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英会話カフェで感じた、できない自分が晒されることへの恐怖心
先日初めて英会話カフェなるものに参加してきました。
仕事そのものでは英語を使用する機会はほぼないものの、ここ半年は週に1,2回のマンツーマンオンライン英会話を続けており、それなりに話せる気分でいたため、今回問題ないであろうと思い中上級クラスで申し込みをしました。
当日集まったのは、ネイティブ講師・リタイア後のシニア・中堅会社員・私の4人でした。
開始数分前に行ったものの他の参加者は既に集まっており、自己紹介も完了している状況でした。
その場でなんとなく周りの話を聞きながら、到着5分後にはもう、私の中の自分を閉ざすモードのスイッチが入った感覚がありました。
周りの他の参加者の話を聞いていると、言葉が出ずに躓くことがなく、多少躓いても数秒後には会話の流れで違和感がないくらいの間合いで引き出すことができており、レベルの差を感じてしまいました。
これは実際問題そんなにレベル差があったかというと微妙なところではあるのですが、私の中の周りと比較してできない自分を晒されたくない気持ちが強く出てしまい、いかにこの1時間を終わらせて解放されるかという方にばかり気持ちが向いていたように思います。
この"できない自分が晒されることへの恐怖心"は、これまでも多く対峙してきたことで、それによって会話がろくにできないことも多々ありました。
間違ったことを言ってしまうことが怖いし、相手に困惑されることも怖い。
だからこそいかに話さずその場を終わらせられるかにばかり気持ちが向き、会話を楽しむこともできず徒労感ばかり募ります。
グループディスカッションでも会食でもはたまた自己紹介でも、この感覚を感じることは本当に多くありました。
今はある程度"大丈夫な場面"が増え、以前ほどここに苦しまなくなりました。
なので今回、久しぶりにあからさまなその状況下になって、以前の感覚を思い出すきっかけになったように思います。
今でもできない自分が晒されることは怖いですが、本当に集中していたり役に立ちたいと思っている時・また信頼している相手とのシーンでは、その感覚はある程度忘れられているようです。
改めて考えてみると、恐怖心を上回るものがある時には意識下に上りもしないようなので、いつの間にかもっと大切にしたいものに集中できるようになっていたのかもしれません。
私の中の"できない自分が晒されることへの恐怖心"は根本的になくなったわけではないですが、この数年間で付き合い方を見直せたことのひとつなように思います。
真っ向から対峙しなくてもいつの間にか他の解決しようとしたことの影響を受け、今回結果としてよくなっていたことに気付けた、というような感じがしました。
こうやってまた感じたからこそ、100%抜けられたものではないですが、少しずつ薄めていけている自分に気が付くことで、少し成長した自分を感じられることもよかったなと思う、そんな恐怖心に触れる以外の収穫もあったので、これもひとつの経験として大切にしたいと思います。
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普段はコーチングなどをしています↓
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