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大学職員を辞めて二年~地方で大学職員を目指すということ
大学職員を辞めた理由についてのエントリーをアップしてから二年が経ちました。
今年の秋が来ればもう三年…光陰矢の如しとはよく言ったものですね。
これらの記事には引き続き関心を持ってくださる方が多く、今も就職活動シーズンとなればちょこちょこ購入頂いているようで嬉しいです。
大学職員を辞めて一年後に書いた記事はこちら。
では二年後の今、どうしているのか…?
答えは、引き続き「地方都市の無職」です。
昨年末に出産したこともあり、しばらく本格的な再就職活動はできない状況です。
ただ後述するように、時々ネットや求人雑誌などで情報収集していることも確かです。
大学職員退職から二年が過ぎ三年目に突入した今、大学職員時代のことをどう思っているのか、前回と比べてその思いに変化はあったのか、今後についてどのような展望を持っているか、これらについて書いてみようと思います。
・経験、記憶、ご縁
確実なのは、退職から二年以上が経過し、オフィスワーカーとしての経験、前職時代の記憶、先輩や同僚とのご縁、そのどれもが少しずつ遠ざかり、薄れていっているということです。
今でもワードやエクセルは支障なく操作できますし、個人的に繋がっている前職の知人友人もいます。
経験の裏付けにしようと、妊娠中には秘書検定三級を取得しました。
現在もメンタルヘルスマネジメント検定三級のテキストをめくっています。
ただ、現場から離れて長いことはどうしても意識せざるを得ません。
例えば今この瞬間の現場の空気感をリアルに経験することは、どう足掻いても困難です。
また、前職に残っていればそうしたリアルな経験を…特にここ数年では感染症対応という大きな課題に向けた一致団結の経験を…同僚や先輩後輩たちと共にできた訳ですが、それがもはや叶わない以上、わたしという職員がいたことも、現場にとっては既に過去のものになっているでしょう。
(色々やらかしたまま残してきた仕事があることも自覚はしています。ですから、忘れられる寂しさと同じくらい「どうかわたしのことなど忘れてくれ」という思いもあります。)
・忘れるのが嬉しいことも
一方で、忘れるのが嬉しいこともあります。
最たるものはハラスメントを受けた経験でしょう。
うつ病発症後数年間、復職や退職を経てもなお、ハラスメント加害者に似た人(女性)を見ると動悸 がしていました。
今でも当時のことは時々思い出します。
決して忘れた訳ではありませんし加害者を、加害者を許した前職の組織を許してもいません。
しかし、加害者に似た人を見て心拍数が上がるようなことはもうなくなりました。
今度は、再び被害に遭わないようこれまでの経験や知識を総動員すること、逆に、自分が加害者になってしまわないよう注意することに時間をかけてゆきたいと思います。
・放っておけない性格
前職からの延長でどうしてもやめられないことがあります。
それは、頑張っていたり、困っていそうな子供や若者を見ると、話を聞いてみたくなり、お節介を焼きたくなってしまうことです。
自分も年を取ったのかもしれませんが…
勘違いや要らぬお節介はかえって迷惑になります。
よく考えずに発せられる哀れみは上下関係を生みますし、人を傷つける刃にもなります。
人を助けようとする時、そもそも助けられたいのは自分なのではないか、自分は本当に他人を助けられるコンディションなのか、冷静に判断する目も必要です。
ただ、他の人の生きやすさについて自分事として考えてゆくのはどうやら嫌いではない、それだけは間違っていなさそうです。
・地方で大学職員になることへの壁
冒頭にかかげた記事の最後はこんな言葉で結んでいます。
雇用形態や勤務日数、8時間労働にこだわらず、関わる仕事の範囲を狭めたとしても、またいつか大学職員の世界に戻る選択肢は「あり」にしておこうと思っています。
また、前回の振り返り記事でこんなことも書いています。
一旦逃げ出した大学業界ではあるけれど、やっぱり楽しかった、いつか戻れるものなら戻りたいという気持ちは今でも消えていない。
それから二年、三年が経過した今、自分の中では、大学へ戻らないという選択肢が大きくなっているのを感じます。
なぜか?
