人間のレッスン
カメラとパソコンにもう触れたくなくなった。そのことに気づいた。それが自分の本質だったのかと驚いた。自分のことにあまり興味がなかっただね。それすなわち自分を大切にできていなかったってことなんだけど。
偶然か星の元か分からないけど、この1年で10人ぐらいの人にお叱りを受けた。自分が抱えうるすべての問題がそこで降りかかってきて、それは今度こそ逃げられなくて、心の底から世界に表現に愛に興味がなくなってしまった。こんな風に景色が見えるのかと驚いたし、これまで出会ってきたメンヘラの気持ちが分かるようになった。なにもかもがダメになってしまったけど、ひとつ挙げるなら人に優しくなれた。ただそれだけで一歩も前に進めていない。一歩も前に進めていないことを認めるのも長い道のりだった。生い立ちを、親を、学校を、これまでの人生すべてを恨んだ。恨みに恨み切った。今月は脳内で何人殺しただろう。
実は人の気持ちが分からない。こういう暴露をするのも人生で初めての経験だった。これを言うことは憚られることなんじゃないかと思ってずっと秘めていた。でも人の気持ちが分からないと怒られたり「空気読め」って言われたりするから頑張って勉強して分かるようになった。勉強で学んだことだけでやりくりしてるとそれはそれで怒られるんだよね。それは反省したところで無意味。体感とか肌感が伴ってないってことは分かる人には分かっちゃう。人間の形ってこんなんだったよな、というタッチだけで描いてしまう。気持ちをちゃんと見ろ、現実をちゃんと見ろ。見れるわけねーだろ、怖いんだから。みんななんでイカダを作らないのか不思議だった。楽しんだりテンションあげたりしてイカダを作れば海の冷たさを味合わなくて済む。だけどイカダが無くなればこうやって足のつかない海でゼイゼイの呼吸。
過去の自分が全部無意味だって心から分かったよ。だけどそれしか生き方を知らない。他の生き方を1年模索して実験して実証してみたけど、どうも無理みたいだ。冒険家になろうと思ったけど身体は強いほうじゃないし、陶芸家になろうと思ったけど手先は器用じゃないし、漫画家になろうと思ったけど物語はぜんぜん作れないし、建築家になろうと思ったけど暗記は得意じゃないみたい。なんもねーんだわ俺には。「何もないことを認めること」で前に進めるかなと期待したけど、そんな期待はすべてへし折られるんだわ。無意味に没入していたけれど、その無意味ってとてつもない無意味で、虚無の中の虚無ってすげー景色なのよね。
自分の生きる意味を失ったときにまた、楽になる部分も見つけた。(ここまでの地平まで来てもまだポジティブ思考が抜けない自分は本当にバカなんだと思う)これまでずっと成功という人参をぶら下げられて33年間ずっと走ってきた。もう走らなくてよいと思うとすごい身体が楽になった。ずっとずっとベッドで寝ていられる。本当はぜんぜん寝足りてなかったんだ。12時間18時間ずっと寝ていられる。たまに近所を1時間ぐらい散歩して「お、地元を愛せるかも?」と画策するがそれもまた裏切られる。裏切られることに慣れすぎて本所そこらのことじゃ痛みを感じなくなってきた。これが本当に強いということなのかも。とはいえ人生を閉じる勇気もないのだから、これからも人生は続く。とかく生きるとはクソだるい。バカ共から金でも巻き上げるか。
街に店がある理由
台湾で一緒に暮らした馬渕尭也が「山梨に来ないか?」と誘ってくれた。このまま神奈川の空気を吸い続けるより、きっと良くなるだろうと山梨へリュックひとつで向かう。窓から街が飛んでいく、たとえば整骨院とか薬局とか。なぜこの街には「お店」があるのだろうか。これまで考えて来なかったことを考えてみる。お店なんてどうかんがえてもやりたくない。だから街にお店があることはおかしいじゃないか。この街についてそんなことも知らなかった。高校三年のときに進路を決めていた同級生のことを考える。あいつらは本当は何を決めていたのだろうか。「看護師」とか「ツアーコンダクター」とかあの頃は情報量0だったよな。他者のために自分を犠牲にすると言う意味ではみんな一緒。意味があることのように思えなかった。
尭也の実家では母が薬膳料理屋をやっていて、去年の夏に1週間だけお世話になっていた。8ヶ月ぶりに会うせっちゃんはキッチンを抜けて、ホールを走って、客の間を抜けて、僕のことを強く強く抱きしめてくれた。泣きそうになった。
「ありがとうありがとう、ただいま、ただいま」
僕はなんとか泣かないように帰ってきたことを伝えた。僕は自分のミスで仕事を飛ばし、親友とコミュニティと仕事場を失った。今の僕には何もない。本当に何もない。12年間がんばって僕は何もなくなってしまったのだ。漫画やドラマに出てくるような「悪役」なのだ。人間として認められない奴なのだ。そんな僕をせっちゃんは抱きしめてくれた。
「お腹は空いてる?」
せっちゃん。もちろんだよ。
もし理想の古道具屋があるのならば
12月になった。尭也が車で早川町に連れて行ってくれた。1週間を過ぎたあたりから僕のことを「お客さん」から「家族」にシフトチェンジしてくれるのが嬉しい。尭也は実家を出てどこかで生活を実践したいとも踠いていた、僕は叔父貴代取に言われたことを思い出していた。
「ゆうき何も積み上がってないじゃん」
これまで誰も言ってくれなかったことだ。気づいてなくて、気づかないふりをしていた。ディズニーランドの外周コンクリートを触りながらウロウロしている感覚。みんな入り口を見つけているのに、自分だけ見つけられない悲しさ。積み上げるためのなにか技術が足りないのだろうか。
積み上がらない なぜ
検索したらすぐに答えが見つかった。
公認心理師のみき・いちたろうさんのブログにたどり着いた。
