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出来なかったことを少しずつ。

20歳の時、早く「大人」になりたいと思った。それは、まだ発言権が弱く、自分の中の軸になる部分が新芽みたいに柔らかかったから。
25歳の時、自分の中の可能性を見つめた。がむしゃらに何でもトライした。結果は直ぐに付いてくるものではなかったけれど、この下積みこそが今の私にはなくてはならない経験、血肉になっている。
20代後半、「30歳にならないと落ち着かないよ」という言葉がリフレインし、「どうしろってんだい」と息巻く。そんななか休職した2年間は、腑に落とすには長く、他者に見せるには忍びないほどこころがのたうちまわる日々だった。

そんな10年を終えて、いま、私はやりたいことがある。

次の10年への布石を打っておくことである。将棋で駒を指すように、畑に種を蒔くように、立ち止まって考えてどういう自分でいたいかを考えた。

(ちなみに20代の時の私は30歳になるまでに、髪の毛にパーマをあてて、ポニーテールを揺らして歩く素敵女子になりたいという願望があった。なんてお花畑。素敵かどうかは分からないが、髪の毛で遊ぶ、ということはいろいろやらせていただいた。)

そうそう、30代の私は40代の私にエールを送りたいのである。やりたいことは少しずつ、少しずつ、トライしていきたい。やってみて、違ったなぁと思えば、そこでやめる決断も今なら出来る。ズルズルと引き伸ばす時間があるのなら、他のやってみたことのない事に時間を費やしたい。

では、40代どうなりたいか。なにをしたいか。
①子育てをしていたい
 子供を授かれない場合だってある。でも、私の周りには、「孫の顔を…」と言ってくる人はまずいない。有難い限りである。望むならば、頼もしい助っ人として、私も夫も、将来いるかいないか分からない子供らと一緒に、個々人として成長していきたい。

②サバイバルできるようになりたい
 仕事をしてお給金をいただく、それも良い。でも、結局自分の身を助けるのは、身に染みついた技術であろうと考えている。だから、畑を耕したり、外で野宿(キャンプ)をしたり、できる範囲で生き抜く知恵を学びたい。その為には健康でいなくちゃね。

③支えてくれた猫たちへの恩返しをしたい
 10年という月日が経った頃、我が家の猫らはどうしているだろうか。ふと脳裏によぎるのは、ペットロス。考えたくもないけれど、いつかは訪れる現実だ。だから、最期までこの家族で良かったと思ってもらえるような生活を、今度は私たちが支えていく。

こんなふうに、次の10年を考えると、もっと細々したやりたいことが見えてくる。20代から学んだことを糧にこれからも少しずつ進んで行こうと思う。

そんな、といを今後ともよろしくお願いします。