過去にも”意志”を。
過去にあった辛いことや思い出したくないことって、普段は思い出さないのにふとした瞬間に浮かんでくる。たいていは何となく気持ちが沈んでいる時に、思い出される。
忘れてしまった方が楽なのかもしれない。でも、忘れたいことほど忘れられないのが人間なのか。自分の記憶の片隅に、いつまでも残り続ける。
そっと蓋をしてみる。カラフルな飴玉が入った瓶に蓋をするように、過去のできごとをぎゅっと詰め込んで、ふんわり蓋をする。見ようと思えば見れるけれど、「あえて、見ない」という自分の意志だ。
全ては、自分で決められる。過去のことに蓋をして、これからのことだけを考えることも、蓋を開けて、向き合おうとすることも。全ては、自由だ。
*
「過去は変えられない」。だから今から過去を見て、「あれは、こういう経験だった」とポジティブに変換することもできる。だけどそれは同時に、ネガティブに変換することもできる、と言える。
意図せず、ネガティブに変換してしまう。そうするともともとの事実よりも、より辛さが増した状態で保存されてしまうことがあるような気がする。そう保存された記憶は、きっとさらに自分を苦しめる。
場合によっては自分なりの解釈を加える前に、ただの事実として保存できたらいいのかもな。
いったんそのまま冷凍保存。
しばらくの間、寝かせておく。
そうしてカチコチになってしまえば、いざ扱いたいと思った時に、溶かす時間が必要になる。溶かす時間を使って、ゆっくりそのことに向き合ってみる。
冷凍保存すると、うまみが増す食材もあるんだよなぁ。キノコとか。
辛かった過去もいったん寝かせることで、もしかしたら熟成することもあるかもしれないなぁ。そうなったらいいんだけどな。
*
過去の経験や記憶をコントロールすることは、きっと言うほど簡単じゃない。
でも自分の中にあるものだから、できなくない。そこには自分以外の誰も介入することができないから。
どう保存し、どのように思考し、どう解釈するのか、すべて自分の中で起こっていることだから、きっと選べる。
それは相手に対して言葉を選ぶのと同じように、自分に対して言葉を選ぶということなのだろう。
語り掛ける言葉によって、進みたい方向にも、進みたくない方向にも進んでいけてしまう。
「寝かせる」「見つめる」「対話する」…。向き合い方はいろいろありそう。
その時の自分に最適な方法で向きあうことができたらいいな。記憶の彼方へ忘れ去られてしまうのではなく、過去に対しても何らかの意志は持ち続けたい。
そんなわけで、今日はここまで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?