見出し画像

【映画批評】『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』マンゴールド監督による、ボブ・ディランの実像。音楽映画の最高傑作。

はじめに

「人はどれだけ歩けば人として認められるのか、どれだけ砲弾が飛べば戦争は無くなるのか(「風に吹かれて」歌詞和訳)」
世の中を音楽が変えられると信じられた時代、冷戦や黒人の人権運動を背景に、誰しもが思っていること、願っていることをわかりやすく歌にした男がいた。彼の名はボブ・ディラン。そして彼は、自分が民衆の代弁者であるが故に、苦悩することになる。

ボブディランの映画は、これまでも制作されてきたが、どうやってフォーク歌手・ボブ・ディランが形成されていったのか、その過程を前半で描いていくアプローチが今作初めてで、天才の苦悩を描いた後半とも相まって、音楽映画史上傑作映画になった。

本作は、フォークソングの先駆者であるボブ・ディランの半生を、『17歳の肖像』、『フォードV Sフェラーリー』、『ローガン』、『インディージョーンズ5 運命のダイヤル』などを手がけたジェームズ・マンゴールド監督が映画化。『君の名前で僕を呼んで』から一気にスターダムを登ってきた、今一番乗りに乗っている若手実力派イケメン俳優のティモシー・シャラメが、若かれし頃のボブ・ディランを演じる。アカデミー賞部門ノミネート。ティモシー・シャラメの主演男優賞が最有力とされている。

物語

1961年の冬、わずか10ドルだけをポケットにニューヨークへと降り立った青年ボブ・ディラン。恋人のシルヴィや音楽上のパートナーである女性フォーク歌手のジョーン・バエズ、そして彼の才能を認めるウディ・ガスリーやピート・シーガーら先輩ミュージシャンたちと出会ったディランは、時代の変化に呼応するフォークミュージックシーンの中で、次第にその魅了と歌声で世間の注目を集めていく。やがて「フォーク界のプリンス」「若者の代弁者」などと祭り上げられるようになるが、そのことに次第に違和感を抱くようになるディラン。高まる名声に反して自分の進む道に悩む彼は、1965年7月25日、ある決断をする。

映画com

ストーリーについて

天才であるが故の悲劇。それが本作のテーマである。本作のジェームズ・マンゴールド監督は重厚な演出で知られるが、今回は、ボブディランの知られざる駆け出しの時代から始まり、ロックに転向した有名になった頃を題材に天才の性、その苦悩や運命というのを重厚に描き出す。

前半は今まで明かされなかった、ニューオリンズの若者が、いかにしてボブ・ディランになったかという話。みんなの代弁者であるボブディランは、社会の問題や個人の問題を言葉で表現できる。それは、聴く人々の中にもとももあるものだが、それを聴いている人は、それを歌にすることだけでなく、言葉にすることさえできない。ボブ・ディランは、師匠や恋人など色々な人に助けられ、彼は有名になっていく。

後半は、フォークからロックへ転向したボブ・ディランが、自分がボブ・ディランであることに苦悩して、今まで自分を助けてくれた人々と上手くいかなくなる話。
エレキギターを弾き、バンドを編成すると、今度はフォークの人たちから裏切り者だと言われる。ロックなんか資本主義の犬だとなってしまう。前半が、人生における曲を生み出すことの喜びを描いているとしたら、後半は、人生における天才の苦悩を描いている。それが、マンゴールドの手によって等身大の人間としても描けている。

今回、監督がボブ・ディラン本人に実際に会って、その脚本を読んでもらったり、打ち合わせをしていることで彼の知られざる時代をリアルに描いている。しかし、決してボブディランに媚びたわけではなく、ボブディランの酷いところもたくさん描いているため、よくこれをボブディランは許したなと感じた。
ボブディランも恐らく本作の脚本を読みながら、心が痛くなったり、「あの時こんなことだったな、あの時こうすればよかったな」と、思ったに違いない。ボブディラン本人にも取材している為、嘘がない。

彼の歌を聴く者たちは、彼の歌に自分自身を重ね合わせているが、彼の虚像を彼自身に求めるようになっていく。しかし、彼は、その重圧に耐えることができない。自分が自分という型にはハマりたくないということ。彼は、ただ音楽をやりたいだけ。彼にとってはロックもフォークも関係なく、ただ自分の音楽を求めて変わってきた。いつまでも同じ方法であり続けるのが変わり続けたりで、そこで周囲とのギャップが生まれ、昔お世話になった人々、自分を助けてくれた人たち、押し上げてくれた人たちとうまくいかなくなる。

主人公が没落する様は、同じシャラメ主演の『デューン砂の惑星 part2』を思わせる。今回の後半の芝居というのはまさにデューンものそのものだった。ヒーローだった主人公がダークサイドに落ちてしまう。奇しくもマンゴールドは、スターウォーズ新作が控えている。

出演者について

最初は、ティモシー・シャラメ演じるボブ・ディランに少し違和感があった。なんだか子供がちんちくりんの大人の衣装を着ているような気がした。しかし、だんだんシャラメが役に合ってきた。今回は、シャラメがすべてボブ・ディランの曲を歌っている。ボブ・ディランは、即興的に歌うため、ちょっとテンポが速くなったりするが、そういう表層的な部分を俳優が真似してるわけではなく、ボブディランの心を自分の中に取り込んでやってるため、ボブディランを歌ってるような感じがする。演奏シーンにも注目である。

