マチュピチュのすすめ
マチュピチュとは
⚫︎15世紀のインカ帝国の遺跡。
⚫︎使われてた時期 : 1440年頃~1533年頃
⚫︎標高 : 2,430m(富士山の五合目くらい)
⚫︎広さ: 総面積5k㎡(東京ドーム約107個分)
⚫︎用途 : 未だに謎が多いが、私のガイドは当時の皇帝の別荘と考えられていると言っていた。
⚫︎住んでいた人 : 皇帝とその家来など800人程度。工事をする人など庶民およそ4,000人はその周りに住んでいた。
⚫︎再発見 : 1533年のスペイン人ペルー侵略時マチュピチュは発見されておらず、1911年にアメリカ人の探検家が別の遺跡を探していて発見し発掘を開始、1913年のナショナルジオグラフィックで特集が組まれて有名になった。
⚫︎名前の由来 :「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を、地名だと勘違いした発掘者が地名として発表したことから定着。
⚫︎世界遺産登録:1983年
マチュピチュの行き方
日本からペルー直行便は無いので、アメリカで乗り換え。
そして、アメリカからマチュピチュに1番近い都市クスコまでも直行便が無いので首都リマで乗り換えです。
日本からだとほぼ丸1日かかるね。
マチュピチュに行く際は是非休憩がてらニューヨークに数日滞在してください♡
私は今回ニューヨークから行ったルートははこちら。
アメリカ ニューヨーク
↓✈️(7時間)
ペルー リマ
↓✈️(1時間)
ペルー クスコ
↓🚗(1時間半)
ペルー オリヤンタイタンポ
↓🚃(1時間半)
ペルーマチュピチュ村/アグアス・カリエンテス
↓🚌(30分)
ペルー マチュピチュ遺跡
ニューヨーク深夜発でマチュピチュ村に夕方に到着、一泊して朝イチで遺跡に行きました。
これだけ見ると移動考えただけで疲れるけど、クスコに着いてしまえば車や電車はそれぞれ1時間ちょいで景色見ながらなのでそんなに苦にはならなかったよ。
因みに今回の旅行は、完全なる思い付きで出発の2週間前に企画。
コロナもあって海外旅行に久しく行っておらず、スペイン語はさっぱり分からないし南米治安悪いって言うし流石に1人でフリーで行くのは無理だと判断し、旅行会社にマチュピチュ遺跡見学と、クスコ市内の観光のみのオーダーメイドプランを作ってもらいました。
オーダーメイドと言ってもパッケージツアーと変わらない金額で、個人ガイドと運転手が付いてスケジュールの融通もきいたので個人的にはかなりお得だったと感じています。
1日目:久しぶりの海外旅行は事件の香り
海外旅行久しぶり過ぎて、ちゃんと現金持っていったのに何故か空港で現地通貨引き出せるカード使えるかな〜って試してみたくなった結果、パスワード間違え過ぎてクレジットカードをATMに飲み込まれ事件に巻き込まれるという最悪なスタートを切りました。
そう。完全なる自業自得。
しかし私はオーダーメイドプラン利用者!
ガイドさんに頼んで管理会社に電話してもらい何とかクレジットカードを取り出せないか交渉!!
まぁ、銀行内の銀行管轄ATMではない為無理でしたけど!!!
