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切り替えられるようになった、私。と、切り替えることができず、引きずり続ける母親。

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今日は、真面目なことを書きます。


先日、実は、家族で、久々に衝突しました。

大喧嘩を、しました。。…

事の発端は、私がいつものように、母親との会話のやりとりの中で、母親がすごく突拍子もない面白いことを言ったので、それを復唱して、「え?それっておかしくない?」と、笑いながら聞き返したことが、母の逆鱗に触れ、母親が大爆発し大激怒した、という流れです。。

私の母親は、周り方の普通?と呼ばれている人間と比べると、少しだけ、いやだいぶ変わり者の母親なんです。が、捉えようによると、人とあまりにも違うことをしでかすので、すごく面白い人間だ!、とも、捉えることができるのです。

それは、私の母親の素晴らしい個性です。

発達障害の人にとっては、あるあるだと思います。

私も、そのうちのひとり。です。…

ある日、たわいもない会話をしていたら、私が話して言っている内容と、母親がその話を聞いて、コメントを返す内容が、全く一致しておらず、私が、「お母さん、内容が全然伝わってないね…。ふふふ。。」と、笑いながらいつものように、ツッコミを入れました。父親もそれにつられて、いつものように一緒に苦笑いをしました。今までの、いつもの母親なら、そんなことは聞き流して、むしろ、「えー!?、なにがそんなにおかしいのー??」と、笑い返してくるくらいの内容だったにも関わらず、その時の母親は、突然、、

「もういいっっ!!!💢💢💢うるさいっっ!!!💢💢💢私を、いつもいつも、そうやって馬鹿にしてーっっっ!!!💢💢💢うるさいっっ!!!💢💢💢もういいっっ!!💢💢💢」と、私が小さい時にずっと浴び続けていた、あの突然の大音量の、父と母が大きな夫婦喧嘩する、面前DVの時の罵声と同じ声色で、私に食ってかかってきました…。。

その突然の出来事に、私は、大パニックに陥り、そして、脳内がフラッシュバックを起こし、心が、ものすごく傷ついていることに気がつきました…。。、

幼少期からの今までの私なら、この苦しみは、私さえ我慢すれば、事はおさまるんだ…、、と、そのあまりにも苦しすぎるこの感情を押し殺し、それを抑え込み、私だけその傷を背負って生きる、という生活を送ってきました。

しかし、その結果が、今、愛着障害や境界性パーソナリティ障害、アダルトチルドレンという、病を抱える事に繋がったのだと、思っています…。

今は、その病気をしっかりと受け止めて、受け入れ、その病気を改善するべく、毎回毎回頑張ってカウンセリング、医師との診察に、真剣に挑んで対面しています。

カウンセラーにいつも言われることは、「あなたが思ったこと、傷ついたこと、あなたが感じたことを、これからは全て吐き出していきましょう。今まで、それができなかったわけですから、、これからは頑張って吐き出す!という練習を、どんどん繰り返していきましょう。」と言われるので、己の感情を吐き出す、という訓練を、いつも心がけて生活しています。

そして、その時に、私が思いついたこと。

それは、この何にも言い難いこの苦しみを、もういい加減、母親にも実際に味わってもらわないと、この感情はずっとずっと、これからも伝わらない…。。と、心の底から、思いました。

そこで、私は、

「…うるさい…、うるさいだと…、、⁇

そのセリフは、こっちのセリフだわーーーーーー!!!!!!💢💢💢💢💢💢💢」

と、リビングの扉に向かって立ち上がり、リビングの扉をガンガンガンガンと開け閉めして、扉が壊れてしまうのではないかというほどに、強く取手を握りしめ、ガンガンガンガンその扉を開けては閉めてを繰り返し、とてつもない大音量のその音を立て続けました…。。。

そして、父親が、止めに入ってきました…。。

「〇〇…落ち着け…、、ごめんな、〇〇はびっくりしたんだよな…、、とにかく、一旦、、落ち着こう…、、座って、話そう…。。」

と、私と、その扉の間に父が入り、私の行動を、阻止してきました。

その後、少し時間を置いて、己に返り、少しだけ冷静になった私は、大人しくリビングの机の前に座り、上がり切った息を、鎮めていました…。。

そして、父親と母親と、話し合いました…。

「今までは、私が我慢して、それでおさまってきたけど、もうこれからは、そうはさせない。お前にも、同じように、急に大きな声を出されることが、どれだけ怖く、恐怖に包まれ、どれほどに心が傷つくのか、ということを、もういい加減に、知ってもらい、実感して、わかってもらわないと、私はもう、納得しない。もう、私は、これからは、我慢しないんだ。カウンセラーの先生に、いつも言われてるから。」

と母親に告げました。

母親も、私と同じく、聴覚過敏をもっているので、大きい音が、すごい苦手なんです。

それをわかっていて、敢えて、私は、それを、母親にしました。

こんなに苦しいんだ、ということを、母親は、実感したようです…。。

母親は、憔悴しきっていました…。。

私は、その日のうちに、というか、話し合いが終わった時点で、父親が、「ごめんな、」と私に言ってきたので、初めは赦せませんでしたが、最後には、「もういいよ、」と、その件に関しては、母親が私にしたことを、赦す。ということが、できました。これは、私がこれまで、訓練を積み重ねてきた、結果なんです…。。以前は私も、それができず、一旦、何かしら事件が起きると、何週間も、口を聞かず、無口でむつーっとした無表情で過ごす、というやり方でしか、生きることができませんでした…。。