すべての文章が自分に向けられているように感じた。自分のことを言語化してくれている人がいると心臓がバクバクした。自分の人生にログインしていなかったからあらゆる問題が発生していたのか。でもログインの方法なんて分からないし、その原因となるトラウマってなんだ? 自分にそんなのがあるとは思えない。
山梨県笛吹市一宮に「アサマデパート」という奇跡のような古道具屋がある。木造の郵便局の居抜きに作られたお店は土日しかオープンしておらずお店に行くのは待ち合わせに感覚が近い。店主と話したり、お客さん同士で話したり山梨の大好きな文化がヨーグルトのように凝縮している場所だ。
店主のタケトさんが暖かくそして深遠で怖く、それがとてつもなく魅力的なのだ。20代のときは世界中を旅していたらしい。一番良かった国はどこですか?って訊いたら「ネパール」って教えてくれた。行きてぇネパール。仲良くなったきっかけはタケトさんも僕も建築家のフンデルトヴァッサーが大好きだったことが共通点だったこと。あとにも先にもここで共通点が持てるのはタケトさんだけだろう。僕はただタケトさんに会いたいがためにお店に通っていた。300円〜1500円ぐらいの雑貨を買ってはコーヒーを飲んだ。
尭也とお風呂に入っているときに「タケトさんが他の男の人としてるとさ、特に自分と話してる以上にタケトさんが笑顔だったりするとさ、めっちゃ嫉妬しない?」と言ったら「わかるー!」って爆笑してくれた。
「これってもはや恋じゃん!!」
互いに叫びながらお湯飛沫は上昇を続けお互いの顔が見えないほどになった。
生活ワクワク縁側マルシェのこと
1月1日になった。せっちゃんのお店では毎年1月1日におせちを作って販売しているので、その制作をみんなで手伝って怒涛の3日間が終わった。尭也の兄の京也とも仲良く鳴れた。落ち着いたころにせっちゃんに「焼肉 東山食堂 本店」に連れて行ってもらう。世界で一番美味しい焼肉だと確信する。料理のプロがおすすめする料理屋ってやっぱすげぇ。だけど普通に食って1人5000円ぐらいするので気軽にはいけない。大切な人の誕生日パーティーなどのためにこっそりとっておこう。
「今年の抱負を順番に言っていこうよ」
せっちゃんが食事終わりに提案した。去年、SOREMOMATAYOSHIが沖縄でビデオカメラを回してくれたのを思い出した(彼女は新年になると友達の抱負をビデオに撮って宝物箱の奥にしまうのだ)。尭也と京也がそれぞれ「家を見つける」「新しい仕事を見つける」と言ったあと僕の番になった。僕は「やりたいことをみつける」と言った。それ以上のことが言えないことが悔しかった。ちゃんと「自分探し」をしてこなかった20代のツケが今回ってきているだけなのだ。
1月15日。尭也とマルシェを2月に開催することが決定する。理由は尭也の日記を読んでも書いてないからたぶんお互いに覚えてない。1ヶ月半しか山梨に滞在していない僕がみなさんに何を貢献できるだろうか。このころには山梨のことが大好きになっていた。水も食事も人間もすべてが素晴らしい。雰囲気が沖縄にどことなく似ている。道路沿いにポツポツと店がある感じとか、人が自然と集まる暖かい感じとか。せっちゃんは山梨を山に囲まれた「陸の孤島」だと表現していた。確かにこの広いのに閉ざされた感じは土地に対する愛着を育むのにベストな土地だろうなと思った。
この日からマルシェの設計の日々が始まった。マルシェってなんだ? フリマのほうがわかりやすいかな? でも山梨ではマルシェって表現が普通らしい。
「生活ワクワク縁側マルシェ」に名前が決まった。
尭也の宣言文の通り、我々は「ご自由にどうぞコーナー」を思いついたことで軸足が通った。きっかけは富士吉田のM-2という喫茶店に行ったときレジ横に「ご自由にお持ち帰りください」という箱があり、そこにカップ麺や缶ジュースが置いてあったことに衝撃を受けたからだ。僕たちはずっと冷たい世界に住んでいるから暖かいものを見ると魂がびっくりする。
飲食店が食べ物を無料で配布している「驚き」の根源はなんだろう。街にかすかに散らばる「嬉しい」を集めたらいったい何が起こるんだろう。マルシェでは応募してきた人や、お願いした人がたくさんお店を出店してくれる。無料コーナーを軸に、僕たちは一番くだらないお店を作ろう。温泉に浸かって尭也と話していたら「拾った石や木を売る」という結論にたどり着くのに時間はかからなかった。去年は「海の家」をやったし、今年はマルシェか。なんか気づくと物を売ることばかりやっている自分に笑う。
有料のものを無料で、無料のものを有料で売る。
これが俺たちの答えだ。
宇宙に星がある理由
2月になった。マルシェの前前日になって尭也は「私設図書館をやる!」と言い出した。ええ、間に合うのか? 今から注文すれば「図書カード」は翌日には届くらしい。「売る買う・あげるもらう」の軸にさらに「貸す借りる」の要素が追加される。マルシェが完成に至った音が脳内でした。この音が鳴ればイベントは成功だ。少しホッとする。
尭也の部屋にある本棚や机を外に出して、庭が一気に非日常になる。地域密着型のイベントは初めてだったから不安だったけど、地域とせっちゃんのお店に微力ながら価値づけができて嬉しい。土地に認められるってめっちゃ嬉しい。
2日間に渡るマルシェは無事に怪我事故なく終わった。近所の人も来てくれて、老夫婦が大きい風車を買って帰ったり、近所の学生が「父が面白いイベントやってるって教えてくれたので来ました」って来てくれたり、未知の山梨を掘ることができた。Instagramストーリーズや、マルシェのようなグレーゾーンは警察が踏み込んでこないから好きだ。
せっちゃんのお店は地域の面白い人が集まってくる場になっていたので、山梨で一番面白い場所だった。そんな中、占い師の雪生さんに占ってもらう機会があった。僕は何をしたらいいのか分からないから。
2025年2月4日 新しいスタート
人のために尽くす仕事がよい(福祉の仕事?)
