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錆びついた銀色の時代

「足利室町時代は銀色の時代、しかも錆びついた銀色の時代である」との文句に惹かれた、原勝郎博士の著書。博士は西田や和辻と同時期の歴史家で、その論考に伴走する名文健筆は現代でもなお色褪せはしない。

国や民族氏族の興亡は、現在から振り返るにそれらが実在したことを思えばなんとも哀れを催すものだが、しかし零落し没落しつつあるものの目にはあらゆる事物が錆びた銀色に見えるのではなかろうか。栄華富貴をきわめたならなおのこと、赤錆びの銀色の世界として目に映るだろう。失われた人々、闇に葬られ忘れられた人、物語から消えては行方知れずになった人、それらの記憶と再生はとても好きなテーマでもあった。

ここにひとつ。最後の足利将軍、15代義昭が都を追われ、朝倉家の庇護に投ぜんと琵琶湖を渡るときに詠んだとされる「蘆花浅水秋」の句を引いてみよう。

「江湖に落莫して、暗に愁いを結ぶ。孤舟の一夜、思い悠々。天公もまた、吾が生を慰するや否や。月白し、蘆花浅水の秋。」

陽も権も落日の宵のうち、ここにはきわめて美しい錆びついた銀色がチラチラ儚げに映り、そうして消えゆく者の俤を言葉なきまま見届けるばかりである。


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