【映画みたから率直に感想書いてみた】「女王陛下のお気に入り」
最近、文章を書くというのは一筋縄ではいかないなって思います。こうやって映画の感想を書いているときも、何気なく脳停止でおすすめされたので見てたどこぞのYoutuberのドヤ顔解説の口調やら、言い回しやらが心の無意識に自分の言葉のように出てきてしまって「はて、これは本当に自分自身の言葉なんだろうか」「自分はこんな言い回ししてたっけ」と疑問に思ってしまう今日この頃です。それでも文章を書いてみようと思うのは、おそらくストレス発散になるからっていうのが一番大きな理由。
それに生きている以上、何かをやらねばという焦りが自分にはあって何か文章を発信することによりその気持ちの焦りを緩和してくれるということも自分にとっては当てはまる気がする。
他人の影響を受けずに生きるのは不可能に近い。
みんな誰かに影響されたり、誰かに言われたことを気にしたり、考えたりする。
そういえば、みなさんは自分の心で考えごとをするとき、声が聞こえますか?私はどうしても心の中でしゃべってしまうので、声を発しています。
もし私と同じくしゃべってるみたいに思考している人がいたら、教えてほしいのが「それってあなたのリアルな声でしゃべってます?」ってこと。
私は実際の声とは違う声音でしゃべってます。なので、小学生の時にはじめてカセットテープに録音した自分の声を聴いたとき戦慄しました。
変な声だ!って。そんな経験したことある人いたらエピソードを教えてほしいです。面白そう。
さて、0から何かを考えるのは大変です。まず、意見を持つ前に知識を持たないといけない局面が大人にはあるわけです。
これが日長一日、ただぼーっと意味のない休日を過ごしたい日になんの気なしに面白そうな映画のタイトルだからって理由でろくに出演者も監督も見ないで、あらすじチラ見しただけで鑑賞を始めた映画に前提となる知識が必要な場合、これは大変面倒に感じてしまいます。今はそうゆうんじゃない。求めてない、と。
意見に対して受け入れたり、批判したりするのには前提となる知識がいりますが、知識を持つことによって欠点がないのかと申しますとこれが欠点はあります。
例えば、日本語の知識がなければこんな文章はまったくもって意味をもたないわけです。
前提として、日本語を理解しているという知識がこの駄文を読むのには必要な知識。
ですが、なにもあなたはこの文章を読むために日本語を0から学んだわけではないし、この文章きっかけで日本語を学ぼうなんて面倒くさいことする輩は世界いや宇宙中探したって絶対的に0です。
というわけでこの文章まで行き着いてしまった人たちにまず言いたいのは、こんな駄文を読ませてごめんなさい、ということ。
あなたが日本語を読める知識人であるばかりにこういうあなたの人生になんら必要のない感想文を読む羽目になったこと、あなたの人生の時間を奪ってしまったことについて私は本当に心が痛い。
さて、世の中知識前提でみてください、という作品が多くあると思います。
そんな映画のひとつが「女王陛下のお気に入り」。
別にファンでもないので、この作品を作った監督がどういう趣向なのか、とかいう「知識」は一旦考えないで感想をかくと。
せっかくいい作品で途中まではハラハラするような展開。
とくにサラにアビゲイルが射的の場面で鳥の血を浴びせたあたりから「この映画面白いのではないか」と期待しました。(ちなみにそれまでは、途中途中に挿し込まれる広角の画に、なんだこの見づらい広角すぎる画は!表現屋気取りか?広角っていうか生け垣めっちゃ曲がってるし魚眼かこれ、みたいな物語とは別で「見づらいな」という余計なことを考えてました)
アビゲイルが血を浴びせたことについて何ら言及(謝罪)すらしない、あそこが一番の見せ場だった気がする(おそらく監督的な見せ場は最期のうさぎたくさんの脚さすりタイム)
登場人物たちの物語としての確実な転換点があのシーンにあると思う。
そこから女王陛下を交えたサラvsアビゲイルの構図が明確になっていく。
エンドロールの20分前まですごい面白い作品だと思いました。
女王であるアン、そしてサラとアビゲイル。この3人の群像劇。その主題には、それなりの落とし所があるのかと思ったら、「この監督の落とし所」はあったが「今までの盛り上がりを回収してくれるような落とし所」はなかった。
別に結末に納得がいかないわけじゃない。
こういう終わり方やるよなって思う。ただ、ならレイチェル・ワイズじゃなくてもエマ・ストーンじゃなくてもいいんじゃない、と思ってしまった。
人間は動物的なんだよ?っていうことを言いたくてあんな最期薄気味悪いうさぎの出し方するなら、マールバラ公爵夫人であるサラが冷静で気丈すぎる。
サラに毒盛ったアビゲイルは自分が欲しかった地位まで得た。その直後アビゲイルがサラの復讐を恐れながら、旦那との初夜を拒んで手だけでするほどサラを警戒していたのにサラが問題を起こさなすぎる。
もしかしたら、史実に忠実なだけかもしれない。
そう。だから、この映画は「知識」がいる映画なのだろう。
この「知識」部分については私は調べる気すら起きないので、その役割は他の人に譲ることにします。