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「弱い自分」を表す言葉たちとのお付き合い
「児童養護施設の検索結果をよりグラデーション豊かにしたい」というテーマを抱えつつ、すっかりnoteから距離が開いていました。書きたいことは色々出てきていますが、久しぶりにnoteを開く良いきっかけがあったので書きます。
今回は #note感想文 です。なおかつ私自身の不登校経験の振り返りをするちょっと緊張する回です。何か社会問題と結びついた言葉を自分の中に抱えている方と共有できたら良いなあ、と思って書きます。
田中れいかさん(れいちゃん)のnote
ご紹介したいのはこちら。児童養護施設出身という経緯をオープンに活動されている田中れいかさんのnoteです。
田中れいかさんは、最近、soarの記事でも活動が紹介されています。現在の活動に至るまでの経緯やその志が語られています。
「生き方のモデル」という表現が素敵ですね。児童養護施設の非家庭的な要素である職員の交代制勤務も、生き方のモデルをたくさん目の当たりにできる可能性として言い換えができるかも…と希望を感じました。
さて、上に載せたnoteでは、田中さんの「弱いしぶん」に対する「甘え」に関わる失敗談が語られています。
社会的弱者の文脈で取り上げられることが多い「児童養護施設出身者」という言葉。支援の声や手助けが自分の元まで届き、助けられるまでは良かったけれども、手助けの存在に寄りかかりすぎてしまい、今度はその言葉に飲み込まれるようにして自分自身を見失ってしまう…。そんな経験談と共に、「施設出身」の肩書きを抜きにした自分自身を取り戻そうとする決意が書かれていました。(有料noteなのでご興味のある方はぜひ応援の気持ちを込めて購読&サポートを!)
この決意、どうやら福祉系youtubeチャンネルを開設して福祉に関わる情報を発信する活動に向かうようです。
タイトルには「当事者はおりたい」との気持ちが書かれているけれども、実際にやろうとしているのは「福祉」や「児童養護施設」により深くコミットする活動である、というのが注目ポイントだと思います。
肩書きから「施設出身」を取り払って、全く関係のない形で模索をしてもいいはずなのに。
一見矛盾にも見えるこの活動、実はちょっと、私の中にも似たような経験があって、自分のことのように感じています。故にこの記事まで作っちゃったわけですが、私の経験を間に挟んで、この点を掘り下げてみようと思います。
田中さん、引いては施設暮らしの子どもたちや、何か社会問題化した言葉を身の内に引き受けている方を応援する気持ちを込めて、脇道に逸れましょう(笑)
私と「不登校」という語の10年
私はいわゆる不登校経験者です。田中さんの「児童養護施設出身者」と同じく、社会問題の文脈で語られることの多い“不登校”。私はこの言葉を抱えて生きていた人の一人です。…いえ、今から振り返るならば、
「私には“不登校”という言葉とのお付き合いをして生きていた期間があります」
…という説明の方が合っているように思います。
まずは私と「不登校」という言葉のお付き合いについて、その歴史をご紹介します(結構恥ずかしいですね…田中さんとか、soarの記事中の人たちとか、すごいなあ)。
ゆきちかさんと“不登校”の10年
❶ 家庭の環境変化と思春期が重なり、うまく登校できなくなる。中1冬から中2夏まで不登校で引きこもり。
❷ その後卒業まで適応指導教室に通う。小さな範囲で社会と自分の繋がりを結び直す。
❸ 私立高校受験、その後は大学受験を「不登校は社会問題で社会的弱者と関連深いけど自分はこんな感じで元気だし不登校支援のために頑張る所存です」という不登校ネタで乗り切る。ちゃんと登校してた人たちと肩を並べる違和感と罪悪感を抱え、ビビりながら暮らす。
❹ 適応指導教室のボランティアしながら、今ひとつ原因究明ができていなかった❶と、不登校経験の活用の道を研究。
❺ 臨床心理士資格を取るべく大学院へ。不登校経験のある人へのインタビューを通して不登校経験の意味が人生の経過と共に変わる様子を調べる研究。
❻大学院の修了式朝までかけてどうにか論文を書いて、やり切った感とともに不登校人生に一区切り。
不登校の開始から数えると10年間は不登校ネタで生きてきた計算になります。当事者活動のような側面もあるのですが、単独行動で社会的影響など特になく、適応指導教室の後輩にはモデル提示できたかもしれないな…くらいなものです。
