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ナベシャツで潰した胸と弱気な心

僕はLGBTトランスジェンダー。女から男になったFTM。

1980年生まれ41歳。

生まれて物心ついた時から気持ちは「男」だった。でも身体は女。

家族も「英理子」という可愛い名前を付けて鈴木家の次女として可愛がって大切に育ててくれた。

心と体が違う事、それは想像以上に辛いもの。女だから女扱いされる。そんな当たり前のことが辛い。男になりたいのに、どう頑張ったって「ボーイッシュな女の子」が精一杯。

子供を作る事も出来ないし、挿入するものもない。

将来に絶望した。

そんな気持ちとは裏腹に年頃になると身体はどんどん女として成長していく。

成長期。胸なんて要らないのに、大きくなる..

僕はFカップになった。

下を見るたびに見える谷間が、「女」であることを思い出させた。

ニット男子に憧れても、好みのVネックの深いニットをさらっと着る事も出来ない。胸の谷間が目立つボディバックも嫌。

とにかく胸が目立たないような大き目の服を着て猫背で歩いた。

胸=女の象徴。

僕にとっては、毎日見る「イヤなモノ」でしかなかった。

コギャル全盛期。

高校生の頃だった。頑張って女をやっていた最後の時。

開き直って流行りの胸が出る服を着たりもしていた。

女の戻れるかも。男の人を好きになれたら誰も悲しまないのに。

その一心でひたすらに無理して女をしていた。

でも、それで男の人に褒められても、触られても、

「僕が女の子にしたい事なのに…」そんなことをやっぱり思っていた。

やっぱり男になりたい!

女になりたいと頑張ってみて逆にハッキリとわかった。

男になりたい。

間違って心と体があべこべに生まれてきてしまったけど、

自分の気持ちに正直に生きたい!男として恋愛をしたい。男として生きていきたい。という気持ちを止められなくなった。

ずっと逃げてきたけど、やっと認めた自分自身の本当の想いだった。

はじめての彼女ができて…

男の気持ちでいるというが、まだ女っぽい見た目の僕を認めてくれた存在。そこから、外見も変えたい!と強く思うようになった。

一緒に歩いても女友達じゃなくてカップルに見られたい。

そんな願望があった。

でも、当の彼女はそんなこと気にしていない様子だったけど。

とにかく僕は女の姿の自分を今までよりもっともっと嫌になってしまった。

親にカミングアウトも出来ていなかった僕は、手術は出来ず、ネットで胸を押さえるさらしのFTM用とでも言おうか、

「オナベの胸をつぶすシャツ=ナベシャツ」を探して購入した。

今は安いもの、デザインもいろんな種類があるけど、当時はまだ3店舗ぐらいだったと記憶している。

僕は断然オカシャツ派

ナベシャツと検索して出てきたもの全てを買って試した中で僕が一番気に入ったのが、大阪の洋服のオカさんが作っていた元祖ナベシャツ。ネットでは昭和47年に大阪の南・北の水商売で働く「オナベ」の方からの依頼で作ったのが始まりだと書いてあった。

それは他のゴムっぽいものとは違い、オカシャツは綿100%の布で作られていた。そして前ファスナーのベストタイプだから、潰れ方が違うし苦しいのは胸だけでお腹は楽なのもお気に入りポイントだった。

全てオーダーメード制作の為、彼女にバスト・トップ・ギリギリに締めた寸法などを細かく採寸してもらってネットからオーダーをした。だから僕の身体にジャストフィット。

寝る時はしないようにという注意書きも無視して寝る時もずっとしていた。

苦しさよりもオッパイが胸板に変わることが嬉しかった。

着る服も透けたりするから全てとは言えないが、前よりは格段に好きな服を着られるようになった。

潰せたふくらみとマイナス思考

胸というわかりやすい女の象徴。女らしさ。を潰すことで、僕は自分なんて…という弱気で怯えていた気持ちも潰すことが出来た。

たかが見た目。僕に胸があろうとなかろうと、誰も気にしないことかもしれないけど、僕にとってはとても大きなことだった。心が助けられた。

胸を取ってしまった今では必要のないモノになったけど、ナベシャツを着て苦しくて苦しくてたまらなかったあの頃も僕にとっては良い思い出である。


※2021.12.11(土)LGBT社会人交流会「BRUSH UP」第4回無事終了。沢山のご参加ありがとうございました!

鈴木優希のセミナー活動関連のお知らせ、性同一性障害のお子様を持つ親御さんへのメッセージなどLGBTについてのコンテンツを掲載しているオフィシャルサイトもご覧いただけたら嬉しいです。そしてコメントもお気軽にお待ちしています。






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