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「忘れてはいけない」と思うと同時に「忘れたい」
こんにちは、ゆきちかです。児童養護施設で心理職をしながら、最近お出かけしたチェルノブイリツアーの感想文を書いています。
今回はツアーで痛烈に学んだ「忘れたさ」について。私の未熟さ浮き彫りエピソードです。
「私はこの出来事を忘れない。人々にもこの出来事を語り伝える。」
テレビなどでよく目にするセリフ。記憶に残ること、教訓が生かされることに意味がある。私はそのような、字義通りの意味を読み取り、「なるほどその通り。大切なことよね」と聞いていました。
しかし、チェルノブイリに行き、これらの言葉に含まれる意味が全く違うことに気づかされ、そして打ちのめされた感じがあります。
「早く忘れたい」
ツアーに同行してくれたガイドさんの一人がチェルノブイリの事故に対する人々の思いを語った言葉です。
「え!?忘れちゃいたいの?」「忘れたら、教訓は?記憶はどうするの?」
はっきり言わなかったけれど、私の反応はこんな感じ。アクシデントの存在は忘れずに、次に活かす、これ大事!とだけ思っていたからです。
そういえば、私には誰かに語り継いで人々の記憶に残すべき普遍性を持つ情報、特にこの手の辛く乗り越え難い経験、というものがない。戦争放棄!とか、災害対策!とか、伝え聞いて覚えたものはあるけれど、生の体験という情報を持っていない。だから「忘れたさ」をうまく理解できなかったのかな、と思います。
アレクサンドル・シロタさんへの質問を通して
アレクサンドル・シロタさん(写真中央右)。原発と共に作られた、当時の最先端科学都市プリピャチを故郷に持つ男性です。10歳の時に原発事故が発生し、街から避難しましたが、そのまま故郷、生活、街での人間関係の全てを喪失した経験をしています。紆余曲折を経て、現在はプリピャチ・ドット・コムというプリピャチの街の過去と現在を伝える活動を生業としています。
ツアー内では2度に渡りお話を聞かせて頂く機会がありましたが、いずれもプリピャチからの“逃れられなさ”を語っていました。それを逆に自分の使命として選び取ることで主体的で有意義な人生を確立している。大きな体と落ち着いた構え、穏やかな語り口調などから私はそのように感じ取っていました。
「すごい人だなあ。これは“逃れられなさ”を克服するに値する何かがあったに違いない!」
そう思った私は2回目の機会で挙手(シロタさんご自宅のお庭にて)。自分が児童福祉に関わっていて、何らかの形で元の生活を喪失した子どものケアに取り組んでいる、シロタさんが過去の経験を乗り越えることを支えたものは何だったのか?と質問をしました。
シロタさんの回答はこう。
「自分は今もプリピャチのトラウマの中を生きている。日本の子ども達の参考になるものは持っていない。精神科などそれぞれの専門家にアドバイスを求めた方が良い。」
なんと!思い切り戦いの最中と!?
(私の背景に稲光をつけてイメージしてください。あと私は白目。)
自分の見立て違いと、シロタさんに力不足を感じさせるような質問を投げかけてしまった申し訳なさが押し寄せてきて、最初はどちらかというと恥の感情処理をしていたように思います。それにも気づいて更に情けなくなる私。
一方シロタさんはお子さんを抱きかかえて笑顔を見せ、ツアー参加者が求めるサインにも笑顔で応じていました。私はシロタさん手作り(たぶん)の素敵なお庭に囲まれて、やっと訪れた夕暮れを写真に収めたりしていました。
シロタさんは、どんなに忘れようとしても、その都度プリピャチの街が自分の前に現れた、プリピャチに引き戻されるような経験は枚挙にいとまがない、と言っていました。
向き合う覚悟はしたけれど、積極的な選択だったのではなく、本当にただ追いつかれて逃げられなくなっただけ。そんな現実を生きているんだ、と思い直しました。
喪失体験の後を力強く生きる人の現実。
普段から子どもの話を聞きながら「寄り添う人」をやってるつもりだった自分の薄っぺらさたるや…。
「忘れてはいけない」と「忘れたい」の併存を支えるもの
「忘れない」とか「忘れさせない」という思いの強さの分、もしくはそれより強く「忘れたい」気持ちがある。何と言ったって思い出す度に辛くなるから。それでも忘れられることを拒む記憶に突き動かされて、記憶に成り代わって声を発する。
よりリアルな感覚は伴わないけれど、きっとこのような世界を生きているのではないかと想像しています。
ただ、やはりシロタさんに強さを感じたのも事実で、何らかの支えの存在を感じてやまないのです。保存が困難であるプリピャチの街を、このまま自然に任せて失うか、人々の記憶に残すために手を加えるか、というかなり大きな葛藤を抱えているはずなのに、それを冷静に受け止めて言葉にしている…。ツアーガイドなどの仕事(この仕事自体、暴露療法として考えると強烈)で洗練されていったものなんだろうけど、観光客に対する態度の開かれ具合というか、佇まいそのものというか、やはり“逃れられなさ”以外の何かを感じる。
ツアー後も考え続けていたのですが、インタビューを振り返ってヒントになりそうなのは、“観光客”の存在だと思いました。自分が案内した観光客が、観光の目的以外の何かを感じ取り、持ち帰り、人によってはシロタさんにフィードバックをくれるとのこと。
観光客の何かを変えたのがシロタさんとプリピャチの街だとして、シロタさんの観光客に対する思いを変えたのが観光客とプリピャチ、プリピャチを変えていくかもしれない観光客とそれを受け入れるシロタさん…というように相互の影響関係があると思います。事故の事実は変わらずとも、事故をテーマとした対人関係の発展が、プリピャチを単なるトラウマに留めずに、意味を変え続けるとしたら。これは、現実的な問題とは別にして、シロタさんの人生においては大きな希望なのではないか。
もしそうだとしたら、あわよくば私もその影響関係に参加して、シロタさんが活動する意味の一部になれたらいいな、と思います。シロタさんとご家族の幸せを願います。
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シロタさん宅のアヒル。アヒルの幸せも願う。
(食用…?そもそもアヒルで合ってる?)
(他にもお庭には楽しそうなアイテムや照明がいっぱいで素敵だった)
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さて、次回はチェルノブイリ美術館でお話を伺うことができた、アンドレイさんとアレクセイさんについて思ったことを書こうと思います。じわりじわりと書き進めてまいります。
ゆきちかさん
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