大事をとることが少し許されるようになった最近
最近の日本の世の中の流れの中で、私にとってありがたいな〜
というかまあ、それが一般的になってほしいな〜
ということがある。
それが、「大事をとります」と堂々と言うことが許されるようになる世の中!
私は大事をとりたいときには大事をとりたいと思うし、自分のその時の状態を自分に問うて状況を判断して、そのときに必要なことを用意してあげたいと思っている。
ただ、それは今まではたいがい「さぼり」や「うそ」、「がんばりが足りない」と言われてきたし、それで一緒にいてもらえなくなって、離れていってしまう人もいた。
たしかに、私の場合は大事をとりたいときが人より多いのは自覚していて、昔はそれをうまくセルフコントロールできていなかったし、伝えるためのコミュニケーションが下手だったこともある。
それでも、我慢したり、それを伝えないほうが、逆に不誠実な向き合い方なんじゃないかと思っていた。
今は、こんなご時世もあり、体調が悪くて大事をとるというのは、言いやすくなっていると思う。学校や仕事、友達と遊ぶにしても。
ただ、精神的に調子が悪くて大事をとるというのは、まだやっぱり言いにくい社会なんだなと感じることが往々にしてある。
大学生のとき、カナダに交換留学させてもらった。
カナダは寒い国で、冬が長くて、それはイコールで日照時間が短い。
そこに影響されて、メンタルダウンする人も多いらしく、でもそれが当たり前の現象として扱われていた。
あっけらかんと、大学の薬局で「気持ちがしんどいのでサプリ下さい」や、友達同士で「最近、うつっぽくて病院に行ってきたー」とか言っている人がそこらじゅうにいた。
また、大学内で公式にメンタルヘルスに関する啓発活動があったり、セラピードッグを派遣してくれていたりした。
その場ではなんとなく、日本人留学生同士でもそういった話題を日本にいるときよりも開示しやすくなった。
そこであらためて、環境って大切だなと実感した。
今、せっかく無理することが美徳とされる風潮が少し減ってきているからこそ、自分の状態について、心身共に自分で自分のために考えられる人たち、環境が増えるといいなと切に思う。
それでも、自分ではどうしようもできない病気や特性、ましてや感染で「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」とまずは言うべきといった風潮は変わっていない気がする。
もちろん、周りの人への影響を考えない自分勝手な行動や、倫理観の大幅なずれは違うだろとつっこむだろうし、その境界線は難しいのだけど。
私は自分のために、大事をとってあげたいと思うことが多くあったからこそ、自分にとってなにが大切なのか、なにを大切にしたいのか、より自分を知ることができた気がしている。
そして、だからこそ、私を大切にしてくれる人がそうじゃないかの感度も高まってきた気がする。
加えて、私は大切にしたい人たちに、あなたのことを大切にしたいと思っているということもよりだいじだと考えて伝えられている気がする。
ばかみたいに容易なまとめ方になってしまうかもしれないけど、もっと寛容な社会になったらいいなと思うし、少なくとも私からそれを始めたい。
少しずつ、少しずつ、実行中!
そして、みんなにとって「大事をとりたい」と思ったときには「大事をとります!」と堂々と言える環境がありますように。