この期間、周りの人からは“不登校と言えばゆきちかさん”として見られていると思っていました。その通りな瞬間もありましたし、それが良い対人関係の入り口として役に立った場面もあります。しかし、“不登校”という言葉を使わずに説明できる自分の領域が少なかった頃は、素の自分に自信が持てず、いつまでも"不登校の自分"だけを生きなければならないと思っていました。
大学院の終わり頃、やっと不登校経験など関係なく「私って私だわ」と感じられるようになり、次第に「あ、もう当事者じゃないかも」と思うようになりました。
“不登校”に全く関係のないエピソードが増え、不登校以外にも対人関係が広がり、相対的に“不登校”の部分の割合が減ったからだと思います。あとは、研究としていろんな人の不登校の意味を聞くことで、“不登校”はただの言葉、という観点を得たことも大きかったです。
私の“不登校”は、時間はかかりましたが、とても小さく、距離を感じる言葉になりました。
明確な区切りをつけたわけではありませんが、大学院の終わりに合わせて不登校は卒業し、その後は児童養護施設の職員になりました(バイト先から声をかけてもらったのをいいことに、全く就活をせず、そのまま就職w)。
今はもうほぼ不登校に興味がありません。でも、当事者であった期間は大切な時だったと思うし、思い出すとほっこりする。田中さんが書いたような、肩書きにすっかり寄りかかった故の失敗もたくさんしてたけど、それもまたちょっと愛おしい思い出になっています。(…ここは、正直に言えば、思い出になった“気がする”が正解。肩書きに寄りかかるうんぬん以前に、私はものすごくいい加減で、そもそも失敗しがちな性なのだとその後の10年で思い知る羽目に。余談ですが)
今は、付き合いが長い分、仲良くしたり、ケンカしたりしたけど、最終的に和解して、今は縁遠くなり、年賀状でやりとりするだけになった友人の一人…みたいな距離感で“不登校”という言葉のある世界を生きています。
言葉と自分のお付き合いについて
人の特徴を切り取って表す言葉はたくさんあります。自分という情報に辿り着くための検索ワードのようなものです。
その言葉を、「自分の一部として従属させる」か、はたまた「自分が言葉の一部となり、そのイメージに付き従う」か。私が過去に経験し、田中さんが今立ち向かっているのはこれなのではないか、と思います。言葉と自分との関係性。
前者であれば、言葉の意味に依存せず、意志と行動の主体として生きられる。けれど、主体であり続けるには思考と選択と責任を引き受けることのサイクルに耐える強度が必要で、誰でも・いつでも・いつまでもできることではないでしょう。
後者であれば、自分らしさの感覚を売り渡すことにもなりうるけれど、意思決定の責任感から逃れることができる。時にそれは生き延びるために必要な手助けを得る手段にもなる。…しかし、全ての自己決定を放棄するほど依存的になると、別の分野への挑戦が困難になり、自分を表すことのできる新しい言葉への接続が悪くなる。
私は、どちらの関係性がより良い、より悪い、とは言えません。どちらも通過地点の一つ、揺らぎの幅の両極端で、波打つものだと思います。どちらも片方に振り切ってしまうと、居心地が悪くなる。そうなると、言葉との関係性を紡ぎ直す必要が生じて、実際に紡ぎ直しの機会が生じる。そうこうしている内に、新しい言葉が手に入り、一つの言葉との関係性が相対化されて、時には言葉を自分から取り去る段階(=当事者をおりる段階)がやってくる。
うまくお付き合いしていったのなら、言葉を背負っても、言葉を取り払っても「私って、私だ」という感覚を持てるような「言葉たちと自分のネットワーク」が形作られるのではないか。…と、まあそのように思っているのです。
あとがきと、改めて応援を
田中さんのアクションを受けて、私なりに楽しく文章が書けました。今は児童養護施設職員とか、心理職とかの言葉たちと距離が近くて悩ましかったのですが、文章を書きながら、この言葉たちとの関係性も悲観せずやっていけるような気持ちを取り戻しました(笑)
田中さんも現在進行形で言葉とのお付き合いに励んでいるので、同志のような気持ちです。改めて関連リンクを貼り、わずかばかりのサポートを提供します!田中さんがどんな言葉たちと出会っていくのか、非常に楽しみですね!
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