第46回『 思考(感情)と記憶』 ~今も記憶も思考感情は選べる~
前回に引き続き「思考や感情、記憶」について考えていきます。
僕たちの「魂という情報の塊」は「記憶」でもあり、その記憶と思考感情の関係も大事です。
もちろん、これらにも色々な捉え方があると思いますので、いつも通り十人十色の視点の一つとしてお付き合いください。
(※画像はフリー素材などからお借りし、加工しています)
【 情報を思考し感情を加える 】
僕たちは「何かをする」にあたり、選択肢として多くの情報が与えられます。
それらは頭で考え生み出しているのではなく、己の内(記憶や記録)や外(他者、肉体)から引き寄せているのですが、その詳細は次回にまわすとして、今回は「感情」といった面から考えていこうと思います。
そもそも、「思考」と「感情」は別なのか。
辞書的説明では、違う意味でも、部分的に重なってもいます。
僕チームによると「別のものだが、分けて考えることは難しい」そうで、「思考」は情報そのものであり、そこに誰かが「感情」をのせて一体化したものでもある、そうです。
感情も情報の一つ。
そういう意味でもワンセットで「思考」であり、それらを「集め選択する」というのが「行為としての思考」なのかもしれませんね。
〔 思考と感情、経験がメグル 〕
僕たちが実際に思考する(=考えるという行為)とは、インターネットで「ググる」などのように、情報を集め閲覧しているのに似ています。
それらの中から「その時の自分にしっくりくるものを選び、その結果がどうだったか」までを経験としてセットにし、記憶していきます。
その「経験や記憶」は自分チームにも共有され、肉体を通じて地球にも共有され、その経験を必要とする誰かのために提供され、宇宙を瞬時に駆け巡ります。
僕たちはそうやって「宇宙の情報(エネルギー)量を増やす」という仕事を日々こなしているのです。
ここで大事なのは、僕たちはググって「○○やって失敗した~」「◇◇で俺はうまくいった!」といった情報を真似するように、思考を選んでいるだけということ。
頭で考え、生み出したように思えるものも、実は全てどこかから流れ込んできた選択肢なのです。
そして「自分の場合はどうなった」とみんなで情報を追加し、一つ一つの「思考」の情報量を増やし、精度を上げ続けているのです。
〔 全ては己の色眼鏡 〕
もし感情を色だと喩えれば、『流れ来る「複数の情報」を、それぞれに感情という絵の具でカラフルに染めている』といった感じです。
もちろん流れ来る情報にも元々色がついていて、それらも選択する際の目安として使いながら、自分なりの色に染め直したりもします。
そうやって『色づけされた思考を、選び、思いや行動に移し、その結果も色にして、自分の経験、記憶として魂に格納していく』といった作業を、僕たちはやり続けているのです。
結局、自分に起こる全ては、己の色眼鏡(感情)で見ているのだから、何をどう感じるかも「全て己の映し」ですよね。
また、「どの感情を選ぶのか」も僕たちに任された大切な仕事なのです。
〔 フラッシュバック(回想)〕
先に書いたように、流れ来る思考には多くの情報(状況、成功や失敗、後の反省など)がのっています。
もちろん「自分の記憶」から来る場合であっても同じ。
その時々の感情が一緒に記録されているので、思い出には感情もセットになっています。
思い出は色あせない、瞬時にあの頃の気持ちに戻る、といった理由ですね。
時には、意図せず「記憶が頭をよぎる、ふと思い出す」こともあります。
「フラッシュ(閃光のように記憶が)バック(甦る)」とか言ったりしますが、これもテレパシー(念話)と同じで、一瞬の間に色んな情報を受け取っていて、追っかけで頭で再生し直しているのです。
(※最近はフラッシュバックをPTSD(心的外傷後ストレス障害)と関連付けて「悪い記憶を思い出すこと」みたいにされてて残念ですねぇ(~_~;) )
〔 なぜ思い出すのだろう? 〕
トラウマに限らず、苦い記憶を思い出し、その度に「嫌だ」と色を重ねてしまえばますます色は濃くなり、どこかで自分を嫌いになってしまうかもしれません。
なのに、なぜ思い出すのでしょうか?
誰かとの会話がきっかけで、ということもあるでしょうが、実は悪意を持った靈人などに見せらている場合もあります。
僕たちの過去のアラを探し「お前、こんなはずかしい記憶があるのか~」と、わざわざ弱点を突き、思考として送り込んでくるのです。
(まぁ色んなパターンがあるのですが、長くなるので省略)
そうやって奴らは思考の邪魔をしたり、「黒歴史」を真っ黒になるまで染め上げて楽しんでみたりと、仕組みを知らなければやられ放題ですね。
〔 思考や感情を選ぶ「サニワ」〕
思考感情は、周囲の靈人だったり、動植物、環境(場所)のエネルギーなども含めて様々な影響を受けるので、いつもならしない選択をさせられることがあります。
本来の己や自分チームの感情ではなく、他者の悪意や憂いを受けて、「楽しい」 →「腹立つ」「悲しい」
などと、思わぬ方向に誘われぬように注意が必要です。
もちろん「思考・感情は選べる」と知っていれば、操られないように注意を払うこともできます。
今心に浮かぶこの思考・感情(情報の出所)は
「己(自分チーム)なのか、敵なのか」
「正しいのか、捻じ曲げられていないか」
「仮に己の内にある悲しみだとしても、喜びの色に置き換えても良いのではないか」
、、、などと丁寧に考え、選ぶのです。
それがきっと、「己をサニワする」ということなのでしょう。
仮に苦しみしか浮かばないような場面であったとしても、何度も何度も丁寧に考えていけば、必ず自分チームから「喜びに繋がるための思考」が送られてきます。
どんな悪靈にも負けない「絶対的な愛」があるからです。
〔 記憶の色も変えることができる 〕
参考までに、以前にも「色付けされた情報の糸を束ねたもの、または巻き取って球にしたものが魂である」といった感じで書いたことがあります。
まぁ、少しずつ情報も更新されていますが、、、(^_^.)
魂として存在する記憶、つまり僕たちの経験は「消す」ことはできません。
たとえ苦い経験であっても、すべてがつながり、じっくり時間をかけ紡いできた「とても貴重なもの」なのですから。
しかし、「素地である糸(事象)」と「色(感情)」は別なので、その記憶と共にある感情は変えることができます。
どんな昔の記憶であっても思い出すたびに色を選び直したり、苦い感情であれば薄め、少しずつ喜びの色に替えていくこともできるのです。
たとえば、ゆっくりと丁寧に時間をかけ、何度も何度も振り返る。
ひたすら良きエネルギーを発し続けて、終える。
「苦の感情たち、経験をくれて、学びをくれて、変化をくれて、ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、 さようなら」と。
過去の自分を許したり、過去生にある苦い感情まで喜びに変えていく力が、僕たち皆に備わっているのです。
いつでも、どこでも、誰でも、「思考」も「感情」も選べる!
(これ、超重要!)
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今回はここまでです。
「思考」はすごく複雑で、今僕が教わっているものも一部だそうです。
もっとも~っと理解を深めていきたいですね~。
さて次回は「思考感情の出所」について掘り下げていこうと思います。
よければまたお付き合いください(*^_^*)