と言っても「the福祉」という仕事ではない
金星完成=人の役にたつ形(好き勝手にやるよりはこの形に)
得意なのは広く見る俯瞰して見る
その得意を高めていく
これまでやってきたことが組み込まれていく
露か北海道に行くと生き方(やりたいこと?)が見えてくる
台湾は「理想と現実を半々で見せてくれる場所」らしい。そういえばヤンマーさんに北海道にこないかと誘われたのは1月だった。いろいろ繋がってきたな。避けに避けていた北の方角に何かが隠されていたらしい。占星術というのは特殊なソフトでこんなに複雑なことをするのかと驚いた。
別の日に、サイキックリーディングをしてくれた折には、僕の前で目をつぶって3分ほど沈黙したあと目を見て教えてくれた。
「もう一人のゆうきくんは宇宙をさまよって何かを探している」
僕のハイヤーセルフは地球にいないらしい。迷子すぎるだろ。
なんでだれも助けてやれないんだ
この速度に慣れないといけない
慣れないスピードに身体ちぎれそう
みんなこんなもんだ
みんなこんなもんだ
早くいけば遠くまでいける
ゆっくりいけばみんなでいける
そんな言葉があった気がする
今度はゆっくり進む怖さを
抱えて眠ろう北は寒いな
また同じパターンに陥ってるぞ
悪魔がささやく
そうだろうきっとそうだろう
また同じ失敗おなじ悲しみ
電話をしてももう折り返しは来ない
言い訳もできないくらい
最悪な人間だったのだ
自分の感情を無視していることに気づけた
これを大きな収穫と考えよう
こんな空気、こんな感情を生きていこう
飯はうまいし人生は楽しい
ただそれが悲しいのだ
闇にフォーカスを合わせろ
ずっと無視していたものに
後回しにしたツケを払いに
時間がまた12年巻き戻ってしまったみたいに
流れに乗らない
ただライドする
コテン。
行くしかなかった
知るしかなかった
そんな人たちの話を聞く
いつだって繊細で可愛い子を好きになる
自分はこんなに鈍感なのに
傷つけるのがわかっているのに
本当はわかっていないのに
分つものはいつだって自分
だから今日も君を標準語で汚したくない
宮本沙羅に会おうと思った。2010年からの古い友達なのにここ3年ぐらいは全然会っていなかった。彼女は音楽を演っていて、12年前からそれは変わらない。もし僕が「インドに迷子になりに行くとして友達をだれか1人連れていけるとしたら?」という質問をされたら迷わず彼女の名前を見つけ出す。神秘の世界にいる彼女はあと5分ほどで到着するらしい。僕は山梨県最西端の駅である小渕沢駅にいた。1マイルも歩けば長野県が裾野に見える。
車が跳ねるのが見えた。
全身の血液が「あれが沙羅だよ」と教えてくれる。でしょーね。砂漠を横断した無謀なシュークリーム屋さんのようなミニバンが僕の前で停まった。ノータイムで乗り込むと、運転席には眩しいぐらいに君がいた。
「うぇーいぃぃ」
シフトレバーの上で互いの手を強く強く握り、声にならない声で3年間をゼロにする。沙羅が車を運転できるなんて東京にいたころは想像もつかなかったな。こんな景色を見て生まれ育ったのか。知らなかったよ、知らないことばかりだったよ。
「元気してた?」
沙羅の声。自分の状況を説明する代わりに「今世紀最悪ずら」と僕は答える。車は動き出してホドラーの絵画みたいな山々を抜けていった。
「ゆうきくんのnote読んだよ。人生順風満帆だと思ってたから意外だった」
そうなんだ。僕も同じことを沙羅ちゃんに対して思ってたな。第一線で演奏してて音楽メディアでも働いてて、OTOTOYで連載も持ってて……。
「そんなことない。音楽を辞めるところまで追い込まれて。でも辞められないのが音楽なんだなって」
フロントガラスから入ってきた冬の光が彼女の頬を瞳を睫毛を照らす。そうか、沙羅ちゃんも苦しんで痛みを感じている、同い年の友達。
「お腹空いてる?」
30分後にすく!と答えると生まれ育った町をドライブして見せてくれることになった。山岳エリアなのになんだか妙に地面が平らでどことなく建築がアメリカンだ。アメリカンっていうか〝ウエスタン〟って感じだ。ログハウスやワイルドな喫茶店が多い。
「馬がいるね」
外を見ながら僕が呟くと彼女は「清里は開拓者の町だからね。馬も多いし、それに日照時間が日本一なんだよ」と教えてくれた。車は道の駅 こぶちさわに入っていった。イタリアンに入り、僕がピザで彼女がパスタを注文する。この道の駅ではひらがなでわざわざ小渕沢町と読みを教えてくれる。地名は「こぶちさわちょう」だけど駅の名前は「こぶちざわえき」らしい。ポスターに書いてあった。
ピザが美味い。このオリーブオイルのダラダラ具合はちゃんとピザのこと分かってる感じだ。沙羅ちゃんの皿のパスタをもらうと、味蕾が完全にオープン。なんじゃこりゃ。美味すぎる。おれもこっちを注文すればよかった。知っている味なのに知らない味がする。野性味の中に繊細な少女がぽつんと立っている感覚。僕はずっと前からこのパスタが食べたかったのだ。そのために生まれてきた。「うぉ……なんか知らないおじさんに目隠しされて、近所の知らない洞窟に連れてきてもらった感じの味だね」と伝えると沙羅ちゃんは笑って
「ゆうきくん、食べ物のレポーター向いてるよ。マジで」
優しいなぁ。僕のいいところを見つける君の才能はノーベル賞ものだよ。想像上ではあるが、ピカピカに光るノーベル平和賞のメダルを沙羅のコートのポケットに入れた。
「すいません!」
僕は黒服の店員さんを呼ぶと「このサラダが美味しすぎるので、ドレッシングのレシピを教えてもらうことってできますか?」と小声で申し訳なさそうに聞いた。パスタは無理でも、この美味すぎるサラダの秘密だけでも持って帰ってせっちゃんに創り方を教えてあげたかったのだ。
「私は存じ上げませんので、料理長を呼んで参ります」
ええええええ。マジですか。
「(料理長来ちゃうってよ。どうする?)」
沙羅ちゃんは悪戯な笑顔で僕の顔を覗き込んだ。笑うな、笑うな。キッチンの向こうで帽子の長いおじさんが笑顔でこちらを振り向くのが見えた。
なぜ流行は移り変わるのか(無編集)
なぜ金庫は安全だと思い込むのか
なぜ社会は分業になっていくのか
なぜ屋台は潰されていくのか
なぜ街には建物が溢れているのか
IQ.EQ.BQ 身体計算 知的計算 感情計算
興味はあるけど関心はない
振り込め詐欺に気を付けては無意味
先生はエロい
早く老けたい
肩に力が入る美容室が嫌いだった
コンプライアンスで人間を縛ろう
人間のレッスン
・5月8日
私は混乱しているのかそうでないのかも分からない。得たのか失ったのかも分かっていないのだから。兎にも角にも新しい一歩が踏み出されたのだ。ただ感情がオフになっているだけなのか、環境が変わることに慣れてしまったのか判別は付かない。分からないということが分かる様になった。それだけで進歩だと今は思おう。
