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「私のことを誰も知らない遠くの場所に行きたい……」

「自分のことを誰も知らない遠くの場所に行きたい……」
皆さんはそんな風に、何もかも捨てて、思ったことがあるだろうか?

町田その子さん著『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を読んで、私は再確認した事がある。

私は以前まで、旅行好きだと勘違いしていた。私の知らない、新しい場所を観るのが好きなんだ……と思っていた。でも、子供を産んでから旅行があまり好きではなくなった。子連れだと、荷物は多いし、やたらと小さな事件が起きて面倒だからだ。

そして、この本を読んで私自身勘違いしていることに気づいた。

私は旅行が好きだった訳ではない、誰も私の事を知らない所に行きたかったんだ、と。

私は良く一人になりたくなる。ふらっとどこか遠くへ行きたくなる。何もかも捨てて……

現実的には無理なことは分かっている。子供たちを置いていけるわけがない!でも、夢見ることは、、、ある。

考えてみれば、子供の頃からそうだった。電車に乗って誰も知らない所に行きたいなぁってよく思っていた。今もその気持ちは失せる事なく、逆に強まっているかのよう……


現実は無理なのに、今こうやって強く思うのには、理由がある。

娘が退院してから、私の機嫌を伺う『確認行動』、所謂私の機嫌に対する『強迫性障害』だと気付いたからだ。

娘は元々、ウイルスに対しての強迫性障害を持っており、家族が風邪にかかっていないか、逐一私に確認する。
段々と、私に対してもそうするようになって来た。

「ねえねえ、お母さん!」
と娘は私を呼ぶのだ。何も用事がないのに……

以前は、「私の側に居たくて何でも良いから話かけてるんだな!☺️可愛い❤️」

なんて思っていたけど、退院してから、何回呼ぶの?しかも用ないのに……って思うようになり、

呼ばれても機嫌伺いだな、と分かると、振り向いて「な~に?」と訊いてはみるものの、すぐに娘の所から去ってしまう自分がいた。
ハッと気付いた時にはもう娘は私の行動や発言全てを気にしていた。

そんな風に思うようになってから、私は一人になりたいなぁ~と強く思うようになっていった。
すると、私の気持ちと逆走するように、娘はもっと私に執着するようになった。

逃げては追いかけてきての繰り返しで、

我が子なのに、こんな状態、絶対良くない!

ってずっと思っていた。



ある時、また娘は私の機嫌を伺った。

怒ってもないし、イライラもしてないのに、機嫌を伺われるといい気分しない。今まで我慢していたが、その時の私は、我慢出来ず、口から出てしまった。

「お母さんの機嫌を伺うのやめて!」

それから娘は、伺わなくなった。
「ねえねえ、お母さん!」も言わなくなった。
私がずっとべったり一緒じゃなくて、自分の時間もほしいとお願いすると、時間を作ってくれるようになった。

私は娘に我慢させている……。病気の娘にひどいことを言ってしまっているのに、彼女は、それを受け入れてくれた。

何だか、どっちが病んでるのか分からない……


でも、胸の奥にあって、いつも刺さるように痛かった気持ちは、病んでしまいそうって思うのなら、声に出してしまう方が良い……と思う。保身の為に。
結果は自分の思い通りに行かなくても……

怪我の痛みの我慢ってどこまでも出来るのに
心の痛みの我慢って意外と出来ない……

私が弱いだけか………

はぁ、こんな自分が嫌だな……

自分が嫌いだから、
誰も私の知らない遠くの場所で違う自分になりたくて、
『自分を好き』と言える人生を送りたくて、現実的にはこの歳でやり直しなんて利かないのに、
私は時々思ってしまう……


「私のことを誰も知らない遠くの場所に行きたい………」

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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