今回、共演がエドワード・ノートンやエル・ファンニング。エドワードノートンは、ボブディランの理解者であり、師匠を演じる。エル・ファンニングは、お姉さんがダコタ・ファンニングと言って子役の頃から姉妹で女優をやっていて、日本でいえば上白石姉妹のような感じ。そのエルファンニングが、今回キーパーソンの女の子で出てくる。

本作の問題点

今回はボブ・ディランのことを知らない友人が映画を見て、全く主人公に共感ができないと言った。「彼が何者で何に悩んでいるのかがわからない」と。では何が問題なのか、それは本作の魅力と表裏一体である。

ボブディランというのは、みんなの代弁者である。みんなが心に秘めていたり、社会の中にある問題点だとか葛藤だとかを言葉にする才能が誰よりもある。曲を聴いて「そう、人々はそれを共感して私も考えたことがある」とは思うが、自分でボブディランみたいな曲を作れる才能はない。だからボブディランの中に自分というものを当てはめたり、理想を持ってしまう。

ということは、本作はボブディランがみんなの心の代弁者だということをお客さんが知ってないと成立しない。ということは、ボブディランの曲を聴いたことがない人が観に行っても何のことかわからない。歌詞に字幕は出ているけど、彼はその歌詞でそれでも難しかったらしい。

今回はボブ・ディランに会うという、僕らが日頃聴いていて、ボブ・ディランってこういう人間なのかなってそこから想像している。そのボブディランに実際に会うことができ、そして映画自体がボブ・ディランの歌のようになっている。

ボブ・ディランの曲を知らないと彼の葛藤がわからない。それは本作が、彼の音楽性自体を体現した映画だからだ。

本作のスタッフワークについて

映画自体は一つのフォークソングのようになっているが、撮影や美術も素晴らしい。今回、主役のシャラメがすべてのボブディランの曲を歌った。若干声がちょっと高いシャラメが低めに歌った。すべて撮影時の一発撮りの全部生音だけ。要するに即興演奏みたいな要素をマルチカムの撮影で実現した。

撮影監督は、『フォードV Sフェラーリ』や『インディジョーンズ 運命のダイヤル』などを手がけたマンゴールドの片腕フェドン・パパマイケル。彼はオレンジ色が非常にうまい。映画のエモーショナルさっていうのはやはりオレンジ色が重要だろうというのを彼が今撮影監督で最も体感している。オレンジ色は、デビッド・フィンチャーやウディ・アレンも好きだが、インディー・ジョーンズの場合は、もともとオレンジ色の映画だったので、それをすごくオレンジ色を再現することができたというのが5さlくめで監督が変わった映画の成功の要因の一つだった。今回も、オレンジ色で1960年台の世界を映し出したのが、素晴らしかった。

美術も、昔のニューヨークの街並みを再現し、ミュージシャンやアーティストが集まる街のリアリズムを上手く描き出した。

マンゴールド監督への絶対的な安心感。

ジェームズ・マンゴールドという名前を聞くと、その作品に安心ができる。彼の名前はとても信頼が持てるブランドイメージである。彼は、『インディジョーンズ』や『フォード V Sフェラーリ』、『ローガン』のようなエンタメから『17歳の肖像』のような人間ドラマまで幅広いが、やはり、すごく職人的だけども、すごく人間を描くことができる監督である。アクション映画とかアメリカンコミック映画とか、もともとあるものとか、多種多様なものをやるんだけど、全部面白いよね。なんで面白いのかというと、全部そこが違うんだけれども、1貫しているのが人間の性という人生のその人間のがすごく能力が高い人が多くて、能力が高い上に、なんで人生においてもそれが感性となって悩んでいるというのがすごくうまい監督だから、天才の苦悩というのを凡人にもわかるように描くという、それがすごくうまくて、それが一貫しているからどんな作品も描くことができる。

マンゴールドは、人生における人間の苦しみや悲しみを描くことができる。映画作りのプロセスを楽しみながら、コントロールすることができる監督だし、幅広いエンターテインメントから自分ができることをやることができる監督である。

クリストファー・ノーランのような天才アーティスト監督ではなく、職人気質¥だが、ずっしりとし、重厚で作風が決まっていながら、どんな映画にも対応できるという素晴らしい監督である。インディジョーンズの5作目もディズニーなって監督変わったが、それもうまくやってた。今回ボブディランをやる方法論をやるって聞いたときは、絶対この人なら大丈夫だと思ったというのは、マンゴールドというのが、やはり天才を描くのがうまいというのと、お客さん目線で見ることができるというので、信頼度が高い。今作も彼の代表作の一つとなった。

総括

フォークソングや芸術、音楽が世の中を変えていけると信じていた時代があり、そのときの音楽の強みというのは素晴らしい。
現在、そういうことを信じられない世の中になってしまった時に、こういうボブディランというのが今も生きていて、その人が人間としてどう悩んで、どういうふうにしてこの音楽が作られていったのかということを掘り下げていったということは、すごく意義があることである。

世の中を変えていったフォークというものを映画にしたことで、映画自体も世の中を変える能力というのを持っていて、世の中を変えてきた、しかし、その限界はあった。だからこそ、本作もそのの限界ことの闘いの映画というふうにも捉えられる。

本作は、アカデミー賞を果たして受賞できるのか。

演出☆☆☆☆☆
映像☆☆☆☆☆
物語☆☆☆☆
テーマ☆☆☆☆☆

95点


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集