書き方は、自由だから。
読んでもらえるというのは、とても嬉しいことで。
有名人でも何でもない、本当に何者でもない私の文章を読んでもらえるって、奇跡に近いんじゃないだろうか。
でも、何者でもないからこそ読んでもらえるのかな。
私自身も読むときにそう思うもんな。
この世界で生きている一人ひとりの、日常を切り取った物語がおもしろいと思うから。
読んでもらえるにつれて、自分の中でハードルが上がっていくような気がちょっとだけしている。「ちゃんと書かなきゃいけない」というプレッシャー。これは以前にやめたはずなんだけど。「べき思考」が出てくるなぁ。
書かなくても、誰にも、何にも、責められない。だから、本当は書かなくてもいい。
でも書きたい。
矛盾している。たぶん「言葉にする」という作業が、とても好きになっちゃったんだよなぁ。
だから何も書くことがないとしても、何かを書きたいという気持ちがあることも本当で。すごく変だなぁ。でも書きたい。
昨日友達とオンラインでお話した。その友達のことは超尊敬している。これまで周りからしてもらったことに心から感謝をして、何か還元したい、循環させていきたい、誰かの人生が1ミリでも良くなってほしいと願って、いつもアクティブに行動している。
自己犠牲ではなく、感謝からくる返礼、ギフト。
友達は「魂が磨かれていく感覚がある」と表現していた。周りに感謝して徳を積めば積むほど、魂がピカピカになる。逆に、曇る日もあるそうで。
私はまだまだ魂が曇ってしまうなと思った。ピカピカっと輝いているときもあれば、曇り、くすんでしまっている日も。そんなとき弱いなぁと思ってしまうけれど、そんなに簡単に輝かせられないものなんだ、とも思う。
書くことがなくても、中身がなくても、書きたいと思うのは、「魂を磨きたい」と思う気持ちがあるからなんだろうか。
いや「磨きたい」よりは、「曇りを少しでもなくしたい」という気持ちの方が強いかもしれない。心の中を、書いて、出す。そのことで少しだけ、曇ってしまった部分を、きゅきゅっときれいにできるような。そんな感覚。
そういう書き方でもいいのか。
残したいでもなく、伝えたいでもなく、心の曇りを少しでもなくしておきたい。と思って書く。
書き方は、自由だから。