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創作全般の覚え書き

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自分の、あるいは社会の創作の話題で反応してしまったことの覚え書き
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#工芸

いつも全力でやらないとスグに堕ちて行きます

職人仕事・・・職人に限らず仕事人は、いつも100%からそれ以上の意識を持って仕事をしていないとスグに腕が落ちてしまいますよね。 修行中、あるいは独立してからでも、いつも自分よりも上のレベルの人がいる環境にいた人であっても自分ひとりになると途端に「現状の本来の自分」に戻ってしまう人が多い。上の人がいる時は、強制的に引き上げられているわけです。もちろん、逆に制約が無くなった事により修行中よりも厳しく仕事場をつくり、仕事自体も、より高度に成長させる人もおりますが・・・ ビジネス

2023年棟方志功展に行った

先日、工房構成員の甲斐凡子と、東京国立近代美術館にて開催しております「棟方志功展・メイキング・オブ・ムナカタ」に行ってまいりました。 棟方志功については、私が小学生の頃にブームがあったのか、NHKなどで良く観た気がします。小学校の美術の教科書にも載っていたりで私にとっては親しみのあるものでした。 それと、デパートその他で良く展示会がされていましたので、私は色々な場所で作品を目にしておりました。大人気の巨匠でしたから、まとまった画集なども既に刊行されており、それらも目につく

民藝館と現代の民藝

「民藝品は民衆の健やかな日常生活のためのもの」という定義であるなら、民藝館のミュージアムショップで販売されている商品は、民藝館の収蔵品と同レベルのものでなければならない。少なくとも同じ波長を持つものでなければならない しかし実際には全く違う質のものであるから、現状では民藝館自体が、民藝論にある矛盾を証明する存在になっているのではないだろうか * * * * * * * *  晩年の柳宗悦氏は、当時の民藝品の質の低下についての警句を強い調子で著書に書き残している。創始者の

絵画と文様の違い

芸術とデザインの話はこのnoteに書いた事がありますが (下のリンクの記事の、中頃あたりからその話題になっています) 以下のリンクでは「工芸品と芸術品の違い」などを書いております。 が、「絵画と文様の違い」の話題は書いた事が無かったので書いてみました。 例えば、絵画なのに文様みたいな絵を描く人がおります・・・例を挙げればマティスや熊谷守一の絵は、作品によっては平面的で文様みたいな感じがあります。 また、マティスや熊谷守一の絵は、デザイン素材としても大変素晴らしく汎用性

私にとっての最上の創作物

表現物の場合は 【作者が感じ、表現したい事が、全くロス無くそのまま他者に伝わるもの】 さらに 【作者ですら気づかなかったものが作品に乗り、相手に伝わるもの】 ・・・です。 それが私にとっての理想です。それは作品という物体ではなく「新しい生き物」のようなものです。 そういうものは、伝えたい100が相手にも100伝わってお終いではなく、伝わった何かは、伝わった人の内部でさらに育ち、そしてさらに多くの人に拡散されます。 作者としてはそのような作品を目指して日々活動する

江戸組紐の老舗“中村 正”さんを訪ねました

先日、松戸市内で130年続く江戸組紐の老舗「江戸組紐 中村正」(なかむら しょう)の四代目、中村航太さん(なかむら こうた)さんを訪ねました。 分かりやすく言いますと、現代においては着物を着用するのに使う「帯締め」「羽織紐」などをメインに制作する工房です。(刀の拵えや茶道具系でも組紐は多く使われますので、そのようなものも制作する事があるそうです) 四代目の代表・中村航太さんは工房運営と同時に、ご自分の組紐作品も発表しており、創作活動も盛んにされております。 我がフォリア

「新しさ・伝統・民藝」などの覚え書き

新しさについて 何かの極点に達したものは、両極端の性質を同時に持つ気がします。 円を描くのに、描き始めから描き終わりで線が接すると、その点は、描き始めの地点であり、描き終わりの地点でもあるような感じ・・・ * * * * * * * *  伝統の根幹部分 「伝統」には現実的な実質があります・・・それは伝説や中身の無い権威ではなく、現実です。 だから、現代生活にも機能し続けるわけです。 とはいえ、闇雲に「昔の人はみんな凄かった」と単純に把握するのは良くないと私は考

