西に寂光院につながった晶子の二首

(自分は一切の詩心がないために、また一葉の死後にその床しさを非難したこともあって)晶子があまり好きになれなかった。しかしいくつもの短歌を読んでいると、なぜか急にしみじみと心に沁みるものがあった。

春ゆふべそぼふる雨の大原や花に狐の寂光院じゃっこういん
小扇こおうぎ

春の夕にしとしと雨が降っている。それでも咲いている桜のしたを見やると、一匹の狐がうとうとしている。えもいわれぬ大原寂光院。

単にその景色を写生しているのではなく、晶子の眼がとらえ、心に映ったものが実に幻想的/美的にうたわれている。大原→花→狐とクローズアップしていき、最後は寂光院という体言止めで視界が一気に広がる。そこにあるのは、ひとえに春の一風景なのではなく、春の情趣そのものなのだろう。しかし寂光院といえば、壇ノ浦に沈んだ幼帝安徳帝の母、建礼門院が隠棲した悲しみの地であり、また狐といえば、古来より神秘的/夢幻的な動物、なんとも古典的で幻視的な美が支配的にみえる。寂光院がたんなる場所でも、狐がただの動物でもないように感じる。

さらに最晩年の一首

君がある西のかたよりしみじみと憐れむごとく夕日さす時
「白桜集」

「君」とは昭和10年に急逝した夫、鉄幹のこととされる。鉄幹の死後、晶子は健康を損ね、病に臥すこともあったというが、これはそのときに詠んだもの。「西の方」とは仏教の西方浄土のことで、鉄幹は仏門の出であったため、西の空に眠っているとうたい、その安らかなまなざしがそのまま西日に同化されている(と、私は感じた)。でもこれは説明不要なほど、それこそしみじみとスーッと心にはいってくる。陽が落ちるとともに、歌人の命もまたいつかは消えていくという晶子の哀切な心情が、静かに息を吐くように一気にうたわれたのではなかろうか。

大原寂光院で世を閉じた奇瑞の建礼門院と、一方では清貧を貴び懸命に激しく生きた晶子が重なり合うような気がして、まるで短歌が分からなかった私は、晶子がとても好きになった。


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