誰もいないキッチンで『板垣退助っ』と叫ばれた日、わたしが目覚めた(見える世界しか信じない人は閲覧注意)
いや、めちゃくちゃ怪しい話なんですが…でも、これは「今のわたし」にとって、切っても切れない体験でして…。
自分らしさに目覚める重要な転換期って、誰しもあるのだと思うのですが、これはわたしの場合の話しです(笑)
あ、なんだか怪しくて証明できない話が嫌いな人は、もうこれ以上読まないでくださいね♡
*17年くらい前
もうかれこれ17年前くらいの話でしょうか。。。
その頃のわたしは、今のわたし…
つまり自分らしさとは程遠く、外側から求められる自分像で固めて生きていました。
理論で武装して、一般的な常識を採用し、自分をがんじがらめにして生きていた時代。
なんだか上澄みだけが幸せ…みたいな、ラッピングだけは凝っていて美しくて、いざ包み紙を開けて中味をみたら空っぽ的な。
心の底から幸せで豊かだとは思っていなかった時代です。今思えばですけど。
確か「人生でこんな不幸なことが自分に起きるなんえ…」「なんでわたしだけこんな目に…わたし真面目に生きてきたよね!!なのにひどい!」みたいな、わたしなりの人生のどん底感を抱いていた時だったと思います。
それでもまだ、それまでの人生で信じてきたコト、積み重ねてきた自分を守ろうとしてもがいていたと思います。
そんなとき…それはなんの前触れもなく起きました。
*朝、1人きりのキッチンで
朝、家族はまだ寝ていて、わたしがキッチンで1人朝食の準備をしていたときです。
何をしても気分が晴れない日が続いていたそんな朝、キッチンで包丁を握り、たぶん小ネギを刻んでいたと思う。
わたし以外は誰もいないキッチン。ちなみにキッチンは2階にありました。音楽もラジオもTVもついていない、住宅街の一軒家の、早朝の静かなキッチン。
なのに、いきなりわたしの右後ろの方から、大きな野太い男性の声で『板垣退助っ!!』と叫ばれたのです。
その衝撃にわたしは思わず振り向きました!
振り向いた先にあるのは、いつものように炊飯器と電子レンジだけです。当たり前だけど、誰もいません。
わたしは、しばし呆然としたのち、また小ネギを刻みました。あまりの衝撃に思考がフリーズしてしまったのです。
それからのことはあまり覚えていないけれど、淡々と朝食の準備をして、家族を起こし、見送り、1人になれたら、リビングのダイニングテーブルでパソコンを開き「板垣退助」を検索していました。
「確か、自由民権運動をした人だったよなぁ?」と、おぼろげながら社会科で勉強したことを思い出しながら「板垣死すとも自由は死せず」と言ったとか言わないとか(笑)そんな感じだったよなぁくらいの記憶で調べていました。
面白いのは至って冷静だったこと。人は、自分の脳内で処理できないことって、案外冷静に対処するんだなと思いました。
それまでのわたしは、見えない世界の体験談などを聞いては「え、証明できないじゃん。見せてくれないものは信じられないっしょ。」という超〜リアリストでした。
反面、オーラの泉という江原啓之さんと美輪明宏さんの番組は、それはそれはガブリつきで観ていました。人って、一言では語れない複雑さ、ゆらぎ、を持っているものですね…
その後は、リアリストなわたしの身に起きたこの事実の意図を探りたくて、とにかく片っ端から調べていきました。
*奇遇な事実が判明して
すると、板垣退助さんの墓所が、品川神社の脇にひっそりとあることがわかりました。驚きました。どこかの地方でもなく、出身地でもなく、品川にあるなんてと。
なぜなら、その頃の愛車の点検を出す修理工場が品川神社の隣で、そこにはよく行っていたからです。そう、品川神社は車でパッと行ける距離…
そんな奇遇なことがあるのかと、にわかに信じられない思いでしたが、どうしても気になって仕方がなかったわたしは、一人品川神社へ向かいました。
わたしはなぜか幼少期より「神頼みする人の気がしれん。神はここ(胸)にいるじゃないか!」という信念があって、だから合格したいからなどと言う理由で神社に行くということは一切したことがなかったので、目的地が神社という外出はしたことがない。
なので、参拝の作法も分からずに神社にいくことに戸惑いを持ちつつ、恐る恐る訪れてみました。
行ってみたはいいのだけど、墓所がどこかがわからない。
しばらくウロウロしていたら、もしやこの裏手かな?と思う通路があって、これまためちゃくちゃ恐る恐る訪れてみたところ、こんなところにあるのかぁと驚く場所に、確かに墓所がありました。
今は品川区が管理しているようでしたが、多分、めったに人は訪れないであろう場所にひっそりと。
行ってはみたものの、期待するような衝撃的な何かがあったわけでもなく、いったいあの叫びは誰だったのか?なんだったのか?はわからずじまいでした。
その後も相変わらず、人生のドン底感は続き、状況は悪くなる一方でした。
*点をつなげるのが人生
だけど、そのどん底から這い上がり始めた頃に、もしかしてあれって。。。わたしの魂の叫びだったのではないか?と思い始めたのです。
それまで、見えることしか信じないタイプで、常識ガチガチの鎧を被って過ごしてきたわたしが、人生に行き詰まり、今までの常識では生きられないような出来事が起き、その状況下で奇遇にもあのキッチンでの「板垣退助っ」事件です。
