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この障害を抱える人達の辛さを痛感した

『自閉症を生きた少女』を読んだ。
きっかけは図書館でたまたま見つけたのだけれど、娘の現状を自閉症を抱えた他の人はどう乗り越えたのか気になったからだ。
今、娘は幻聴や幻覚に悩まされており、私はどうしようもできないでいる。娘はそれにより頭痛、睡眠障害が起き、毎日毎日生きるのに必死だ。

この本は自閉症スペクトラムの筆者が経験し感じた回想録(小学校篇)であり、筆者も生きるのに必死だった。周りに自分の行動を理解してもらえない事からいじめへと発展し、自分の都合しか考えない大人によって傷付き苦しんで、生きている意味、自分の存在意義が分からなくなって、でも生きる事を諦めないで必死に藻掻いている………というような話だ。
この本の彼女の周りの環境があまりにも悪く、終始心が抉り取られるような感覚に陥り……私には読み進めるのがとても苦しかった。

でも気付かされる事も多かった。実際、娘の事を一番理解しているのは私だと思いこんでいたのだが、少しズレてたな、と思う部分も確かにあった。
こんな風に感じていたんだ、こんなに苦しいんだ、と自閉症スペクトラムの特性から感じ方まで書かれてあり、本人思考ではあるが、自閉症スペクトラム当事者の考え方が覗えたのは勉強になった。


娘自身、自ら取り除けない、うるさ過ぎる騒音に耐えながら、元気に振る舞っていても、夜になると不安と辛さで涙を流すこともある。
私達がぐっすり寝ている間も、騒音による頭痛が一晩中続き、興奮状態の脳までもが疲れ果てる明け方にようやく眠れるのだそうだ。
こんなのおかしくなりそうなのは私にだって容易に想像出来る。 

幻覚や幻聴で生活もままならない状態、
そして、日常生活をきちんと送る事が出来ず社会から取り残されているという感覚……

辛いだろう、とは想像出来るだけで、私にはやはり娘の本当の辛さまでは計り知れない。誰にも分からない。本人にしか、その辛さは分からないだろう。

筆者は周りからの理解不足から「死んだら楽になるだろうな」と何度も考えがよぎる場面に遭遇するが、自閉症スペクトラムによる様々な症状によって、そんなふうに自己を否定せざる負えない状況にまで落ち込ませるこの社会が憎らしい!

娘も、自分は馬鹿だし、何も出来ないし、と諦めてるし、最近では娘は、生まれ変わったらこんなことしてみたい!あんなことしてみたい!と、来世に期待を寄せるようになった。

現世を諦めてる娘。
いつ死んでも後悔ない、と、それくらい必死に毎日生きてるから!という娘。
このような考えになってしまったのは、幻聴が原因だけど、この本の彼女の幻聴は苦しみを伴うものではなく、寧ろ救いの手であったように、幻聴は人それぞれで、娘のように、怖い、恐ろしい幻聴や幻覚は、私も含め、理解に乏しい周りの環境が一因ではないだろうかと思う。

筆者が語っていた文章を紹介したい。


この障害は、出来ることと出来ないことが混在していて、鮮やかなコントラストになっている。
言葉が喋れず、人前ではいつも体を揺らしているあの子が素晴らしい絵を描くこともあるだろう。爪を噛む事に執着して、爪が全部なくなってしまうような異常な行動しか取らない子供が、誰も思い浮かばなかった画期的な経済理論の数式を発見することもあるだろう。
その子が幼ければ幼いほど、正しい教育を受けていなければいないほど、その可能性は滑稽で、みっともなく、恥ずかしい、不恰好なものにみえる。
だけど、不恰好にしかみえなくても、それは『可能性』なのだ。
なぜなら激しく隆起を繰り返し、山と谷を交互に作り出すこの障害は、深い谷底を作ると同時に、青空に突き刺さるほどの高い山も、その分築くのだから。
その山の頂きを削り取ることなく、そこから見る光景を目にすることができるかどうかは、傍らに寄り添うあなた達次第だ。


自閉症であっても、否、自閉症であったからこそ功績を残した偉人も沢山いる。
例えば、発明王で有名なエジソンや、相対性理論を完成させたアインシュタイン、芸術家で言えば、モーツァルト、レオナルド・ダ・ヴィンチ、最近の方で言えば、アップル創設者のスティーブ•ジョブズやビル•ゲイツもそうである。
彼らは、彼らの周囲がうまく才能を引き出してくれたからこそ、素晴らしい才能を発揮できたのだと思う。

だからといって、周りの人が自閉症の子供達に才能を引き出すために頑張りましょう。と言っているのではない。

私はただ、
何かに拘りを持ってる子、喋るのが苦手な子、じっとしていられない子、それらが滑稽な事ではなく色んな子がいて当たり前で、出来ること出来ないことが人それぞれあって当たり前で、人それぞれ大小関係なく何か苦しみを抱えて生きてるのも当たり前なんだ、と言いたい。

こんな当たり前が風通し良く通る世の中になってほしいな、と私は願う。

そして、去年頑張って単位を取ろうと毎回A判定を目指して頑張っていた娘が、急に机に向かえなくなった娘のように、生活がままならないほど苦しんでいる人達が社会から取り残される不安を少しでも抱えなくていいような、温かな社会が当たり前であって欲しい。

これから続編の思春期篇も読もうと思う。

 

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