しかし。。。

主治医に、私がこれまで、散々言われ続けてきたこと。

それは、


「〇〇さん、相手を、赦す。ということ。覚えましょう。」

です…。。

私が、幼少期から父親母親の毎日朝から晩まで起きる、激しい面前DV、、そして、母親からの私だけに毎日のように浴びせられる、脳を萎縮させる原因の、家族、親族の悪口ばかりの、一対一の精神的虐待、、潔癖、完璧主義…の押し付け…

これが、この過去が、今の私の病気の原因となり、私は一切何も悪いことをしていないのにも関わらず、むしろ、父母を一生懸命助けていたのにも関わらず、私だけこんなに苦しめられる病気にさせられたことが、1ミリも赦すことができず、、ずーっと泣いてばかりの闘病生活を送ってきました。

しかし、ある日、私の主治医が、頃合を見たときに、私にそう言ったのです。

「〇〇さん、赦すということが、大切です。」

「赦すことが、、すべての始まりなんです。」

と…。

あぁ、、人間、誰しも、失敗をするもんな…。。

お母さんは昔は、右も左もわからないところに嫁ぎ、誰ひとり味方がいなくて、私しか、味方がいないと思い込み、私にだけ、集中攻撃をしてきたけど、お母さんもお母さんで、その時は、もう目一杯で、苦しすぎて、助けを、誰かの助けを、必要としていたんだ…。

それが、私しか、いなかったんだ…。。

お母さんも、そのときは、すごい、大変だったんだ…。。

と、思えるようになってきて、少しずつ、少しずつ、両親のことを、赦す。ということが、できるようになってきたんです。。

事が起きても、傷が癒えない時間は、私も、「許さない!!」と、言い続けますが、両親が、本当に反省して、私に謝罪しているとわかったら、

「いいよ…。」

と言えるステージまで、成長する事が、できたのです。。

それは、カウンセラーや主治医、地活の相談員、私の姉や父親に、

「すごく〇〇は、成長したな、、…。」

と、褒められるように、なりました。

なので、私は、今回も、初めは赦せなかったけど、1時間くらい話し合って、その終わりには、いいよ、と、赦すことができ、次の日には、気持ちをリセットして、いつも通りの生活を送ることができていたのです…。。

、、が…、、。

…、、母親は、違いました…。。


一日経っても、四日目になっても、ずーーーっと、むつーっとした表情を貫き通し、何を話すにも、つんけんとした話し方で話し、私が話しかけ、言うことなすこと、全てに対して、否定的な言葉を、浴びせ続けてきたのです…。。

これです…。。

昔から、変わらない、母親。

昔から、ぜんっぜん、変わっていない、

我、母親…。。。

私は、自分を変える努力をして、ここまできたのに、、それを、これっぽっちも、しようともしない、母親…。。、

でも、先生には、宣告されていたのです。。

「〇〇さん、言っとくけど、お母さんは、変わらないよ。〇〇さんが、変わらないと何も変わらない。だから、〇〇さん、がんばろう。がんばって、変わっていこう。」と…。。

母親が変わらないという事実は聞かされていたものの、ここまで変わらないと、私も、限界が来る時があります。

そして、共依存をなくすために、お母さんは無視!!と、主治医に言われていますが、一つ屋根の下に暮らしている以上、完全に無視する!!ということは、私にとっては、不可能に近いです。別の家に暮らしていたら、離れられるので、別に放っておけばいい、という気持ちにもなれます。が、一つ屋根の下は、私には、無理です!!。

なので、また、今日、話し合いました。。

涙が、自然に流れてきてしまったので…。。

「お母さんの様子がおかしくて、私苦しい。」

父親も同じことを思っていました。

「お父さんも、お母さんがそんな態度や様子だと、苦しいよ。」と…。。

母親は、

「私、様子おかしかった⁇隠してたつもりなんだけど、、普通に家事もちゃんとしたよ⁇なのに、おかしかった⁇」

と母は言いました。

父と私は口を揃えていいました。

「おかしかった。」と…。

そして、また1時間以上かけて、話し合った結果、同じことの繰り返しですが、母にも、感情を溜めず、吐き出す、という努力をしてもらうことを、また約束しました。これは、何回目だろう…と思うほどですが…。

発達障害からくる、何でもすぐに忘れちゃう、という側面を持った母親には、何度も同じことを伝える、という方法しか、ありません…。。きっと…。

なので、何回も、繰り返します。

何回も傷つきます。

何回も、同じことを言います。

そんな日々を、実は、送っています…。、

正直、疲れます…。、

メンタルが、やられます。。

自然に、体力も、奪われます。。

なので、普通に生活するのが、難しい、、という問題が、発生します…。。

失敗の繰り返し。

赦す、ということの繰り返し。

これからも、続くでしょう。。

その度に、乗り越えていくしか、

ありませんね…。。

赦してなかったら、とっくの昔に、私は、両親を刺し殺していると思います。。

まぁ、そのせいもあって、過去には、色々大変なこともあり、入院も、何度も何度も、繰り返したんですけどね…。。。。

仕方ないです…。。

この病気を克服するまでは…。。

これからも、私の闘病生活は、続きます。

以上。







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