おはよう。諸君。ここは家が狭いから気軽に散歩に行くことができる。春と夏のわずかな隙間。何度家を出ても何回でも家に戻される。螺旋状と言えば聞こえは良いが自分にはピンボールのような繰り返しに思える。なぜ自分の人生には事件が起こらないのか?これは永遠の課題だ。
ハンターハンターは物語のコンプレックスだ。この漫画がなかったら多くの人が漫画家を目指し、たくさんの小説が生まれていたはずだ。この漫画より面白い物語を作ることはできない。それが自分を苦しめている。
ハンターハンターという名前が使えなかったとしたらラブマシーンとタイトルを付けるだろう。この中で1番愛されるのは誰だ? 誰かが誰かを好きになる。その連鎖でこの漫画は作られている。さまざまなルールでゲームは展開されるが、この漫画を貫くルールはひとつだけ、愛されたものが勝つ。愛される条件はバトルを楽しむこと。楽しむこと以外の感情を持ち込んだものから負けていく。
好きなものを探してもダメなのだ。感じなくては意味がない。感じる、1番難しい行為だ。できる者には当たり前すぎて教えることができず、できない者にとっては世界中の教科書を読んでも理解することができない。
感じる者から向けられたまるで醜い怪物を見る様な目を思い出した。
彼らには申し訳ないことをした。
人間は三階建て構造になっている。
馬鹿にしてんのか?と怒られたことがあった。
おそらく人は一階に三階の道具を持ち込むと怒る。私たちとしては最大級の敬意と気遣いを使っているのに、相手は怒る。苦しいですよね、混乱しますよね。悲しかったですよね。さらに「感情には感情で返す」というスキルを持たない我々にとってつい理性で対応しがちです。(これがさらに相手を怒らせる原因になるとは知らずに)
すると相手は「こいつ本心じゃなくて、小手先で俺をやりくめようとしてる」と見えてしまうんですね。(こちらからしたら本当に本心で話しているので失礼なやつだな、という感じを相手に抱きさらにコミュニケーションが大変になる)
そこでまず我々に大切なのは「いま何階にいるの?相手は何階にいると思っているの?」です。恐らくこれを認識できるようになればほとんどのトラブルは回避できるはずです。店員の態度や、上司の一言で傷つく必要はまったくないのです。だって一階部分なんだから。
しかしそれを判断するのは難しいですよね。さらにそれを正誤判定まで相手に委ねるのはまた苦しくなってしまいます。でも残念ながらそれを判別する材料が私たちにはありません。悲しきかなそれが我々の立っている現状。そんなときにおすすめなのが生活想像という方法。
・5月9日
4ヶ月ぶりの冷凍バイト。あんなに寒かったのに気温はまた暖かくなっている。行きたくない気持ちがすごい。いつもなら起きている時間に眠い。感度を高めるトレーニングの後はこんな感じなのか。こんな日々を過ごしていたのか。解像度を高めていくと、バイトよりも通勤、通勤よりも準備してる時間が嫌いなことが分かった。全ては観察なのだ。寝起きでいきなり仕事が始まれば何も苦ではない。始まれば時間が過ぎる。
家賃の問題点は、仕事が無くなったらそこから出て行かなくてはならないところである。するとその街には忙しい人だけが住んでいることになる。仕事も住まいも金もない。こんな緊縛のような状況を脱出することができるのか。早く退屈な日常に没入したい。こんな危機的状況から脱したい。でも無気力だ。退屈で発狂しそうになるのを勤務中に抑え込む。あと100時間?1000時間?いつ終わるんだろう。あー働きたくない働きたくない。(過去の発言とは一味違います。読んでる人にはわからねーか)
感度や感情がやや復帰された状態だと働くのが困難になる。生活保護を申請するか。みんなどうしてんだマジで。なにもかもが虚無だ。思い出したよ世界の輪郭。虚無に溢れた道をどう歩くか。死ぬまでも暇つぶし見つかんねーよ。
駆け抜けてる?オンザロードアゲインはそう語りかけた。お金は生み出すことができず、他人から奪うしかない。しかし野菜は0から生まれる。ここに争いを避けるヒントがあると見た。
あの行列が忘れられない
作品と商品の間をつくる。工芸品なんてかっこいい言い方しなくていい。あの隙間には生活を良くしようという光が集まっている。
タモリの「やる気のあるものは去れ」の真意が少しづつ分かってきた気がする。頑張ったりクオリティを高めようとするとみんなが苦しくなる。キラキラした若手農業従事者は「トマトは人気があるから燃える」と言っていて、みんなを幸せにするために働く人と、他人を蹴落とすために働く人の二種類がいる。
食べ物には味があることを教えてくれた。
社会が過酷さに向き合っているなか、私はどのように向き合うか。どうありたいか。ごく当たり前の基本からスタートしたい。アインシュタインのように光速度不変の法則から。基本的に人々は働きすぎである。それはなぜか?そこから究明したい。
人々は住むことをメインコンテンツにしていない。せいぜいサブコンテンツ。仕事や出世こそがメインロードなのだ。このことに街を歩いてようやく気付いた。謎の建物がたくさん街にある意味に、その答えに。この世に建物が一杯ある理由、それは誰も建築に興味がないからだ。
子供の頃につまらない映画や、つまらないゲームが溢れていることに疑問を持った。
二度目の勤務でようやく鈍さを取り戻した。少し疲れると頭が空っぽになって身体を動かすスポーツができる。考え事はしないほうが時は早く過ぎる。
ゲームを作りたい欲求にまた駆られた。たまたまインタビューを読むと影響を受ける。超えるべきハードルが高いから、より手を出してしまいたくなる。少し自分らしいのがむかつく。
タケコプターを持っていない私たちはこの街がどんな街なのかを知らない。訃報は報道されるのに生誕は報道されない事実に怯えろ。
もったいない=本気の言葉が伝わらなくなる
砂鉄さんという人が言っていた
よくツイートを消す人なので、正確に一字一句言えないが、この教育システムになって40年、誰も幸せそうになっていない。教育の成果は目に見えるのが遅い。だがこれだけ時間が経てば評価してもいいだろう。教育は失敗だ。
というツイートを見て目から鱗が落ちた。目の前の情報はすべて何かの結果なのだ。途中経過なんてものはない。すべてこれまでの結果。
だから視聴率を追うのも大事だよね〜と大人ぶってた自分を叱りたい。視聴率を追って番組は健全になったか?面白くなったか?働いてる人またはそれに関わる人が幸せになったか?それらはすべてNoだ。
なぜ数字を追うことがダメなのか?それは解像度が低いからだ。人々の視聴行動は想像以上に複雑だし、それを処理できないからと数字で扱うと取りこぼすものが多くなる。時間が経てば、必然、取り返しがつかなくなる。
もう僕らは視聴率が現れる以前の生活を想像できなくなってる。ニートも引きこもりもいない、村で人々がお金もなく支え合って生きていたことがもう想像力の外側になってる。
