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神話解体新書 古事記 国生み1

原文
於其嶋天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。於是、問其妹伊邪那美命曰「汝身者、如何成。」答曰「吾身者、成成不成合處一處在。」爾伊邪那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土、生奈何。」訓生、云宇牟。下效此。伊邪那美命答曰「然善。」爾伊邪那岐命詔「然者、吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比此七字以音。」
如此之期、乃詔「汝者自右廻逢、我者自左廻逢。」約竟廻時、伊邪那美命、先言「阿那邇夜志愛上袁登古袁。此十字以音、下效此。」後伊邪那岐命言「阿那邇夜志愛上袁登賣袁。」各言竟之後、告其妹曰「女人先言、不良。」雖然、久美度邇此四字以音興而生子、水蛭子、此子者入葦船而流去。次生淡嶋、是亦不入子之例。

その島(淤能碁呂島)に天降りまして天之御柱を見立て、八尋殿を見立てたまいき。
ここに、その妹伊邪那美命に
「汝が身は如何になれる」と問いたまえば
「吾が身は成り成りて成り会わざるところ一処あり」
と答えたまいき。
ここに伊邪那岐命詔りたまわく
「吾が身は成り成りて成り余れるところ一処あり。かれ、この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り会わざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さんと思う。生むこと如何に」(生は宇牟と訓する)と詔りたまえば、伊邪那美命「しか善けむ」と答えたまいき。

ここに伊邪那岐命「然らば、吾に汝とこの天之御柱を行き廻り逢いて、美斗能麻具波比(みとのまぐわい)せむと詔りたまいき。
かく期りてすなわち
「汝は右より廻り逢え。我は左より廻り逢わむ」と詔りたまい、約りおえて廻ります時、伊邪那美命先に「阿那邇夜志愛上袁登古袁(あなにやしえおとこお)(音読みする)」と言いたまい、後に伊邪那岐命「阿那邇夜志愛上袁登賣袁(あなにやしえおとめを)」と詔りたまいき。

空を記録し続けた麻布(蓆)を分析して
天之矛先が沈む場所
北極星ベガ
天之御中主(黄極)
こぐま座α
を結ぶ柱を描く。
現在の東経137度ライン。
これが古代の中心線となる。
地球を東西に分断する南北の線。
現在ではグリニッジ天文台に移行した、子午線である。
昨日と今日、今日と明日の境。日付け変更線。
新年を迎える場所が決まった。
この線上には、南極老人星カノープ、近くにシリウス、オリオン座ペテルギウスがあり、非常に華やかなラインとなる。光神の道と呼んでも大袈裟ではないと思う。

さらに八尋殿を作る。
八尋は両手を広げた長さ。
中心から両手を広げ円を描いた。

伊邪那岐と伊邪那美の問いかけは
北の星(北極星周囲)の観測と南の星(周極星から南)の観測結果を合わせること。
季節毎の星の図を作ること。
北の星は北極星を中心に反時計廻り(左廻り)に見える。
南の星は時計廻り(右廻り)である。
観測境界が凸凹しているためこれを合わせる。

新年となる星の配置を基準に季節を作り生じたのが水蛭子(ひるこ)である。
久美度邇(くみどに)興こして生まれたとある。
これは葦船に入れて流した。
その次の淡島を生んだが、これも子に含めず。

水蛭子は「ひるこ」「見日入る北」
久美度邇「くみどに」組み処(夫婦の寝室)
夏の太陽の軌道は北寄りで、夏至の日に沈む場所が最も北になる。
その場所に目印となる星を当てようとしたが、法則性のない星になったため、目印として採用せず。
葦舟に入れて流した

また淡島は、淡は水と炎からなる。
お盆である。送り火を水に流し、季節に入れなかった。 

また、七夕の起源はここにある。
新年の時を合わせる為にベガとアルタイルが使用された。
故に、一年に一度、時を合わせる意味が込められたのではなかろうか。






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