「右大臣実朝」のこと
太宰治の長編小説「右大臣実朝」。鎌倉第3代将軍実朝が右大臣に任官された翌月の1月、鶴岡八幡宮での祝いの拝賀の最中に暗殺された20年後、生前仕えていた近習が、聞き手である「あなた」に過日の将軍家実朝について語り始める。
近習の語りは、幕府権力への畏敬がそのまま実朝への偶像と神聖とに同化されながら、生き身の実朝の実像に迫っていく。しかし一文一文息が長い長広舌の多弁は慇懃にすぎ、どこかユーモラスで失笑してしまう。また一方では、巷の伝聞や邪推がちりばめられ、虚像にも象られていく。これらの文言も太宰らしいユーモアや皮肉に彩られ、作中笑うことが多い晴れやかな実朝と重なっていく。のちに「方丈記」「無名抄」を記した鴨長明が登場するが、しかしこれとて世俗への欲と妄執を捨てきれない滑稽なおかしみある老骨として描写されている。源家嫡流は実朝を最後に途絶えたが、この命運を他ならぬ実朝自身ひとりで担い、非業の死を遂げた悲傷の影は薄く、それをまるで意に介しない明澄で透徹無双の実朝がここにいる。
実朝は壇ノ浦合戦がお気に入りだったとある。平家滅亡の運命を悟った知盛が「からからと」笑った有名な場面を聞いた実朝は、平家ハ、アカルイ。アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。と言っては笑いをこぼす。目に閉ざされ、操ることができない巨大な運命に立ち向かうとき、潔い清らかな笑いで身を委ねる姿が、あたかも神性を帯びたカナ交じりのこの実朝のセリフに浮かび上がってくる。あるいは知盛同様、滅びの運命を見通した貴公子将軍実朝であろう。見たことを感じるままに直截に歌った実朝の和歌をして「正しい姿」とあるが、それこそ運命論者の笑う実朝の真の姿ではなかったか。
小説は近習の口を借りながら、「吾妻鏡」を解釈翻案する構成だが、大雪積もる1月の暗殺に関しては述べられていない。最後は「承久軍物語」と「増鏡」の引用で閉じられる。読後漂う言い知れぬ余韻のなかに、ともすれば実朝の儚い生涯が映し出されもするが、しかしその余白には、消尽すべく運命を予見していたかの微笑と笑い声が響いてくるようでならなかった。その笑いのうちに歴史の波間に消えていった太宰描く鎌倉右大臣実朝、いや、笑いの明るさゆえに才華哀れに儚しというべきか。
アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。