バイクは危険とか危ないって言ってる大人たちは嘘だった。公道は法規とルールの遵守が徹底しているし、危ない目に遭ったこともない。むしろ驚くぐらい安全運転をきっちり守っていてこっちが息苦しくなるくらいだ。(山梨、神奈川、東京しか走ってないからド地方は分からないけど)
なによりバイクってことで、公道では弱者扱いなので、よく道をゆずってもらったり、車間距離を開けてもらったりイメージとは裏腹により安全に気を使ってもらっている感じがする。統計的に見ても、車の運転手のほうがバイクより4倍も死亡率が高い。燃費も車の3倍〜4倍は走るので地球環境にも良く端的に最高である。
デメリットは冬寒いことだ。雨も心配していたが、雨合羽を着ればなんということはない。
・5月10日
再発防止もだめだね。仕事した気になるだけ。どんどんルールが増えて窮屈になる。政治家だってどんな法案通して、どれだけルールを増やしたかが実績になってる。今のこの瞬間も六法全書は分厚くなっている。法律が多い国を僕は美しいと思わない。今必要なのは「逆政治家」だ。法律の条文をシンプルにしたり、減らしたり、削ったりする人。A4の紙1枚の法律でうまく回ってる国があったらそこに住みたいね。
沢田マンションに代表されるような建築に興味がある。
ゲーム作り
陶芸
小説
漫画原作
目撃者
ゲームさんぽが面白い
森永卓郎の回は珠玉だと思う
ピケティ
お金持ちになる方法ではなく貧乏になる方法を考えたい。下り坂をそろそろと降る的なものではなく、お金を稼がないようにするテクニック。収入がない仕事が軽視されるループからの脱出。
NHKの紅白歌合戦がいまの日本の窮屈さを表している。無理にクリエイティブを上げる必要はない。〇〇✖️なんらかのカルチャー
マツケンサンバ✖️ストリートカルチャー
扱ってやるという慢心が見えてしまう
CMを模したエヴァンゲリオンの後半への繋ぎ
演出はすごいのになぜか滑ってしまう
この状況は日本においてよく見る
カルチャーを雑に扱うことへのためらいのなさ
技術より知名度を取るその態度
「媚びたいのに媚びれない」中途半端な態度
演出家の羽を削いで使っているのが素人でもわかる。
宇宙戦争を1938年にラジオ放送されてから面白さは変わらない。
「私は傷ついた=私が正しい」戦争に巻き込まれるとこのようなことが起こる。クレーマー至上主義。傷ついて怒った者が常に勝つ世界になってから10年が経つ。誰が幸せになったのだろう。この状況を誰か俯瞰して語ってそして助け舟を出して。世界から自由を奪わないでください。「正しい表現」という言葉の矛盾に人々が気づくのは10年後?20年後?ここは私たちの住む星だ。ルールが1行追加されるたび疲弊するのは私の子供や孫だ。私は私が生まれる前に制定された法律に合意していない。
歴史は本当にあるか分からない。小学生と刑務所に革命を。
お金払ってるんだからクオリティ高いもの欲しいんじゃないの?顧客は効果や機能を求めているわけではなく、
観光地化されたところには行きたくないとみんな言うけれど
苦痛に耐えたご褒美となっている。お金をもらうとヤバい。そんなトラウマが醸成されている。
工業化が進んだときに機械を壊した民衆がいた。今では笑い話だけど、これからは笑えなくなる。なぜあのとき壊さなかった?
「ガンジーの経済学」は森永卓郎が出演しているゲームさんぽで知った。同じ能力なら女性を雇ったほうがいいと語る。これ本当に70年前の本なのか。男性は暇にしていたほうが社会は良くなると言うのだ。
分業は常に敗者を生み出す。その構造に耐えられなくなるときがある。君がたとえ小売店を本気でやったとしてもセブンイレブンに勝つことは一生ない。そのことがとてつもなくモチベーションを削ぎ人々からやる気を失わせる。なにをやってもゲンナリするこの社会状況。屋台を作って家の前で弁当でも売ろうものなら、警察やら保健所やらが飛んできてすぐにしょっぴかれるだろう。そのことがたまらなくつまらないのだ。許可許可許可、規制規制規制、それをクリアするには莫大な金がいる。誰かがなにかをするだけで儲ける人たちがいる。
資本主義の嫌なところは同じことをし続けないといけないところだ。社会主義の嫌なところはみんなが嫌な思いをするところだ。右にも左にも行けないこの状況は、100年後に笑い話になっているだろうか。
ひと口に資本主義・社会主義といってもそれぞれの中にグラデーションがあると感じる。たとえば社会主義を標榜しているベトナムは、路上で市民が好き勝手にお店屋さんを行いほぼ資本主義だ。逆に資本主義を謳う日本はとても社会主義っぽい。みんな不本意な職につき、不本意なお給料をもらって生活している。あっちはブルー、あっちはレッド、みたいなあたかも日本に複数のマーケットがあるように語られることがあるけど、実際は日本民族の暗黙の了解が支配する日本市場のひとつしかない。選択肢がないから仕方なくルールに合わせ、メールの冒頭には「お世話になっております」と不要な挨拶が入る。
お金が一種類しかないのもそれに拍車をかける。RPGゲームはお金・HP・MPとちゃんとパラメータを分けてあるってのに。前澤さんが気軽に動かす1億円と、我々が汗水たらして稼いだ1000円が同じ単位で扱われていいはずがない。そんなことみんな気付いているはずなのに、知らんぷり。気付いたら辛い思いをするから知らないフリで声も上げない。
アメリカは銃がやめられない、ヨーロッパは侵略がやめられない、アジアは自殺がやめられない。
やはり「投票しない」に限る。そして国会からいなくなっていただく。
野菜は腐る。
お金は腐らない。
それがメリットだと思っていた。
でもだからこそ貧富の差は拡大している。
野菜が通貨だったら…?
腐る前に近所の人に配る。
つまり、お金もゆるやかに腐ればいいんだ。
とりあえずみんな嫌がるけど平気なこと
生活レベルを下げる
淡々と貯金する
資格を取る=信用
人生はチーム戦
人数の多いほうが勝つ
田舎は人は少ないけど、一人ひとりがマジで金持ってる。浅い分析だけど、それはたぶん土地を持ってるからだと思うんだ。野菜や肉は近所付き合いで手に入るし、家のローンは親の世代で払い終わってるから、月々の支出は携帯代と車の保険料ぐらい。
東京を離れて思ったのは、遊んでる大人がいっぱいいるってこと。結婚も早いから45歳までには子育て終わってて、自分ちの畑の世話も忙しいといえば忙しいけどバイトを雇えば繁忙期も3ヶ月ぐらいで乗り越えられちゃったりする。(しかも雨の日は休みだから、雨が降ったら読みたい本を持って喫茶店にGOするおじさんもいる)
そういう生き様を間近で見ていたら、東京で休みなく働いてた自分なんだったんだろ、よく耐えられてたな(笑)という気分になる。
1996年発行の『山梨の温泉』における岩下温泉旅館の写真は、広くて美しかった。
昔はよい写真を撮るのにカメラが大活躍しました。しかし今ではカメラの力が弱体化されてカメラではよい写真が撮れなくなってしまいました。
ゲームにおいてバトルが邪魔である。「ボス」とかいる?