なんかもう、見えない世界があることをなんとなく認めなければならないような体験で、もしいるとするならば守護霊の本気とでも言えるような不思議な体験をしてしまった事実は、わたしだけが知っている真実なわけで。
その後、神社のことを調べたり、あらゆる角度でこの体験の意図を再考しました。
品川神社は、龍神がいる…とか、人生を開くときに行かされる場所とか、いろいろな情報もあったし、江原啓之さんのような能力を持つ方が、たまたま友人としていたので、その人に話して見解をきいてみたり。
そんなことをしているうちに、出会う人が変わり、神社に興味を持つようになり、神社の本に出会い、人生をかけて取り組みたいと思うようなビジョンを持つことになっていきます。
「板垣退助っ!事件」なんて忘れてしまった頃、たまたまイベントでご一緒した方から聞いた、千葉の館山にある安房神社が良いときき、なんだか気になりすぎて訪れてみたりして、初めて「場所」に対して「気持ちいい、ずっとこの空気感に触れていたい」と感じる自分に出会えたりもしました。
そんなこんなしていたら、安房神社は品川神社に繋がりが深いという話を小耳に挟んだりして「あれ?品川神社って板垣退助っ!事件で初めて行ったあそこか!!」なんて驚きもあったり。
その数年後、会社をつくることになり、産業の神である安房神社へご祈祷に訪れることになったり(笑)
なんか点と点がスルスルスル〜と繋がって「なんだこりゃ?」とたまげつつも、あの頃の自分にはなかった、自分に対する穏やかさや信頼感や面白さを感じているわたしがいました。
そして何より、わたしらしさの個性を、常識よりも優先して、自分らしい感性を開いている自分自身に、とてつもない自由さを感じていました。
そうなんです。あの「板垣退助っ!事件」は、わたしの本来の感性を開く鍵でした。
あの頃、住む家にもお金にも困っていなかったけれど、どこか窮屈で壊れそうだったわたしが「板垣退助っ!事件」をきっかけに、鎧を脱ぎ捨て、自分らしい感性を取り戻していくことで「わたしは自由だ!」と感じることができるようになったのです。
それから約10年、個性の開花をサポートする仕事を通して、確信したことは、「そうか、個性は究極の自由の体現なんだ!」「自分らしく生きることは自由なことなんだ!」ということ。
そしてもちろん、わたし自身も身をもって自由を体験してきました。
まさに、わたしはあの朝、たった一人のキッチンで「板垣退助っ!」と叫ばれることを通して、わたしに目覚めたのでしょう。
*今も共に板垣退助が…
今、わたしのお財布の中には板垣退助さんがおります(笑)
この話を興味深く聞いていた特殊な能力のある人が、なぜか仕事のお代を「100円札で支払われた」そうで「あ、これはゆきさんに渡せということかと思ったのであげます!」と言ってくれました(笑)
あれから、何人もの見えない世界が見える人に出会ってきました。そのような人に出会うと見解を聞いていたのですが、みなさんの見解はさまざまでした。
「疲れていると良くない霊が惑わせるためにそういうイタズラをする…体調を整えて」という人もいたし、「関係性はわからない」と言った人もいました。
また、こんな意見も。
板垣退助さんと同じ時代に生きた人で自由民権運動をする男性たちの活動に憧れていた女性がわたしの前世の中にいて、その頃の気持ちを思い出してくれたら、人生が良くなるのではと思う守護霊が、気づかせるために「音」にしたら「板垣退助」になったとか(笑)
わたしは、これらのどれもを素敵な見解だなと思って受け取りました。「あなたの前世が板垣退助でした!」と言わないところが真実味があって逆によかった。
*本当か嘘かはどうでも良い
わたしは、この体験を通してもう一つわかったことがあります。それは「本当か嘘か」はどうでも良いことであるということ。
リアリストだった頃のわたしは、「本当か嘘か」が大事だった。そんなことあるわけない!嘘だ!ということに囚われて、本当かどうかの証明を求めていた。
でも、大事なのは、その出来事にどんな素敵な受け止め方ができて、どんな素敵な意図が込められて、どんな素敵な展開をみせていけるか?であって、本当か嘘かは問題ではないんだということ。
同じ体験を、もし誰かが同じようにしていても、それは「事実」なのかもしれないけれど、やっぱりそのことに対する一人一人の「真実」はどうしたって違ってしまうものでしょう?
人が違うと、見方、視点、受け止め方、意図の込め方が、違ってしまうものだから。
人は、見たいように世界を見て、知りたいように知って、創りたいように創ってる。
だから、真実とは、一人一人の中にたった一つだけ存在することなんだと思うのです。
あの朝、一人キッチンで体験したあの出来事は、今のわたしになるきっかけであったのは、わたしの真実。
守護霊がいようがいまいが、前世の記憶のせいであろうがあるまいが、今のわたしが「自分らしく自由に生きている」と実感をもって言えていることが、何よりも大事なたった一つのわたしの真実。
わたしはあの出来事に心から感謝しています。
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