「大阪の子どもだから」じゃないんだよなぁ

外国語の授業で漫才をやったり、落語をやったりしている。その話をすると、他府県の人から必ず「さすが大阪の子たちですね」と言われる。次に「うちの子たちには無理ですね」と言われることも多い。本当にそうなのだろうか。

大阪の子たちは確かに他の地域と比べてお笑いが根付いていると思う。「ボケ」「ツッコミ」というのも、肌感覚で持っている気がする。人一倍「ウケる」ということに貪欲だと思う。

ただ、他の地域であっても、子どもたちは笑うことが大好きだし、面白いことが大好きだ。

また、大阪の子どもと言えども、自分の母語ではない英語で笑いをとるなんて、とんでもなくハードルの高いことだ。人前で英語で発表するだけでもハードルは高いのに、それで笑いを取るなんてと、最初はものすごい抵抗にあった。「絶対に嫌だ」「その日休みます」「無理です」ということばが、どんどん出てくる。

思春期の入り口にさしかかった子どもたち。クラスの中に好きな子がいるかもしれない。英語の発音を英語っぽくしようと思ったら、ちょっと変な顔になるかもしれない。英語覚えにくいし、間違うかもしれない。そもそも人前でお笑いなんかやったことない。一生懸命やって誰も何も反応してくれないとか地獄じゃん。普通の発表なら淡々とやればいいけど、お笑いだったらパーっと喋って時間を終わらすこともできない。どう考えても無理じゃん!英語でお笑いとか、ほんと無理!!!!

「大阪の子だからできるんですね」ではないのだ。大阪の子も同じように恥ずかしいし、同じように葛藤する。授業だから仕方なしに発表の舞台に立つ。

だから本番までに「この取り組みを行うことでつく力は何なのか」ということを、子どもたちに考えさせることが肝心だと思っている。お笑いの発表、英語での発表というのは、とてもハードルの高いことだ。その高いハードルを乗り越えることでつく力はとても大きいもののはず。どんな力がつくのだろう、と問いかけて、子どもからの意見を書き出す。

「英語の力」「聞く力」「演技力」「想像力」「勇気」「気合い」「協力」などが出てくる。それを黒板のよく見えるところに書く。

そして発表順も必ず自分たちで決めさせる。自分の意思で発表するという気持ちをつくるのに大事な手順だと思っている。最初の発表者が空気を作ってくれるので、ここはじゃんけんに負けたから仕方なしに、というのは避けたい。できればクラスの元気な子に行ってもらいたいので、その空気を作り出せるかがかなり大事だし、最初に発表してくれた子には特に称賛の言葉をかけたいと思っている。

音楽も大事だ。今回の漫才の時にはみんなが知っているM1グランプリの登場曲で全部のグループが入る。あの曲がかかると不思議に気分が高揚する。
落語の時には出囃子を鳴らす。落語の時には緋もうせんの上に座布団、扇子と手拭いを置き、それっぽい雰囲気を作る。笑える空間を演出する。

お笑いは即時評価だ。「笑い」という評価がその場で返ってくる。とても怖い。怖いが、いったんウケる快感を知ってしまうと欲が出る。「次はもっとちゃんと練習する」「ちゃんと覚えて、間もちゃんととれば、もっとウケたはず」となる。友達がウケて自分はイマイチだった場合も悔しくなって考える。

ここだけの話、お笑いの最初はあまりうまくいかない。うまくいかないからこそ次のお笑いの発表は力が入る。

そして何より、クラス全員でお腹抱えて大笑いするというのは、本当に気持ちがいい。笑うことが友達の力になるというのも気持ちがいい。不安で怖くて緊張する、というのが分かった中で、クラスメイトが一生懸命頑張っているのを応援するのは笑うことだ、という一体感。そして「自分たちはやり切った」という達成感。

終わった後は必ずふりかえりを書く時間をしっかり取りたい。子どもたちがどれだけ苦しい中頑張ったのか、どれだけ苦労して、どれだけ工夫したのかが読み取れる。これを書いて残しておくことで、学年末に子ども自身が読み返して自分の成長を感じ取れる。

「大阪の子だからできるんでしょ」と決めつけず、ぜひ他の地域でも取り組んでみてほしい。子どもが大きく成長し、クラスの雰囲気もよくなる。
教育にはお笑いが大事なんだ。

ちなみにわたし自身は人を笑わせるのはとても苦手である。

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