コカコーラ社で最も売り上げが低い飲料商品は『コカコーラ』である。◯かばつか。
迎合もしないしアップデートもしない。
屋上にも入れないし野外セックスもできない
目眩と輝き
ポルノギャンブル酒タバコは脳に本当に悪い
わが星
踊る大捜査線
犬と串
プラトニックギャグ
AパートとBパートに分けて交互に展開。後半で関連があることに気づかせてCパートを立ち上げる構成。だからこそAとBは関係ないお話のほうが驚きが大きいというテクニック。
これは自分の文章執筆にも大いに活用されている
自分探しなんて恥ずかしいから2ヶ月で終わらせてやろう、そんな浅ましいことを考えていた。焦っていた。
いい仕事をすれば必ず誰かが見ている
もう自分がまともな人間であることを示すための発言や行動にはうんざりだ。
業界に入ろうとすると業界に拒絶される
「自分に嘘をつかない」というのは技術だ。だから勉強やトレーニングで習得することができる。可能なんだよ、誰にだって。
つまりこれは1人(いっこ)の漫画家が、主人公より愛されるキャラクターを作れるかどうかの孤独な挑戦なのです。そして成功し、主人公は無事に物語から退場しました。これはまだ旅の途中で、
ひとは本来それぞれ自分なりの念能力(魔法)を選び取り(絞り)育てていくものなのです。
彼は漫画を描くことを楽しみにしている。
だからこそこんなにも人の心を奪い、少年ジャンプで最も絵の上手い作家であり続けるのです。
大人にならない(締め切りを守らない)という制約(リスク)は諸刃の刃。読者に向けてではなく、漫画の神様に向けた執筆は誓約(リスク)をさらに高め、キャプテン翼やブッダを超えることになる。いま私たちは静かにその歴史に立ち会っています。もし、時代を覗き込みたいのなら、黙って冨樫義博の漫画を読んでください。
通常の漫画家であれば扱えるキャラクターは20人〜50人程度。通常の人間は人格をそれ以上分割できない。それを強い念を唱えることで100人200人に増幅させた。ジョイントタイプ(原作者付き)であればその効果は増大する。
読めば読むほど強くなる。
作者の言いたいことが前面に出ている漫画と違い、キャラクターが前に出ている。キャラクターの権限の前に、作者が折れることも多い。
トレンドを追いかける追尾ミサイル、
21歳の誕生日になにに影響を受けてきたのか聞いたよね。けっこう時間が経ってしまったから忘れてしまってるかもだけど、まだ宿題のように残っていた。
我々の強みは時間があること。資格取得できるのは強い。
技術は身を救う。技術は居場所をつくる。技術以外は無意味。技術だけが目の前の雑草を刈れる。技術を高めれば孤独にはならん。そんなことを小学生に教えないのはズルいぞ。
自分の信じてた未来を思い出すと懐かしくなる。必死に生きてた時期が愛おしくなる。
Wikipedia文字数当てゲーム
条件
タケコプター
法律というのは想像力の及ばないバカが作ったものであり、ハッキングが強く求められている。
レンタルビデオ屋でバイトしたい
浜田 なんでそんなことしたいねん
本当の金が欲しい
「立候補というのが諸悪の根源だと思っています」 by 冨樫義博
水上バスのない街に住んで33年
お金が価値の形なのであれば、お金を持ってない人に善いことをするのは無価値になってしまいます。
アメリカは肌の色、アジアはお金の多寡、
歴史には歴史は書いておらず、戦争の歴史しか書いていなかった。
動じない強い人間になる
強い人間はどんなことにも対処できる
https://www.bbc.com/japanese/55728997.amp
受け取り手側が何もかもを決めています。同じ絵を見て、まったく逆の反応をすることもできなのに、彼女は攻撃されたと感じた。まさにそれは自分の中にあることなのにそれを自覚できる機会を失ってしまった。
ハンロンの剃刀は大事にしていて、何かメッセージを受け取るときに悪意があるのではなくただバカなだけという理論です。
タモリの意味
引用終わり福岡正信。
がんばれば悪になる
付加価値がどうこう言う経済学者もいるけど、それはめぐりめぐって生産者を傷つける。
私はどこに消えた?
5月の日記は荒れた。4ヶ月居候させてもらっていたせっちゃんを傷つけてしまった。せっちゃん自身も大変なのに、僕は人生相談したり恋愛相談をしたり、いろいろ負担をかけてしまった。竹内を傷つけて、増田を傷つけて、これで三連続だぞ。僕は何も学んでいなかった。そして実家に帰ってきた。
一歩一歩進んでると思ったら何も進んでおらずスタート地点に戻される。もう傷つくことも忘れてしまった。なにも痛みを感じない。やっぱ世界は最低。
落ち込むでもなく、腐るでもなく、ただげんなりしていた。弟のベッドで寝っ転がって1日が終わった。これじゃいけないと思う暇があれば「これでいいんだ」と日々を浪費した。やる気を出したり人を愛せばなにもかもがダメになるなら、可能な限り無気力でいたかった。希望というニンジンをぶら下げられて走らされてきた33年を思えば、もう走らなくていいという事実は癒しですらあった。絶望という黒い光が残りの人生を隅々まで照らし終わったとき、有り余る残りの健康寿命の量におののいた。週に1回ぐらい冷凍倉庫のバイトに行った。4時間働いて4000円。僕にはなんの技術もないからどこにも居場所がない。せめて個性ある人間に生まれたかったと願うが子供っぽいのでやめる。
マーケットがないところにマーケットは生まれない。なぜこんな単純な事実に気づかなかったのか。2008年に気づけるほど賢かったらこんなことになっていないが。日本には写真を鑑賞する文化がない。だからこそ、写真を見たら熱狂するんじゃないかという狙いがあった。野球やサッカーとは言わずまでも、将棋や囲碁ぐらいに育つ可能性はあるのではないか。タバスコの権利を手放したアントニオ猪木の気分で布陣を張り続けた。だが、そんな時代はやってこなかった。これならメキシコのマイナー調味料「ムヘンバ」を流行らすほうがずっと簡単に思えた。ムヘンバはスパイスとハーブの良いところを手を繋いでやってきた美味しさを増幅させる調味料だ。もちろんそんな調味料は存在しない。僕の妄想だ。
歴史から切り離される悲しみってなんだろう。うまいこと言葉にできないのだ。持続ってなんだよ。持続って概念自体がおかしいよ。1週間とか短い持続でも素晴らしいと思うし、永遠の持続とその間を埋めるなにかであっても美しいと思う。我々の些細な日常こそが歴史であるのに、いつも歴史の教科書に書かれるのは戦争だったり事件だったりする。それがとてつもなく悲しいのだ。人間が嫌いになるから歴史を学ぶのをやめた。
いまはただ友達が欲しい。
この気持ちが共有できる友達が欲しい。
いや、友達なんかいらない。