旅のしおりの1ページ目に野良ATM使うなって書いてあるよな… と反省しながら出発。
車でクスコ市内を通って電車の駅、オリヤンタイタンポに向かいます。
道中、何ヶ所か見どころスポットで停車してくれた。
オリヤンタイタンボからはペルーレイル又はインカレイルという電車でアグアスカリエンテ、通称マチュピチュ村に向かいます。
2日目:いざマチュピチュ
マチュピチュ遺跡への入場チケットはオンライン又はマチュピチュ村内のチケット売り場で購入出来ます。
コロナ禍で入場制限が厳しくなったそうで、1日に入場できる人数が限られている為、チケット取るの結構大変みたい。
途中マチュピチュ村のチケット売り場を通りがかった際はすごい行列だった。
空きがあれば買える程度なので、絶対オンラインで事前に買って行った方がいい。
因みにマチュピチュ遺跡内は午前中10:30までしか入れない部分もあったので、朝イチのチケットで行くのがオススメ。
2時間制と言われているけれど、別に追い出されたりはしない。
しかし夕焼けとかも綺麗そうだなぁ。
私は朝6時からのチケットだったので、マチュピチュ村を5:30に出発。
マチュピチュ遺跡まではイロハ坂のようなクネクネとした道で、ロデオか?ってくらいガッタガタの砂利道を登ること30分、マチュピチュ遺跡に到着。
ペルーの1月は雨季のため、この日も雨予報。
朝早いこともあり、霧で何も見えない。。
どうにか晴れることを祈りつつ、先ずは秘密の道と呼ばれているインカ帝国時代に作られた道を見にいきます。
この秘密の道は、万が一の時に皇帝が逃げるための道だったと考えられていて、追っ手がいる場合はこの中央下部の木製の橋を壊して追っ手が付いて来られないようにする為のものだそう。
今は危ないので近くには行けず、遠くから見るだけ。
そこまで考えて作られてるってすごいね、インカ帝国。
写真撮ったりしながらゆっくり歩いて帰って来て約2時間。
またメインのマチュピチュ遺跡の方に戻ってきました。
もうそろそろ霧晴れてるかと思ったけど、まだでした。。
この日はマチュピチュしか予定が無く、時間があったので高台でちょっと待機。
ツアーで時間制限があると待てずに霧のまま終わる事もあるらしいので、ゆっくりスケジュールだいじ。
という訳で、ここまで来て霧で何も見えなかったらどうしようかとっても不安でしたが、無事この景色が見られました。本当に嬉しい!!
遠くから見るととても小さく見えますが、上から見下ろしているので見えてない部分が多く、実際はとても大きいです。
その大きさ東京ドーム約107個分!
前述の通りマチュピチュ遺跡は皇帝とその家来などが住んでいた街なので、皇帝の家は勿論、神殿、穀物倉庫などの建物、そして畑として使ったり、神への捧げものを置いたりする段々畑に囲まれています。
途中休憩無しでゆっくり回って、遺跡に入ってから出るまで2時間。インカトレイルも2時間なので遺跡だけで4時間使った。
インカ帝国時代は謎が多いのもあり、突然変異みたいに言われることが多いし、私もそう思っていたけれど、実際は絶大なる武力と権力で近隣の様々な国の技術を合わせて発展させ、大勢の人を使って作業が出来たという権力の成せる技だなと思う。
山の麓から当時利用していた道、インカトレイルでキャンプしながら来る事も可能ですが、それには4日かかるんですよ。
つまり、4日間トレッキングする必要のあるくらい長い道を絶壁の上に石垣を作って舗装し、周りの山にも同様の道を通して神殿や秘密の逃げ道を作り、、って気の遠くなる作業に4000人規模の人員を割くには相当な権力が無いと出来ないですよね。
しかも、いちいち技術がすごいんですよ。
インカ帝国が栄えたのは、日本で言うと応仁の乱から鉄砲伝来くらいまで。
こんな精密な石加工技術と耐震構造に対する理解があったのすごくないですか?
こんなの黒曜石じゃなくてでっかい機械でやるやつじゃん!!
