グラグラでいいじゃない。|『おとなになるのび太たちへ』を読んで
劣等感があったから、今の私がある。
自分より"ダメ"な相手の存在に安心し、無意識に下に見てしまう気持ち。おとなの世界にもこういうことはよくあって、それはしばしば"優越感"という言葉で表されます。対して、相手に対して自分が"できない"、"劣っている"と気にしてしまう気持ちの方は"劣等感"といいます。
『おとなになるのび太たちへ』を読みました。その中で、「ぼくよりダメなやつがきた」を選ばれた辻村深月さんが”優越感”と”劣等感”を先ほどのように説明されていました。劣等感に鍛えられた私のことを、少し長くなりましたが、書かせて頂きました。もしよろしければお付き合いください。
ゆがんだ劣等感のカタマリ
私の心の中にはいつも、歪んだ劣等感のようなものがあった。
中学生の頃は、
勉強が得意で生徒会長まで務めた。けれど、心の奥底では、自分は「地味でダサいガリ勉」だと思っていたし、キラキラと華やかなバレー部やテニス部の女の子たちは、私のことをきっとそんな風に思っているのだろうと思っていた。同じような雰囲気である吹奏楽部の友人といる時はほっとして、余計なことを考えずに楽しく過ごせていたけれど、教室にいる時、運動部の子たちと話す時にはいつも何だか怯えるような気持ちを抱えていた。
高校生になると、
地元の進学校で、またしても私は劣等感に打ちひしがれる。クラスメイトたちは皆当たり前に勉強ができて、その上、制服をオシャレに着こなし、何なら運動部でキラキラと輝いている。勉強だけが取り柄みたいなものだった私は、ものすごくショックを受けた。当時、「20歳の自分へ」と手紙を書いていたが、大人になってから読み返してみたら、「〇〇ちゃんはこんなところがすごくてそれに比べて私は」みたいな内容がA4ルーズリーフ一枚はゆうに越える内容を占めていた。
学校はいつでも楽しかった。気のおけない友達がいたし、いじられキャラで、自虐で先手を打つことによって自分を守りながら、勉強も部活も頑張ることができていた。
当時の私に手紙の返事を出せるなら
そんな劣等感を抱えた当時の私に、手紙の返事を出せるなら、私はなんて書くのだろう。『おとなになるのび太たちへ』を読んで、考えた。
いろいろあるけれど、一番伝えたいことは、
「その劣等感が、私を鍛えていってくれるよ。
だから1つひとつ、向き合って乗り越えていってね。」
だろうか。
本の中で、辻村さんは最後にこう語っていた。
誰かから受けた影響が確実に「おとなのあなた」を作っていきます。相手のことを意識したり、刺激し合う中で、あなたが誰かに影響を与えることもあるでしょう。
たくさんの出会いを、どうか楽しんでください。
劣等感があったから、苦しかった。「人と比べたりしないで、私は私って思たらいいのに。」と辛い気持ちがあった。けれど、確固たる「私」ができるのなんて、そう簡単なことじゃない。何より、ブレブレでグラグラな私があるからこそ、たくさん刺激を受けることができて、変わっていけるし、成長していくこともできる。
それは大人になった今でも変わらない。
友人のSNSを見て、羨む気持ちは今でもたくさんある。私は、「こんな風になりたい!!」と憧れスイッチが入ったら、とことん追いかけるタイプだ。その人のInstagramuの投稿通知をオンに設定し、服やら食やら旅先やら、もう食い入るようにチェックする。noteをやっていても、自分の「スキ」の数を他の方とついつい比べて情けなくなってしまう。仕事で、子供に拒絶されて他の職員の方がいい!なんて言われると大人気なく腹を立て、悲しくなってしまう。
28歳にもなって、相変わらずそんなことをしている私を見たら、18歳の私はガッカリしてしまうだろうか。
そうしたら、
「でもね、10年前と大きく違うところもあるんだよ。」
と伝えてあげたい。それは、
「土台となる自分ができたし、そんな自分が好きになれたよ。」
相変わらずグラグラで、他の人のことを気にしてばかり。
でもそうやって、刺激をもらって良いところを吸収しながら、劣等感を糧に変わっていける。そんな自分のことは、今は結構好きだ。
劣等感に鍛えられて作られた今の自分。やりたいことはやりたいと言えるようになったし、大好きで大切な人もたくさんできた。そして、そんな大切な友人や家族がいるから、今、その土台はしっかりどどんと構えていられるのだと思う。
菊池亜希子さんが「ジェラシージェラシー」というエッセイの中でこう書かれていた。
なにも見ず、だあれも気にせず、自分の信じる世界だけを見ている。それって一見潔くて格好いいような気もするけれど、同じ味付けの料理ばっかり食べているみたいで、ちょっと飽きそうだ。「くっそー、あの子の新しいヘアスタイル、最高に似合ってて羨ましいな、ジェラジェラ。ようし、私も髪型変えてみよっかな、ルンルン」てな具合に、ジェラシーをスパイスにして、おいしく生きていけたらいいのにな。
まだまだ長い人生、きっと、劣等感ともながーいお付き合いになるのだろうと思う。けれど、押されては押し返し、時に肩を抱き、そして時には取っ組み合いになりながら、これからもグラグラ、劣等感と共に、変化していきたい。
劣等感万歳!ありがとう!
いつもとちょっと違う文体になりました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
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