老いなき日常を生きろ
「早く察しろよババア…!」
僕は徹底して目線を下に向けていた。誰とも話したくないしましてや本当の絶望を知らないお前とは話したくないのだ。どうせ伝わらないから。
「これで相談を終わります」
ババアはハンコを押すと被保険者証を返してきた。これで5日後には最後の失業保険が振り込まれる。初めて見知らぬ他人にひどい態度をとってしまった。でもいいのだ。こんなひどい仕打ちしかしてこない世界になんの未練もないから。
楽しいことはすべて終わってしまった。
まだ死なないと思っている節がある。
だから絶望から逃げているのだ。
クズ人間が暮らすクズ星のクズ島にあるクズ家に住んでいるのだ。思い出すべきだった小学一年生のときに入学前の子に手紙を書くやつで怒られたことを。
これまでのことが間違っているとしたら修正して前に進めばいいじゃんと思うかもしれないが、それはずっと33年間やってきたことだったかなり前向きにかなりポジティブに。生き方を否定されたのではなく、生き方を否定されたときに修正することまでもが否定されたのだ。手も足も出ない。つまり海から出られない。もちろん濁しながら海で暮らしたり、海で鼻と口だけ水面に出ていることをそれなりに幸せに感じながら生きていく方法もある。
世界がこんなにクズなら小学生の時に教えて欲しかった。小学校で簿記や会計士ぐらい取らしてくれや。資格に対する不信感は原付の免許でずいぶん無くなった。と、その前に早速この免許をお金に変換するか。近隣のバイク配達のなかで1番時給が高いやつに応募した。固定のバイトなんて8年ぶりである。
バイクの配達は自分に向いていた。天職だと思った。1日12時間働いた。あまり疲れないし面倒な人間関係もない。金払いも良い。これまで時給1000円で働いていたのがバカみたいだ。これなら16歳のときに原付の免許取ってさっさとアホ稼ぎすればよかった。霧雨の日だった。担当エリアを超えて橋本の超高級高層マンションの60階にいた。ふと、爆弾を落としたいと思った。
「爆弾」
なんて妖艶な響き。具体的な具象なのに、なんだか抽象的でフワフワした言葉。この邪悪な世界を壊すにはそれしかない。しっかりと確信が持てた。金持ちが小金持ちから金を搾取するこの建物からまずは破壊したいと思った。ウイルスや銃では生ぬるい。何も変えることはできなかったではないか。
警察に3枚目の切符を切られた。これで免停か出頭(+4万6000円)だ。お前らは警察がテロリストを作っていることになぜ気づかない。心の「テロリストのテロ・リスト」に警察署と交番を付け加えておいた。あとは科学的知識を持った宗教集団が僕のことを勧誘してくれるだけでいい。僕はジョーユーより賢いぞ。絶対捕まらないプランを提案してみせる。クズ人間は自分から変わることはない。人は僕らの革命前のことをこう言うだろう「暴力の時代」と。世にはこんなにもアパートで稼ごうという人間で溢れていたのか。配達しなかったら気付かなかった。そうか、街の景色をつまらなくしたのはお前らだったのか。私たちだったのか。今ならテロリストの気持ちがわかる。巨悪がきちんと見えるようになる。これまでなぜ見えていなかった? 盲目だったのか今までの自分は?
初めて犯罪者の気持ちが分かった。世界から突き放されたからルールがどうでもよくなるのだ。ルールを守って自制していた自分が本当にどうでもよくなるのだ。自分が一生をかけてでも手に入れたいものを、目の前の人はすべて持っているのだ。そんなとき犯罪は起きるのだ。今、完全に分かった。
自分の積み上げてきた宝物が一瞬でゴミに変わる経験は、また人を強くさせるものだとも実感した。もう僕は些細なことでは傷つかないし、あらゆるものを冷めた目で見れるようになった。これは以前の自分には天地がひっくり返っても不可能だった。冷めた目というのは何にも期待しないことだ。明日にでも消えてしまうものとして物事を見れるようになることだ。
だから1人でも生き抜ける力がいる。
マジくそくだらねぇ。社会のルールさえ把握しちまえばこっちのもんなのよ。要領はそんなに悪くねぇ。なんか金になる資格を取ろう。クズ人間から金を搾取して生きていこう。一般のバカどもは何かあると弁護士に頼むらしい。英語できるのにヘミングウェイ読めないようなもんだ。日本語が読めれば、六法全書は読めるんだよ。そんな当たり前の事実になぜ気付かない? 日本語で書いてあるんだぜ。賢さと天才の所業じゃない。だって試験に六法全書持ち込んでいいんだぜ。カンニングし放題。必要なのは、その条文ができた意図と歴史的経緯の把握、あとは過去の判例のなんとなくの暗記だ。「作者の意図を答えなさい」という国語の問題は究極すると「この法律がある意図はなんでしょう?」という問いに到達する。
金稼ぐには金が必要ってか、クソが。もっと安い資格を検索したら数千円で取得できて稼げる国家資格は「宅地建物取引士」と言うことが分かった。合格率は15%らしいが、実際には学生の「記念受験」が半分を占めているので実際には30%ぐらいらしい。これなら楽勝だろ。しかも国家が「土地・家屋の売買は有資格者に頼まないとダメだよ」ってバカ・ルール決めてるから絶対に食いっぱぐれない。ためしに無勉強で去年の過去問を解いてみたら28点取れた。合格点は31~38点の間を推移しているので、ちょっと勉強したら取れそうだ。特に難しいことは問われない。細かい数字系をちゃんと覚えるのと、対抗関係を叩き込めばいい。
聞きなれない専門用語で装飾されているだけで、問われていることは「AさんがBさんに家を売りました。以前からその家の一部屋に住んでいるCさんの権利はどうなりますか?」というシンプルなこと。ちゃんと自分の中の常識と照らし合わせれば答えは導き出せる。この簡単な資格さえ取ってしまえば、家や土地を買うときに業者に数百万の手数料払わなくて住むのに、みんなこれより先に車の免許とっちゃうの不思議すぎだろ。
大人の暴力は法律ですわ。ほんま。
手紙
捺冶から台湾で出版する雑誌のために文章を書いて欲しいと連絡がきた。
送ったあと、同時掲載予定の尭也の文章を読んで、返事が書きたくなった。
捺冶から言われていた締め切りは24時間ほど過ぎていたけれど、とりあえずLINEで文章だけ送っておいた。
尭也は「後に書いた原稿の方がずっといいよ」と褒めてくれた。
君は美しく、そして面白い
水上夏実が横浜に来る。お互いがお互いに弱音を吐ける特別な人。新横浜駅で合流すると、酒を飲んだ。悲しくなったら通話して酒を飲んでいたので久々な感じがしない。会うたびにどんどん可愛くなっている。そのまま伝えるのは恥ずかしいので「とっても可愛い髪型になっている!僕にもその美容室紹介してよ」って言ったら「愛媛だよ」って笑われた。