ネックは、地方の大学職員求人のほとんどが非正規雇用であること、加えて、その時給が低いことにあります。
以下は、私が現在住んでいる地域の情報をもとに記載しますので予めご了承ください。
地方で大学職員の求人を探す場合、主に次のような機関、媒体を見ることになります。
A.ハローワーク
B.派遣会社
C.地元の求人雑誌や求人チラシ
まず言えるのは、AからCまで、求人のほぼ九割が非正規雇用だということです。
ハローワークには地元国立大学の総務系求人がありますが、時給は1000円に届きません。
(公立学校の学校事務を担う会計年度任用職員等でも同様)
窓口担当者からも「正規雇用の求人が出るチャンスを待った方がいい」と言われました。
というのも、まれに専門学校等の正社員求人が出るそうなのですが、採用は1名程度と狭き門ですし、同時入社の仲間はおそらくいないので励まし合うこともできず、また、入ってからでないと雰囲気が分からないので、知り合いがいるとかでない限りかなりの賭けに出ることになるでしょう。
地元の求人雑誌や求人チラシでも、例えば研究室秘書のような求人を見かけることはありますが、待遇は決して恵まれているとは言えません。
車通勤が条件の場合も多いです。
そして以上のような求人のほとんどはフルタイムでの勤務を想定していない、ということが言えます。
となると、比較的時給の高い派遣会社も候補に入ってくる訳ですが、地方における派遣大学職員の求人状況はどうか、その働き方の現実がどのようなものなのか、まだ寡聞にして知らないため、ここに多くを書くことはできません。
ただ、1ヶ月ほど地方の派遣会社で就職活動をして感じたのは、やはり地方では地元の派遣会社のケアのほうがが手厚く思える、ということです。
全国展開している派遣会社のオフィスもあるものの、やはり大都市のオフィスのような規模は望めず、電話をかけたら繋がったのは他の地域の代表電話だった…なんていうことが何度もありました。
となると、自然と地元の派遣会社のほうを頼るようになる訳ですが、地方ゆえに「女性は育児をしながら家族の理解が得られる範囲で働かせていただく」というような価値観がまだ根強いので、そのあたりの空気感が派遣会社の中でどう受け止められているのか、まだ分かりません。
・オフィスワーク以外で教育業界と関わる未来
前職では、デスクがあり、パソコンがあり、勤務時間中はずっとそこにいる、という働き方をしてきました。
全く刺激がない訳ではないのですが、ルーティンワークメイン、身体を動かさないなど、うつ病発症に至りやすい労働形態だったことは否めません。
最近よく考えるのが、教育現場でオフィスワークではない働き方をすることです。
先生や学生と話すなど、教育現場で生身の人間同士でコミュニケーションしていたあの楽しさが、今でも強く心に残っています。
おまけに、どうやら他人の目から見ても、教育関係の、しかもどちらかというと現場仕事のほうに向いているようなのです。
また、これまでの経験を思い出すにつけ、教育現場にこそ関わって生きてゆくべきなのではないかとも考えるようになりました。
というのも、子供時代に経験した辛い思い出がその後の人生に大きく影響していること、具体的に言えば、うつ病発症や休職といった経験に明らかにつながっていることを考えると、今同じような思いをしている現代の児童生徒、学生や若者たちと関わり、必要なケアをすることで、彼ら彼女らが大人になることへの希望を持つ手助けができるのではないか、と考えたのです。
とはいえ、今から教壇に立つのはおそらく難しいです。
一番手が足りていないのは教員ですから申し訳なく思います。
けれど、それ以外の場面でこれまでの経験を活かすことは、夢物語ではなさそうに思えます。
オフィスワークの経験が役に立つ場面もあるかもしれません。
・今後の展望
子供を抱えての再就職は、正直厳しいと思います。
しかし、ステップを踏みながら少しずつ近づいてゆくことはできると信じています。
まずは、産後の身体を回復させ、体調を整えながら体力をつけること。
次は、家族と調整しながら、仕事復帰への方法を模索すること。
そして、教育関係のニュースにアンテナを高くしておき、最新の現場事情について学ぶ機会があれば臆せず飛び込むこと。
これらを意識しつつ日々を過ごしてゆきたいです。
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