自分で選ばないとレミゼだって響かない
高校生ぐらいの時、学校から帰ると、水色だった布団カバーが、毒々しいほどのピンクと赤のぶりぶりなハート柄に変わっていて、親にガンギレしたことがある。
やったのは母。
ゆきのに可愛い布団カバーを買ってあげた。そうだ、ただ渡すんじゃなくて、帰ってくるまでに付け替えて驚かせよう!
そんな好意に私はガンギレ。「なんだこの気持ち悪い柄は。小学生女子じゃあるまいし。しかも私に聞く前に勝手に付け替えてんじゃねぇ!」
母も、喜ばせようと思ってやったのに私にキレられて悲しいわ怒るわで大喧嘩。
誰も幸せにならないサプライズだった。
すぐに前の布団カバーに戻して過ごして数か月。
箪笥の奥からハート柄の布団カバーを発見し「これ可愛いじゃん」と思って自ら付け替えた。
なぜか突然このことを思い出したんだけど、後から可愛いと思ったってことは、私、柄が気に入らなかったんじゃなくて、自分で選んでないのが嫌でキレてたんだな、と気付いた。
思えば自分で選ぶことの少なかった実家生活だった。
勉強机も、小学生になって家に帰ると勉強机が部屋にあった。弟とお揃いで、全然可愛くない普通の木の机。
当時はCMでやってるような、立ったときに椅子がぐいって動くやつが欲しかったのに、全然違う。引き出しもレールじゃないし、椅子も意味わかんない姿勢が良くなる椅子。
なんだこれ、余裕で猫背になれるし。机とセットじゃないし。
喜んでもらえると思ってた親はキレる。
「買ってあげたのに文句言うな!」
プレゼントもそうだ。
せめてサンタさんであれば、親じゃないから私の願いを聞いてくれるだろうと思っていたけど、欲しいものがきたことは一度もなかった。幼稚園の頃はセーラームーンのおもちゃが欲しかったけど、ディズニーのビデオだった。
まあこれはまだいい。ディズニー好きだし。
小学生の時は、ポケモンのゲームやらモー娘。のCDやらを頼んでいたのに、毎年必ず本だった。
そういえば、青い鳥文庫の『ああ無情(レ・ミゼラブル)』も、いつかのサンタさんのプレゼントだった気がする。読んでも何も楽しくなかった。おじさんがパン盗んで、なんか人助けたり追っかけられたりして、死んだ。
「で?」(byゆきの 小学4年生)
それでも唯一、サンタさんのプレゼントが本じゃなかった年がある。
何が来たか。
顕微鏡と地球儀だった。
「すごいじゃない!顕微鏡なんて!これ高いのよ!」
確かにプレパレートとか、なんか色素つけるやつとか色々ついてる本格的な顕微鏡だった。でもこちらとしては、全然いらねえし嬉しくねえ。
「良かったじゃねえか」と父。
とりあえず雪が降った時に雪の結晶をみんなで見たのは覚えてるけど、その後は何を見ようとしても自分のまつ毛ばっかりが見えた記憶がある。
誕生日プレゼントは小学生まではたぶん買ってもらってたけど、何一つ記憶に無いということは、たぶんそれも特に嬉しくないものを「これなら良いよ」と指定されて買ってもらってたんだと思う。
そんなだから、自分が嬉しいと感じるものが何なのか、わからなくなっていった。もちろん当時はそんな風に認識できてもいない。ちゃんと欲しいものを買ってもらっている、という認識だったし、親もそう思っていた。
「必要なものは何でも買ってあげてるでしょう?」
今思えば、親が許可するものの中で「マシなもの」を選んでただけだった。
中学生になって私の部屋が出来たときは、ベッドや箪笥も勝手に買われてたけど、もうこの頃は勝手に決められることに疑問すら持ってなかった。
茶色い普通の箪笥と、茶色いベッドだった。
この自然と身に着いた「親が許可する中で」という制限は、モノに限らず私たちみんなに根づいていると思う。
これを取っ払っていきたい。
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