郎女から読み解く古代史
郎女(いらつめ)
若い女性をさす言葉
万葉集の女性歌人に使用されている。
大伴坂上郎女、石川郎女、巨勢郎女。
だが、引っかかる。
「郎」の漢字の意味は、良士の意味で、官僚、男子に用いる。だが、女郎という字にも当てられる。
この経緯を推測する。
「いらつめ」と言う発音から「色」が関係するようである。
色
人の後ろにまた人がおり、抱く形で相交る。男女の事を言う字である。よって、女郎に用いられるのだろう。彩色の事を古では采といった。采女は後宮で仕える女性である(各地の有力者の才色兼備な娘達)
では、郎女である。これは素直に、男女と解釈すべきだろう。官僚として男装し働いていた女性。これが、郎女であったのではなかろうか。髭さえつければ、男として扱われた。
私は聖徳太子も、郎女であったように思う。
聖徳太子は、観音菩薩にも重ねられるくらい中性的、女性的な容姿で描かれる。他の皇子達とは別の家で暮らしていたのも、女性であったからだと思う。
さらに、10人の人の言葉を聞く事ができたと言うエピソードは、エンパス能力のなせる技であったのではなかろうか(伝書鳩を用いて各地の情報収集を行なっていた側面もある)。古代、地震の予知を最初にしたのは聖徳太子と言われる。
つまり、聖徳太子は、シャマンであり、官僚であった。
ここで、最近すでに存在が疑われる聖徳太子が、何を行なったかを推測した。
神都の引っ越し。
古代、神都は、長野県大町に存在していた。伊都国である。だが、中国大陸など歴史の情勢を考えて、山の中から遷都する必要性が生じた。伊都国の存在は、戸隠(渡りを隠す)と共に消されて、長野の善光寺を建立した。新たなる神都は、越の氷見である。この新たな神都が上宮なので、聖徳太子の別名が上宮王になる。
古事記の伊邪那岐の黄泉の国探訪の箇所にあたる。伊邪那岐と伊邪那美は、喧嘩別れして、伊邪那岐は黄泉国の入り口を塞ぐのである。これまで何度か書いたが、黄泉比良坂は、よもつ=四方津の場所であり、長野安曇野である。伊邪那美は切り離された。神州は信州へと地位を落とした。
聖徳太子は別名豊聡耳。
耳に非常に関係する。
耳は「聞く」。何を?神の声を。
さらに、万葉集によく番(つがい)の鳥が登場する。これは雌雄の鳥がそれぞれ集団を形成する様を示す。神の国は女性集団、政の国を男性集団が統治。
つまり、女性である巫女は神の国ー高志西部を統治。男性である天皇は政の国奈良飛鳥を統治した。
古代日本は二重統治国家になっていた。
そして、この科野一帯に残る女性集団の文化が時代を超えて残り、女武者ー巴御前を生んだ。上杉謙信にも女性説があるのである。古代女性は決して、男性の下の存在ではなかった。
そして、女性達が本名を明かさず諱を使う意味。本名を知られるとは、魂の自由を奪われる事を意味するから。石川郎女、大伴坂上郎女の本名は?おそらく、額田王、柿本人麻呂として宮廷歌人として存在していた。そしてその名すら、本名ではない。彼女らの存在は、実態不明の鵺なのである。
大国主は歌った
青山に鵺は鳴きと。
青山とは?立山と言われる。
倭建の歌
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多々那豆久 阿袁加岐
夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
やまとは国のまほろば たたなずく青垣 山隠れる
やまと地 うるわし
この歌は、スサノオの読んだ八雲立つ出雲と対になっている。
八重垣と青垣、夜麻登の国を隠したと。そう読んだ歌です。本当の夜麻登は歴史から消されたのです。