記事一覧
僕と中島晴矢の「違い」
無茶な試みか。やってみよう。
そんな書き出しで、メモばかり溜まっていく「中島晴矢論」はいつまで経っても完成しなさそうだった。断片的でもいい、何かこの文章を完成させることで俺は前に進むことができる。そんな気がしたから、えいやっと文章を書き進めている。だからもしかしたら、同じ悩みを抱えている人にしか通じないと思う。それが僕なりの「中島晴矢論」だし、それ以上のことは嘘になってしまうから何も説明はしない
何が私を駆り立てたのか [天然極彩色]
私の名前は石田祐規と言います。名前だけでも覚えていただけたでしょうか? 名前を覚えたところで、僕のことについて何も知ったことにはなりませんが。齋藤恵汰が12年前に言っていました「人には分かり合えないという絶望が横たわっている。それをどのように無視するかがその人の人生を決める」と。
僕もたくさんの人とラポールを築いてきました。幻想だとしても、この観測こそが余波を与えると信じています。渋家を通じて6
何が私を駆り立てたのか [イエロー編]
これは非常に危険な行為である。と自覚したのは公開してから9日後のことであった。物語を自分の言葉で振り返ることと、他人に語ってもらいたい欲望。少しだけ自分のルーツを遡る試み、あと少しだけ続きます。
2019年の始まりはHIPHOPだと言えよう。沖縄のスタジオで初めてラップをレコーディングした。これは新しい性行為の手段の始まりだと言える。
ラッパーのBonknown(ボンノー)がエンジニアリングし
なにわた [青空編]
何が私を駆り立てたのか、リサーチ。前回からの続編です。いろいろあって沖縄で増田捺冶と出会い、雑誌を作り始めたのが前回までのあらすじ。
君の名は雑誌「令和」時間だ。官房長官がおれたちの雑誌の名前をテレビで発表してくれる。増田捺冶と通話をつなぎながら報道を眺めた。まだか。まだか。空撮で捕らえられた車が一台走っている。予定の11時30分を過ぎ、11時40分を過ぎた頃、菅長官が部屋に入ってきた。
何が私を駆り立てたのか [赤編]
元気のない石田祐規2015年。ぼくはどうやら調子が悪かったらしい。2015年。どうやら遠くで鐘が鳴っているらしい。僕は渋家に住んでいた。26歳だった。テレビでは「オリンピックの建築家が白紙」になったり「エンブレムが変更になる」だので騒いでいた。自分ではあまり自覚がなかったが、としくにさんいわく同じ場所に居続けることで「自家中毒」になっているのではないかという分析だった。当時はその単語にピンとこなか
もっとみる2010年代の映画を10本を選ぶ
未来に持っていく2010年代の映画セットリスト
ちゃんと意識がある状態で10年という区切りを終えたのが初めてなので、これを記念し。
2010年〜2019年まで、各年代1個づつセレクトしていこうと思う。
2010年 『ソーシャルネットワーク』
デヴィット・フィンチャー監督を知ったきっかけ。そして20歳の僕は初めて映画館に2度見に行った。逆にまだこれを見ていない人はいるんだろうか。ぜひ見て欲しい。