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必要な自己主張

自己主張ができないと思い続けて、それでも自己主張することへの抵抗感が拭えない。
最近そんなことを考えている中で、"自己主張する"人の像として出てくるものが自分が目指したくないものだから違和感が消えないのだと気付いた。
でも、本当になりたい姿を考えた時、それでもやっぱり自己主張することは必要だった。

"自己主張する"人の像として頭に浮かんでくるのは、発言回数が多くて自分の言いたいことを通したいと思う気持ちが強くて、なんというか、我が強い人のようなイメージがある。
そういう人になりたいとはあまり思えなくて、むしろそうしたくない気持ちの方が格段に強い。
頑張ってそうなったところでメリットはほぼないように思うし、そもそも私の活発力は控え目に振り切れている。

それでも、今より主張できるようになった方がいいにはいい。
100%0に振り切れている場所にいて、100%100に振り切れている場所になりたくないというのは、そもそもおかしな話だ。
論理上ではすごくわかる。
私が主張できるようになりたいというのは、20/100くらいの少しの主張力をつけたいという話だから。
生きていく上で、他人に全て合わせてしまうより、言いたいことを少しは言えた方が幸せだよねとか、そういうレベルの話。

実写版アラジンのジャスミンが、とても好きだ。
主張したがりなわけではないけれど、必要だから勇気を出してきちんと言おうとする。
言わない方が楽かもしれないけれど、自分の思う正しさをわかってもらいたいからこそ、挫けないで立ち向かっていく。
曲げられない信念、正義感、知性。
そういう、正しさがベースにありながら誰かのために必要なことを、頑張って無理をしてでも伝える姿は本当に美しい。
こういう自己主張ができる人に、私はなりたい。

振り切って100%自己主張できないというのは、明らかにおかしいことにおかしいと言えないということだ。
正しくないとわかっていながら、声をあげられないことだ。
それはなりたい姿じゃないし、かしこくありたいという自分の中の理念にも反する。

本当に必要な時、きちんと考えを言葉にできること。
それが正しさや正義に繋がること。
そういう主張ができるところを目指したい。
だからこそそうあるために必要なのは、違和感を見過ごさない力と、発言をできるだけの勇気を身に着けることなのだと思う。
100%の主張なしが、20%の主張を身に着けられるようになるために。
日々積み重ねたいのは、そういうことだ。

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みみ
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