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あるアイルランド人傭兵・軍人、そして、統治者になった人のインドでの歩み。
あるアイルランド人傭兵・軍人、そして、統治者になった人のインドでの歩み。
インド・デリー周辺のフリーペーパー”Yokoso”に投稿したものです。
前回迄、植民地覇権を狙ったポルトガル、イギリスのインドでの確執、ドイツ・フランス人傭兵のインドでの活動について調べた事を綴らせて戴きました。 今回は、アイルランド人としてインドに滞在した ジョージ・トーマス(George Thomas)について、知り得た事を纏めて見たい、と思います。ジョージ・トーマスは、1756年頃にアイルランドで生まれました。その後、イギリス東インド会社の軍隊に入り、更に彼自身が傭兵として勇敢にインドで戦った野望家であった様です。一時は、 自分の軍隊を持ち、 インド国内で独立した国を持った事もあります。1802年にインドで病死。 その後、彼の軍隊は、イギリス東インド会社に併合されました。
18世紀から19世紀にかけてイギリスは、イギリス国教会とカトリック教会の間で対立や差別が存在していました。ジョージ・トーマスは、カトリック教徒であったと想像されますが、 定かではありません。当時、イギリスの支配下にあったアイルランドは、経済的に厳しい状況にあり、人々の中には、海外で働こうとした人は多かったのです。
イギリス東インド会社の中には多くのアイルランド人が在籍していました。 彼(ジョージ・トーマス)をアイルランド人と呼ぶべきか、アイルランド系住民と呼ぶべきかは一つの問題だ、とは思いますが、しかし、アイルランドの人としてのアイデンティティーは強かった、と思います。 当時のイギリス内での政治的・宗教的混乱のため、アイルランドの人々は、インドを含めた海外に生活の場を求めた、と言う背景があります。この時期は、アイルランドの経済的苦境や飢饉のため、アイルランドからアメリカに移住する人々が多く、アメリカン・ドリームを求めた人も含まれる、と言う事情説明もありました。
彼(ジョージ・トーマス) は、傭兵として勇敢に戦いましたが、覇気の強い人であったようです。 彼は、自分の傭兵を引き連れてインド各地で転戦しました。
彼(ジョージ・トーマス)は、後に「Raja from Tipperary」と呼ばれました。ティペラリーは 現在もアイルランドに残っている地名であり、Rajaは王を意味します。詰まり、(アイルランドの)ティペラリー出身の王、と言う事になります。ティペラリーと言う街は今でも、アイルランド文化の色濃い地域です。
1782年、25歳の時に、マドラスにて、ジョージ・トーマスはイギリス東インド会社を離れた模様です。脱走(deserted)、と言う表現もありました。 そして、前回に書きましたウッタル・プラデシュのサルダナにいた地域の女性支配者Begum Samru(べグム・サムルー)の配下に入りました。 彼女は、当時としては珍しいインド人のカトリックの信奉者でした。 サルダナ自体は、 町として見た場合クリスチャンの多い街とは言えませんが、 べグム・サムルーは、 その地域のカトリック社会に貢献した人、と言われています。 ただし、ジョージ・トーマスが敬虔なカトリックの人であったかどうか、と言う点は調べた限りにおいては分かりません。 ただ、べグム・サムルーは、 ジョージ・トーマスを優遇していた様です。
彼(ジョージ・トーマス)は、ハリアナのロータック、サール方面にあった自分の所有する領地を守るため、ムガール帝国に対しても、 ムガール帝国に敵対していたヒンドゥー教徒同盟が形成するマラータ軍とも戦った、と言う非常に捩れた難しい立場に立っていました。 しかも、敵に対して単に敵対する、と言うだけではなく、協力もすると言う、 百戦錬磨の戦い上手であった様です。 後に、今日のハンシーが、彼の拠点となった様です。しかも、彼の軍隊には、インド諸民族の混成部隊、 と言う異常に複雑な状態を支配していた事になります。
絶えず入れ替わる地政学的状況を把握し、次の事態に備えていた、と思われます。
1802年、ジョージ・トーマスは勢力拡張の時期に突然病死します。 当時インドで流行っていた感染症による死亡、と言う見方が有力です。 死因に関しては病死説から、毒殺を含む陰謀説まで存在します。波瀾万丈と言ってしまえばそれだけの事ですが、当時混乱の地であったアイルランドから脱出し、植民地での覇権獲得に奔走し、時に自分以外の支配者のために、時に自分のために、インド亜大陸の上を走り回った人物がいた訳です。
波瀾万丈と言えば、一知半解なAI技術の喰い合いによる複合的に不可思議な影響力を受けながらも、人間が主体となった新しい世界観を持たねばならないのかも知れません。空海の「無常迅速」は、自分も学びながら変化する事の必要性を言っているのかも知れません。