新酒を作る事無く未来の熟成酒を語る愚

例えば、美味しい熟成シングルモルトスコッチを伝統文化系に例えてみると、常に次に出荷するための新酒を仕込んでおかなければならない=常に未来の熟練職人となる若い人たちを入れて育成し続けていなければならない、という事は誰でも納得される事と思います。 そうしないと次の12年もののシングルモルト、あるいはもっと古いもの・・・が出せなくなってしまうのは当然ですから。 もし新酒の仕込みをしない醸造所が「伝統的な本物のシングルモルトの未来」を語ったら、その醸造所の代表は狂っていると思うで

手作りという魔法は無い

私は、現代において「手で作る必然のあるもの」によって「いわゆる手工芸品」では到達出来ない創作性を「現出」させ、美をたたえているものを作りたいと思っています。 昔から、最上品はそうでした。 それは手作りだから良いとかそういうことは関係なく、良いのです。 昔の工芸品の素晴らしいものを、天然素材だから、手作りだから、苦労して作ったから、技術が素晴らしいからとか、そういう面で感動する人はいないと思います。 それは理由なく人々の心を打つものだから、飽きられることもなく長年ずっと

工芸品と芸術品の性質の違い

私は普段、このnoteに書いている通り、全ての人為と人造物は等価なので、例えば工芸品と芸術品の「上下は無い」としております。 工芸品の創作的に進化した最終形態が芸術品みたいに言われますが、そういう事実は無いという立場です。 「この蒔絵は工芸品を超越して最早芸術品である」 みたいな言い方ですね。そんな事あるかーい!笑 工芸品と芸術作品は、人造物の分野の違いに過ぎません。 しかし、それぞれ性質が違うところがいくつかあると思っております。 例えば、工芸品と芸術品とでは、

創作系で、ルールや定番が希薄になるほど文脈にうるさくなるのは、人間にはルールや定番が必要なためではないか?

・・・と、私は考えております。 人間は自由自由と実にウルサイですが、実はルールや定番が大好きで、自分が自由を求める分野以外で特に不便を感じない場合は、そのようなルールや定番に何の疑問も持たずに日常生活を過ごしております。 過不足無く機能しているルールや定番は、良く計画され施設されたインフラのようなものです。人々はそれをベースに、そこで不満を感じる事無く自由に振る舞っているのです。 それゆえ常に「ルール・定番」を観察し、機能不全を起こしている場合は改変する必要があります。

私の仕事場づくり

私は、19〜26歳の間、いろいろな職業を経験しましたが、その間、料理人の経験が一番長く、その時の経験が今の仕事に・・・和装染色品の制作がメインですが、いろいろな面でとても役に立っております。 そのなかで、今回は「調理場での経験を応用した仕事場づくり」について書いてみようかと思います。 特に「都市部での染色あるいは、その他の工芸品制作を生業として行う場合の仕事場づくり」に有効です。 * * * * * * * *  調理場、特に都心部の飲食店の調理場というのは、だいたい

描きたいものは無いけども絵を描く事は好きという人

は、意外に多いです。 もちろん、これは工芸系でも当てはまります・・・あ、というか、大人になって収入のために仕事をする場合は、全てに当てはまるか・・・と書いていて気づきました。出だしからイキナリかい!笑 何にしても、職業にする場合は、どの分野でも趣味と違って単に好きなだけでは通用しませんから「それほど好きでも無い事だけど、他の人には耐えられない事が耐えられる」とか「それほど好きでも無いけど、それほど苦労無く他人よりも出来てしまう事」を選択するのが良いですね。 世の中、自分

人は自分のためだけにやり切る事は出来ないもの・・・

工芸品に限らず、創作物全体に対して、個人的に思う事ですが 作物の底に「自分以外の存在に対する祈り」のあるものが良いです それは大それたものではなく、高尚なものでもなく、素朴で素直で健康的な・・・人間が自然に持つタイプのもの 人の存在、人の生活、自然・・・自分だけではない他者への祈り 作る人の祈り、使う人の祈り、そのどちらも受け止める事が出来る「どちらの祈りも受け止める存在」であるものが良いなあと、私は特に最近感じます。不景気やコロナ、戦争・・・のせいで余計にそう感じる