インカ帝国時代の皇帝が街を作るのに大事にしていたのは3つ。
① 場所がいい
② 石がある
③ 水がある
マチュピチュは場所が良くて石もあったけど水がなかったので、山を超えた向こう側の雪山から水を引いているのだけど、未だにマチュピチュ遺跡内の水路には水が流れてるんだよね。すごくないですか。
インカ帝国時代の皇帝の家や神殿などの重要な建物は紙1枚通さないほど綺麗な四角形の石で造られているからとても分かりやすい。
ペルーには有名な太陽神のお祭りインティライミがありますが、インカ帝国はほぼ八百万の神。
太陽神を始め、月の神、大地の神、万物の神、稲妻の神、夕暮れの神、虹の神、星の神など沢山の神様がいたそう。
それだけ自然と近かったからなのか、太陽や宇宙に関する知識も深く、太陽の神殿とよばれる建物は夏至の日の太陽の位置に合わせて窓が造られていたり、東西南北を正確に指す石があったりして、 知識レベルの高さを感じる。
インカ文明は文字を持たなかったと言われているそうだけど、これだけの技術や知識を口頭だけで伝えていたって本当なのか?と思ってしまう。
そんなこんなで、マチュピチュ遺跡は切り立った山の上にあって、上も下も周りの景色が綺麗だし、遺跡もとても見応えありました。
私は山登りの無い1番楽なコースでしたが、なんせ山なので坂道や階段のアップダウン結構あるのと、ゆっくり回ったとは言え朝6時からほぼ歩きっぱなし4時間です。
行くなら体力あるうちに行った方がいい。
クスコに戻る電車は15時台だったので、遺跡から戻ってマチュピチュ村をぶらついてランチ食べる時間もありました。
今回はマチュピチュ遺跡とクスコ市内観光のみで、物足りないかな?と思ってましたが、お陰で霧が晴れるまで待てたり、マチュピチュ村を散歩する時間もあったので良かった。時間の余裕だいじ。(2回目)
時間があったので、ガイドさんが市庁舎に直談判して初代村長の写真を見せてもらいました。
その後マチュピチュよりすこし標高の高いクスコに移動。
疲れてたのもあり、高山病ちょっとキツかった。
頭痛と早足て歩くだけで息切れする感じ。
でもこちとら観光客なので、お腹も空くしホテルでゆっくりなんてしてらんねぇ!!と、街に出ました。
わりと治安は良いらしい。人がいっぱいいる中心部ならこんな暗くても1人で出歩いてて大丈夫だった。
3日目:インカ帝国の中心地で行ってない街のお土産を買う
この日はゆっくりクスコを観光。
クスコは標高3,400mと富士山より少し低いくらいなので、普段より少しゆっくり歩かないと苦しい。
インカ帝国はスペイン人の侵略によって終焉を迎えるのだけれど、インカ帝国がここまで謎に包まれているのは、スペイン人達がインカ帝国の神殿を壊し、美術品や装飾品を奪い、記述文書にはキリスト教や自国の常識をベースに脚色したテキトーな記載をしていたからとも考えられているらしい。
それなのにマチュピチュ遺跡がここまで綺麗に残っているのは、スペイン人が侵略してきた際に見つからなかったからだそうで、インカ帝国時代の首都であったクスコは軒並み神殿を壊されて教会や宮殿を上に建てられたりしているんだよね。
侵略者としては既存の宗教や言語、風習、文化的なものを取り上げるのが相手を支配するのに有効な手段なのかもしれないけど、、なんか野蛮だよね。
インカ帝国の神に似せたキリスト像やマリアの絵もたくさんあって胸が痛んだ。隠れキリシタンのやつ!!
ガイドさんがネイティブペルー人の家系だった事もあり、説明の仕方が侵略され側なんだよね。
スペイン風の装飾や建物は侵略支配の証だからか、その話になるとちょっと語気が陰りがち。
スペイン人侵略後1番に建てられた「勝利」という名前の教会が、ペルーのネイティブの言葉ケチュア語で「涙」という名前の広場にあると聞いた時はちょっと泣いた。(´;ω;`)
インカ帝国はタワンティンスウユ(太陽の4つの州の意)という名前で、クスコを中心に4つの州から成り立っていて、地図がもう太陽なんだよね。かっこいい。
八百万の神が身近な日本に育ち、宇宙の大いなる力的なものを信じてる私としては、インカ帝国は神秘的でありとても親近感を感じる国だった。
天気にも恵まれて太陽の力をいっぱいチャージできたし、異文化や全く知らないもを知る機会を作るって大事だな。 とてもよい気分転換になった。
テンションが上がって帰りの空港でスタバのビーンゼアシリーズというご当地マグカップを買ったら、全然今回の旅に関係ない場所だった!
強いて言うなら帰りのフライトで一旦着陸したけど降りもしなかった場所!!!
最後にオチがついたと思えば、これも旅行の楽しさですかね。
次回はちゃんと行った場所のマグを買いたいと思います。