちゃんから畑の手伝いという名のお駄賃を受け取り…他にもお菓子を作ってほしいとか、頼まれることが増えた。

「手伝い」と書いているのには理由があって、「仕事」は何かの「手伝い」とも言えると思っているからだ。

今この世界で仕事と呼ばれているものは、全て一人だけでは完結しない。相手がいるからサービスが成り立っていて、見てくれている人がいるから作品を作ることができる。(例外もたーくさんあるけど)

となれば、仕事をすることは誰かの手伝いやサポートにつながる。

仕事が忙しくてー、とか、仕事があるから抜けますーとか言ってると、本当の相手の大切さを忘れそうになってしまうから、そのためにも手伝いと言ってるのかもしれない。

だいぶ話が逸れてしまったが、貯金が無くなった私は何故かスッキリした気分だった。

なぜだろう。

私はことあるごとに、全てをゼロにして1から始めたくなる時がある。

無いは在るのはじまり

と思っているからかもしれない。

空いた私の中の隙間に何かが入ってくるのであれば、それは、新しい可能性だ。(当たり前か!)

実は昨日の夕方私の住んでいる地域では雪が降った。私のyukinaという名には雪という漢字が含まれている。

この雪は、雨に彗(ホウキ)を合わせた漢字になる。だから、雪は、ホウキで掃除するように、いろいろなものをきれいにするのだろう。

私は多分無くすのが得意なのだ。(だからか、無くし物、忘れ物をよくする)

だから、私はこの名前なんだ!って、久しぶりに鳥肌が立った。

よし、無いものを欲しがるのはもうやめよう。

皆、名前という大きなプレゼントをもらっているのだから。

この文のオチがだんだんなくなってきているので、そろそろ終わりにしようかと思う。


ちょっとずつ見えている世界がクリアになってきた。

それと同時に、私から見る、人やものの「ふち」と呼ばれている部分が曖昧になってきた。

ヒトも、動物も、植物も、宇宙も、全ては平等で仲間だ。大きなところでは「ふち」はなく、つながっているのかもしれない。

雪がちらつく地元にて。

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