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神話解体新書 古事記 番外編1
古事記を読み、天文との関わりを発見したが、まだ道は遠く説明不足の所が至る所にある。
いったん整理する必要を感じた。
まず前提。
星図を生み出したのは、BC12000年頃縄文時代早期の日本人。
場所は富山県を中心とした一帯。
飛騨、富山、能登、長野辺り。
夜空に地形図を投影して作り出した。
水の時期と場所を伝える手段でもあった。
星図と地形はシンクロしている。
歴史的には、アッシリア・バビロニアに起源があると言われるが、ルーツは日本にあるようだ。
それを可能にしたのは日本アルプスの地形であった。
また、星の条件が良かった。
北極星は輝くベガ。
観測が花開く下地となった。
最終氷期を終え、暖かい環境になり食料調達が楽になった事も一因だろう。
天文学の夜明けである。
縄を情報手段とする方法が発達し、記録方法も飛躍を遂げた。
数学の発展の歴史も絡んでくる。
星図を作る動機は、季節と時間を明らかにすること。
星と星を結んで線を作り、目印にした。
星(玉)そのもの同様に、線が重要。
それが建(尾指す)=剣。
星を写しだす鏡。
珠、剣、鏡の三種の神器は、「時を導く為」の道具である。
その中でも水の時を知らせる意味が大きい。
特に秋にこだわっている。
夕暮れと秋、太陽の力が衰える時間
光と闇
その狭間の薄明の時間に一番観測条件が良かった。
この時間の主役は、宵の水星、宵の明星金星。三日月。
この話は、また後で出てくる。
御嶽山噴火により星図作りが中断していた間に進んだのは惑星観測と潮汐力。
地底の動きの観測を進めていた。
鍾乳洞の中で何かしら地底と天体との関わりを発見したのだろう。
伊邪那美が死に歴史から隠された扉は、地底世界への扉。
だが、それは表面上の話。
場所を変え、姿を変えて活躍が始まる。
三貴子登場から、天文学の黄金時代への第二ステージが始まる。
御嶽山噴火により中断されていた観測は、