落ちるところまで落ちた自分にとって、驚くほど夏実の気持ちが分かった。なんて自分は雑な人間だったんだろう。これまでの過去の自分が傷つけてしまったことに「ほんとごめん」と会話の流れに違和感のないように言った。伝わらなくていい。一生をかけて僕が君に償えることはそれしかないのだ。今は痛みを感じられる。やっと分かったいろんなことが。
「ゆうきにおかえりって言われるのが嬉しかった」
ずっとずっと昔に誰かに言われたセリフを思い出した。確かに逆の立場だったらとっても嬉しい。当時は訳がわからなかったな。そしてそのズレを話し合う時間もなかった。今は僕が一番のメンヘラだ。いろいろ失礼をしたね。僕も死にたくなって、ようやくこの気持ちが分かったよ。外国人の安楽死はスイスでしか受け入れてなくて200万円かかる話をした。夏実は死ぬことを肯定してくれて、僕も同様に肯定した。(どんなペンギンよりもトボガンしてペチペチしたい気持ちだ)誰にも言えないことを彼女になら言える。悲しみの根源は違えど、悲しみの感じ方がすごく似ている。鳥貴族 新横浜店で一番狭い2人席にて、僕らは一緒に死ぬことを誓い合った。
本当にやばくなったら朝まで飲んで、一緒にお互いの「安楽死スイッチ」をせーので押そう。
せーのっ。
あははははは。めっちゃ脳内麻薬出た状態で死ねそうだね。
増沢大輝が東京に来る。会いたいと連絡が来た。おれも会いたい。ずっと会いたくて会いたくてたまらなかったのだ。
思い出のお店はもう潰れてて龍盛菜館 渋谷店でビールとつまみを頼む。1年ぶりだ。歳をとると当たり前のように親友ですら「1年ぶり」が当たり前になる。本当にいやだ。本当に。
1年ぶりと言うことが嘘のように話が弾んだ。大輝もまったく同じだったのだ。恐ろしいことに同じ質感で「俺もテロリストになりそうだった」と言ってくれた。通じるんだ、これ。
「やっぱり、コミュニティが必要だ」
大輝。大輝。大輝。僕と大輝でしか通じない言葉だ。この「やっぱり」に込められた意味なんかあんたらに分かってたまるか。「やっぱり」ずっと狂った日々を過ごしての結論なのだ。あんたらは家と職場の往復をしてろ。俺たちにはこれしかない。
当 た り 前 の よ う に 生 活 を 変 え て し ま う 人 ば か り な こ と が や っ ぱ り 耐 え ら れ な い ! お れ の 悲 し み の 根 源 は 「 な ん の 躊 躇 も な く 変 わ っ て し ま う 人 た ち 」 な の だ ! み ん な ス ン ッ と し た 顔 し て 働 い て て 会 わ な く な っ て し ま う こ と に !
ああ。僕の考えていることは間違いではなかったのだ。大輝と悲しみを共有することができた。生きててよかった。少なくともこの「孤独島」には3人の住人がいる。それだけで景色に色が戻ってきた。
ありがと。
すべての仕事は詐欺である
魔術師は言った。
「仕事しなきゃな。どうやってみんなを救おうかな✨」
トンカチで殴られたような衝撃だった。今の今まで「クズどもから金でも奪うか」と考えていた僕である。そんな眩しい光のような考え方が地球に残っていたことに、少し、かなり、食らってしまった。
(そんな素敵な発言ある……?)
笑いと泣きの感情を同時に発露しながら、もっとお前の言葉が聞きたいと思った。そんな気持ちは長らく忘れていた。お前は光だ。もー大好き。
「ゆーきくんも光だよー✨」
ドーナツ状の煙を吐いて真円の中から僕の目を覗いてくる。綺麗な目だ。もう「脳内の考え事」と「実際の発音」の区別が曖昧だ。あれ?いまどこまで発言したっけ。っていうか今の考え事、全部聴かれてた?
「うん✨」
Kちゃんも今は生まれ故郷を失ってる。僕よりずっと大変な状況なのに僕を見てて励ましてくれる。今日ここに呼ばれて本当に嬉しかった。もう本当に人生どうでもいいと思った。自分では何も変えられない。それがとてつもなく悔しかった。
「ゆーきくん、今度会社やるから社長やってよ✨」
でも今は全ての過去に支えられ、お前の前に立ってる。俺が1年間クズ人間になっている間、お前はずっと毎日努力を続け今も笑顔を俺に向けている。あんたすげーよ。凄すぎるよ。折れない才能、俺にはない才能。お前は太陽だ。おれはやってきたこと全て捨ててきた今は何もない。だけど、だからこそ、俺の持ってる技術、才能は全部お前にやる。俺の人生全部お前にやる。お前が生きていけない地球になんの未練もないから。
「最強最高✨今更新しい事するならゆーきくんとしかやりたくないからな!!」
俺にも居場所はあったのだ。今ここにあったのだ。すべての表現を辞めてよかった。簿記でも取ればいいかな? 単式も複式も俺はよくわからん。
「俺らが俺らであるための会社をやるのさ✨」
そうだ。そうだな。忘れてた、不可能だと思ってた。お前が言うと真実になるそういう言霊がお前には備わってる。1年前は無かったビジネスをお前は仲間と回してる。
「⚡️☔️🎬🎶を作りたいんだ。俺らが俺らを残し合うために✨」
ああ、それおれも19歳のときに思ってた。諦めなくてよかったんだ。ってかお前も思ってたんだ。俺は1人じゃなかったんだ。もう1人になっちゃったんだと思ってた。本当に、本当だよ。すごく怖かったんだ。誰にも相談できなかったんだ。懐かしさを感じさせる音楽がスピーカーから流れている。怖くて人と距離を取っているうちに、だんだんと自分が失われていった。自分が自分であるうちに人生を完成させようと思っていた。今、今、今流れている音楽はなんて言う名前だ?
「風味堂の『ナキムシのうた』っていう歌だよ✨」
これ、なんだか小学五年生の夏休みの夕方の感じがする。今の今まで忘れてたおじいちゃん家のカーペットの匂い。忘れてたことさえ忘れてた。
「1曲作ろうか✨」
ビートを決めて同居人のVさんも含めて3人で歌詞を書く。1時間後に突き合わせて1曲のラップを歌う。こんな遊びも数年ぶりだ。ビートを聞くだけで言葉が溢れてくる。可能な限り早く手を動かして鉛筆でリリックを書き留める。鉛筆よ今日は限界を超えて舞ってくれ。
音楽なんてずっと聴いてなかった。与えてもらってばっかりだったな。みんなに恩返しができる日がやってくるのだろうか。強い悲しみを味わった人はそこで時間が止まっちゃうんだって。不思議だよね。トラウマを負った人は実年齢よりも幼く見えるんだ。みんなの時計を進めていきたい。お前みたいに人を救えるように俺もなりたい。お前に大切な友達を紹介したい。今は愛媛で地域おこし協力隊としてがんばっている。そいつは俺たちにはない星を持っている。そいつが愛媛から東京に来たタイミングで紹介するよ。それが私に託された一番最初の仕事。出会って、繋げて、目撃する。
それが僕の生まれてきた意味だから。