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落合陽一著「日本再興戦略」を読んだ児童養護施設職員の感想文

どうもこんにちは。ゆきちかさん、という名前でnoteを書いています。児童養護施設の心理職として働いています。
本noteの目的は、“児童養護施設”の検索結果をよりグラデーション豊かにするというものです。

このテーマに切り替えて、1週間毎日記事を更新してきました。3日の次は3週間、3週間の次は3ヶ月…と“3”続きで習慣づけろと高校の時習いましたので、日課になるように励みます。

夢に出てきた落合陽一さん

 数日前から風邪を引いていたうちの1歳児くん。治りかけで体力が戻ってきたにも関わらず、鼻水が喉に落ちて呼吸がしづらいようで、夜に寝付いた後になって怒って大暴れしました。横で唸ったり身を捩ったり、それはもう私の睡眠の妨げだったのですが、こういう時は変な夢を見ることがありますね。

 ということで、何故か、夢に落合陽一さんが出てきました。

 日本再興戦略という本を買って、先日読み終えたばかりだったのですが、webの記事でもたくさんお見かけしますので、本の内容も去ることながら、落合さんのビジュアルをよく目にしていました。あ、ちなみに、本当にただの一読者であって、知り合いでもなければ、イベント等に行って生で見たこともありません…。

 夢の中でも多忙に多動を極めているようで、私は何故かその後ろをついて歩いている設定(仕事ぶりを取材するために同行している、みたいな感覚)でした。

 ついて歩いていると、2・30メートルはあろうかという巨大なトランポリンタワー(たくさんのトランポリンが集まった、巨大アスレチック、みたいな…汗)の天辺で行われるミーティングに参加されるとのこと。

「こんなところで一体誰と何のミーティング…?」みたいな顔をしただろう私。

 落合さんは「君のペースで来て良いから。後から追いついて」的なことを言い残し(声を聞いたことがないので、ジェスチャで読み取った気がする)、軽やかに跳ねてタワーを登っていく。落合さんが跳んだトランポリンの黒いゴムがビヨンビヨン振動するのを見た後には、既に落合さんの姿はありませんでした。私はどんなにビヨンビヨンしても進めないまま夢からログアウトしました。笑顔でベッドをビヨンビヨンする1歳児くん。可愛い。

 落合さんはアニメかゲームの主人公のようで、「リアルでもファンタジーみたいな速度で動いている人は、他人の夢に登場する時もこんな感じなのか。流石だ」と思いました。

 ポジションを取って、動け。という本のメッセージを思い出しつつ、私も一段ジャンプ移動に挑戦します。


「日本再興戦略」に倣い「“児童養護施設”再興戦略」は立てられるか

 さて、たくさんの示唆が得られる「日本再興戦略」。多彩なジャンルに刺さり、尚且つ動き続けることで価値を創出しながら、次世代に向けた行動指針を提案しています。

 児童養護施設を通して、人間て何じゃろね?暮らしってつまりどゆこと?目指すべき価値って?という人間の本質的な部分と格闘したがっている私には、とてもエキサイティングな感覚を与えてくれました。

 特に、次の世界を作る担い手、子どもを育てるという部分についてです。日本の教育システムは、より均一な能力を備えた労働者を再生産することや、一つの分野を極めた専門家を作り上げることに注力されてきましたが、テクノロジーの発展を経た世界で価値を創出できる人材育成としては弱いのが現状だと思います。

 100年以上の伝統の多くを大事に取っておいている学校という仕組みがすぐに変わる、ということは望み薄ですが、根本的に在り方が問われ、変化することを急き立てられている今の児童養護施設の現場ならどうでしょう。

 子どもの暮らしそのものを担うことができる児童養護施設は、学校に行っいる時間以外を、「計画立てて目標達成に歩み寄る」という型にはめることが可能です。現場の人からは「現実を見ろ」とご指摘を受けそうですが、これまでとこれからを見据えたら、これまでの立ち行かなくなった価値観とは一足先にオサラバするのが良いと思うのです。

 むしろ動いている人は既に動いていると思います。
「示された基準を満たしながら、できるだけ今まで通りのやり方を残す」式で取り組んでいると、恐らくは問題の再生産に加担してしまい、更に身動きが取れなくなる状況に見舞われるのではないでしょうか。

価値観の再構築、それは動きながら確かめる作業。

 児童養護施設の再興を目指すとして、具体的な道筋をどのように立てていくと良いのか。

「施設は集団生活。今ある施設のあり様やルールを崩せば大人も子どもも混乱してしまうじゃないか。その状況を引き受けるのは自分たちだ。今も手一杯だし、無理はできない。子どもの不利益が生じるかもしれないぞ?それは言い逃れできない「悪いこと」だし、大きい声で言えないけど、そうなったら、私たちの存在が危ぶまれる…。私たちは子どもの最善の利益のために存在するんだから…。」

 現場で流れる“空気”に、何となく語ってもらうと、これが全てでないにしろ、変化に踏み込めないというバツの悪い感じが含まれると思います。どんなに頑張ろうと、不安は常につきまとうものです。

 ではどうするか。

 第一に、というか、ほとんど全てだと思うのですが、「これから変えるよ」の前提に立つことだと思います。それを「何でもやってみよう」「やってみてダメなら戻す」という作業を繰り返す。本当に「何でもやってみよう」というスタンスに立つには、自分の価値観が出してくる規制を外しまくることが必要です。これまでいろんな人が教えてくれた価値観に対して「これまでありがとう、じゃあね」と言って、離れた状態で一緒に過ごす仲間の話を聞くこと。

 きっと、施設の大人側がこれをすると、自身の生きてきた家庭から新しい環境で過ごす子どもと同じプロセスを歩けるのだと思います。自身の安定に相手を合わせるタイプの方には地獄かもしれませんが。

 落合さんの著書の終盤、「人類のよさは、モチベーションだ」という言葉があります。リスクを取るほどモチベーションが上がる状態は、機械には苦手なことなのだそうです。モチベーションがある人が動いて、刺激されてモチベーションが出てきた人をどんどん巻き込んでいく作業。ワクワクしますね。もはや児童養護施設じゃない何かに発展しうる、というのがミソです。

 あと、個人的には、子どもと一緒にお金を稼ぐことがしたいですね。あんまり学校じゃ教えてくれなくて、労働時間を売るというアルバイトでもない、お金の稼ぎ方を一緒に学ぶ。職員の給料を賄える分、児童が退所したあとしばらく好きなことだけして暮らせる分、価値を創出する。またアイデアを膨らませて書こうと思います。

思うところはたくさんありますが、また次回以降のネタにしようと思います。今日もありがとうございました。

ゆきちかさん

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ゆきちかさん
自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!

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